11・25自決の日 三島由紀夫と若者たちの紹介:2011年日本映画。安保闘争や学生運動に揺れる1960年代の激動の日本において、祖国防衛のため楯の会を結成した作家三島由紀夫と若者達。彼らを駆り立てた思想とは何だったのか。社会に衝撃を与えた三島事件を題材にした、鬼才若松孝二監督によるセンセーショナルな社会派ドラマです。
監督:若松孝二 出演者:井浦新(三島由紀夫)、満島真之介(森田必勝)、寺島しのぶ(平岡瑤子)、岩間天嗣(古賀浩靖)、永岡佑(小賀正義)、渋川清彦(持丸博)ほか
映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たちの予告編 動画
映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」解説
この解説記事には映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たちのネタバレあらすじ:起
1960年11月2日。少年鑑別所で17歳の少年が命を絶ちました。日本社会党の党首浅沼稲次郎を刺殺した右翼青年山口二矢でした。
1966年、早稲田大学では学生達が学費の値下げ、学生会館の自主管理運営を求め、早稲田大学史上初となる全学ストライキに突入していました。この頃ストライキに反対する学生達が新民族主義を掲げた学生組織「日本学生同盟」を結成します。希望に燃える早稲田大学の学生森田必勝は同大学の先輩持丸博に誘われ、日本学生同盟に加入します。作家の三島由紀夫は2・26事件を題材にした「英霊の聲」を発表したところでした。「英霊の聲」を読んで感動した持丸博は機関紙の創刊号に文章を寄せてほしいと三島に願い出ます。
持丸の純真な心に打たれた三島は無償で文章を寄稿することを約束しました。今の日本を変えられるのは2・26事件を起こした将校達のような存在すなわち軍人だけだと考える三島は自衛隊にこそ本当の日本があると考えていました。そして志願して自衛隊に体験入隊をするなど、精神と肉体を鍛錬することで自らを鼓舞していました。三島は来る1970年に迫った日米安全保障条約の更新期には自衛隊を正式な日本の軍隊として認めさせたいと考えていたのです。
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たちのネタバレあらすじ:承
1967年ベトナム戦争は激しさを増し、日本の米軍基地からもたくさんの米軍機が飛び立っていきました。三島が掲げた祖国防衛隊の構想に持丸らも賛同していきます。そして三島が懇意にしていた陸上自衛隊調査学校の山本舜勝自衛官の指導のもと、持丸や森田も三島とともに自衛隊の訓練に参加します。
1968年10月5日、三島は自衛隊に体験入隊した者たちで民間人による軍事組織および民兵の指揮官養成を目的とした組織「楯の会」を結成します。初代学生長には持丸博が任命されました。
1968年10月21日の国際反戦メーデーでは新宿を中心に激しいデモが起こります。自衛隊の治安出動に乗じて楯の会を決起したいと考える三島でしたが、山本は治安出動はあり得ないと判断、楯の会の計画が実行に移されることはありませんでした。
その後日本学生同盟を離れた持丸や森田は三島とともに反革命宣言を発表、三島ともに運命を共にする覚悟を決めます。三島は美しい精神は美しい肉体に宿ると話し、この国のために死に方を考えることが大切だと説きます。志高く、人一倍純真な森田は三島の思想に深く傾倒し、三島のためにならばいつでも命を捨てられると強い覚悟を持つようになります。
1969年4月28日の沖縄デーでは破壊活動防止法が発令され、965名もの逮捕者が出ました。楯の会は決起に備えて独自の訓練を重ねていきます。
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たちのネタバレあらすじ:転
大学の卒業を控える持丸は就職と結婚のため、楯の会と距離を置きたいと三島に願い出ます。三島は生活の保証をするので楯の会の事務局長になったらどうかと勧めますが、持丸は退会する決意を固めていました。森田は持丸の後を引き継ぎ、二代目学生長に任命されます。
その年の10月21日に行われた第二次国際反戦デー。ベトナム戦争や安保条約に反対する若者や労働者達による大規模な暴動が起きますが、戒厳令を思わせる機動隊の出動により制圧、逮捕者は1600人近くに及びました。楯の会は今回も決起する機会を失い、三島や森田は虚しさをにじませていきます。もはやこの国を守るのは自衛隊ではなく強大な力を持つ警察であることをまざまざと突き付けられていました。楯の会の存在意義すら見失う三島に森田は縦の会と自衛隊で決起し、国会を包囲して憲法改正を発意したらどうかと提案します。三島は森田の熱意に突き動かされて、最終行動に出る覚悟を決めました。
三島からクーデターに加わるかと尋ねられた山本は自分を斬ってからにして下さいと冷たく告げ、二人の決別は決定的なものとなりました。三島と森田は楯の会から最終行動を共にするメンバー古賀浩靖、小賀正義、小川正洋を選び、入念に計画を練っていきます。それは市ヶ谷駐屯地の自衛隊総監を拘束した上で自衛官たちの決起を募り、憲法改正を迫るという無謀な計画でした。三島は森田を除く3名に計画実行後も生き延びて、楯の会の精神を引き継いでいってほしいと語りかけます。5人は楯の会の制服に身を包んで記念撮影しました。
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たちの結末
1970年11月25日、市ヶ谷駐屯地を訪ねた三島たち楯の会5名は総監室の益田総監を拘束した上で籠城し、自衛官達を駐屯地前に集合させるよう要求します。そして要求内容を墨書きした垂れ幕を総監室のバルコニー上から垂らし、正午と同時に三島が演説を開始します。
大勢の自衛官達に向かって自衛隊の決起、憲法改正の意義を高らかに訴えますが、その声は辺りを飛び回る報道ヘリの音や自衛官達のヤジに虚しくかき消されていきました。三島は最後に天皇陛下万歳を三回叫んで総監室に戻ると、死んで無念を晴らすと告げ、割腹自殺を遂げました。
森田は震える手で三島の介錯をするものの失敗し、古賀が代わりに介錯人を務めました。その後森田は三島の手に握られた短刀を使って自らも切腹、古賀は一太刀で森田の介錯を終えました。
5年後、三島の妻瑤子は古賀に夫や森田を残して部屋を出たときどんな気持ちがしたかと尋ねます。古賀は二人の首の重みを確認するかのように広げた両手を黙って見つめるのでした。
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