日本のいちばん長い日の紹介:1967年日本映画。1945年8月15日、日本は太平洋戦争に降伏しました。当作品は、8月14日に降伏を決定してから翌15日に玉音放送を発するまでの緊迫の24時間を描いています。2015年にもリメイク版が公開されています。
監督:岡本喜八 出演者:笠智衆(鈴木貫太郎)、宮口精二(東郷茂徳)、山村聰(米内光政)、三船敏郎(阿南惟幾)、志村喬(下村宏)ほか
映画「日本のいちばん長い日(1967年)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「日本のいちばん長い日(1967年)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「日本のいちばん長い日(1967年)」解説
この解説記事には映画「日本のいちばん長い日(1967年)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
日本のいちばん長い日(1967年)のネタバレあらすじ:起
太平洋戦争末期の1945年7月26日、アメリカ率いる連合軍は日本に対して無条件降伏を柱とする「ポツダム宣言」の受諾を要求してきました。翌27日、総理官邸にて内閣総理大臣・鈴木貫太郎(笠智衆)以下の閣僚らが閣議を開きましたが、結局結論は出ず事態を静観する方向となります。しかし、静観は連合国側からすればポツダム宣言の拒絶とみなされ、8月6日には広島に原爆が投下され、8日にはソ連が日本に宣戦布告、9日には長崎にも原爆が落とされ、日本は壊滅的な被害を受けました。8月10日、戦争の終結を望む昭和天皇(八代目・松本幸四郎)臨席のもと御前会議が開かれ、天皇の地位を保証するという条件付きでポツダム宣言の受諾が決定します。
日本のいちばん長い日(1967年)のネタバレあらすじ:承
8月12日、日本のポツダム宣言受諾に対して連合国側からの回答があり、その内容は天皇の地位を宣言するものであったため、陸軍大臣・阿南惟幾(三船敏郎)ら徹底抗戦派は猛反発します。しかし、8月14日の正午、昭和天皇は終戦を決意、正式にポツダム宣言を受諾することが決定しました。ここから日本のいちばん長い日が始まりました。
翌日の8月15日正午に、ラジオの全国放送にて「玉音放送」を流し、全国民に終戦を告げることが決まりますが、一部の徹底抗戦派や過激思想の青年将校は決定に反発、阿南は御聖断に従うよう通告しますが、畑中少佐(黒沢年男)らのグループは密かにクーデターを計画していました。
日本のいちばん長い日(1967年)のネタバレあらすじ:転
8月14日午後11時50分、宮内庁の政務室にて昭和天皇による玉音放送の収録が始まりました。時を同じくして、畑中少佐は近衛師団の団長・森中将(島田正吾)を組み入れようと説得しますが、応じなかったため森中将を射殺します。その他にも、降伏に反対する勢力が各地で動いていました。厚木基地の第三〇二海軍航空隊司令の小薗海軍大佐(田崎潤)は徹底抗戦を指示、横浜警備隊の隊長・佐々木大尉(天本英世)も首相や閣僚の襲撃を計画していました。
日本のいちばん長い日(1967年)の結末
畑中少佐率いるクーデター派は玉音放送を阻止しようと録音盤を徹底的に捜し、近衛師団を率いて皇居や放送局を制圧しようとしました。後に「宮城事件」と言われるクーデター事件です。しかし、東部軍の司令官・田中大将(石山健二郎)が説得にあたり、クーデターは終息していきます。それでも一部の勢力は総理官邸や平沼枢密院議長(明石潮)の自宅に放火するなど暴走しますが、最終的にはクーデターは鎮圧され、畑中少佐は徹底抗戦を訴えるビラをバラまいた後に自決しました。そして阿南陸軍大臣も敗戦の責任を取って壮絶な自決を遂げました。1945年8月15日正午、予定通り全国に玉音放送が響き渡り、ここに太平洋戦争は終戦を迎えることになりました。
「日本のいちばん長い日(1967年)」感想・レビュー
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監督が岡本喜八、脚本が橋本忍。そして、出演者が豪華すぎて、昭和の超大作の一つです。
私の祖父母や、その両親、先祖が生き抜いてきたのは、奇跡だったんじゃないかと思えるような時代があって、そのおかげで今僕が生きているんだと、実感できます。
後にも先にも、この時ほどの「日本のいちばん長い日」が訪れることは、あるのでしょうか。
日本陸軍はなぜ暴走したのか?終戦にいたるまでの行き詰るドラマです。とにかくどの役者も熱演でまるでその場にいるかのような緊張感のある映画です。リメイク作品もありますがこちらのほうが圧倒的に素晴らしいです。特に陸軍大臣・阿南惟幾(三船敏郎)の台詞は一語一語が胸に突き刺さります。この平和な時代は多くの犠牲の上に成り立っていることを改めて感じさせる映画です。