ぼけますから、よろしくお願いします。の紹介:2018年日本映画。2016年9月にフジテレビ「Mr.サンデー」で特集され、2017年10月に継続取材した続編がBSフジで放送されたドキュメンタリーを、更なる追加取材と編集作業により完全版として劇場公開した作品です。87歳でアルツハイマー型認知症を患った母を介護と慣れない家事で支える95歳の父。本作が長編監督デビュー作となるテレビディレクターの信友直子はそんな両親の姿を克明に追っていきます。
監督:信友直子 出演者:信友良則、信友文子、信友直子、ほか
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ぼけますから、よろしくお願いします。の予告編 動画
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」解説
この解説記事には映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ぼけますから、よろしくお願いします。のネタバレあらすじ:起
テレビディレクターの信友直子の生まれ故郷、広島県呉市には父・良則と母・文子が住んでいます。良則は大正9年(1920年)生まれの95歳、文子は昭和4年(1929年)生まれの87歳です。東京在住の直子は帰省の度に両親のためにアナゴ弁当を買い、両親はいつも直子の帰省を喜んでくれていました。
2014年1月。当時85歳の文子は近頃めっきり忘れっぽくなったとこぼしました。文子が帰宅すると、すっかり耳の遠くなった良則(当時93歳)が笑顔で出迎えました。文子はどこか危ない手つきで夕食を作り、「幸せだね」と良則に声をかけますが、どうも良則には聞こえていなかった様子でした。その後、文子は刺身が入っていたプラスチック皿を直子のところへ持ってきたり、買ったばかりの果物を何度も同じ量買ってしまうなど、この頃から少しずつ異変が見られるようになっていました。
直子は良則に文子の様子がどこかおかしいと話すと、良則も同じ様に感じていました。そこで直子は文子を呉中通病院へと連れて行き、検査を受けさせた結果、文子はアルツハイマー型認知症だと診断されました。文子は医師から診断結果を聞かされても落ち込む様子はありませんでした。
直子は自宅で留守番していた良則に文子の病気のことを伝えました。文子は服薬治療を受けることになり、東京での仕事がある直子は良則に文子の薬の副作用の程度を見てもらうことにしました。直子は良則に、自分は呉に戻ってきた方が良いか尋ねますが、良則は大丈夫だと返答しました。その後、文子は東京へ戻る直子をバス停まで送ってくれました。
ぼけますから、よろしくお願いします。のネタバレあらすじ:承
若き日の文子は女学校を卒業し、簿記の資格を取得しました。独身時代はキャリアウーマンで鳴らした文子は30歳の時に良則とお見合い結婚をし、2年後に一人娘の直子が誕生しました。文子は料理や裁縫を得意としており、社交的で友達も多く直子の自慢の母でした。やがて子育てもひと段落した文子は趣味の書道にのめり込み、その腕前は有名な書道展で特選を受賞するほどでした。また文子は写真を撮るのが好きで、よく良則や直子の写真を撮ってくれたものでした。直子は、自分が写真や映像に興味を示し始めたのは明かに文子の影響だと回想しました。
直子は18歳で親元を離れて上京し、それから30年以上の間、東京で映像制作の仕事に携わっていました。良則や文子も直子の決断を応援してくれていましたが、直子は45歳の時に病魔に侵されてしまいました。乳がんを患い入院した直子を、文子は上京して見舞いに来てくれました。手術を不安がる直子を文子は気丈に励まし、無事に手術が成功した時には文子は涙を見せながら喜んでくれました。
2016年。直子は認知症になった文子を心配して度々呉の実家へと帰省するようになっていました。文子は天気が悪いことを理由に洗濯物を溜め込みがちであり、いざ洗濯をしようと思っても結局はせずに寝転がってしまっていました。そんな文子は娘の助けは借りないと言ってはいるものの、もう昼になったので、良則が近くのコンビニに買い物に行っている間に直子は洗濯を手伝ってあげることにしました。
文子はこの頃になると料理もできなくなり、それでも台所を清潔に保つことだけは心がけていました。文子は良則に薬を管理してもらっていましたが、文子は飲んだことすら忘れるようになっていました。文子は次第に横になっていることが多くなり、自分は家族に迷惑をかけてしまっていると落ち込んでしまいました。直子は自分が何でもしてあげるからと文子を慰め、良則が代わりに家事を担うことにしました。
ぼけますから、よろしくお願いします。のネタバレあらすじ:転
戦前生まれの良則は太平洋戦争のせいで大学進学を断念、陸軍に入隊して終戦を迎えました。戦後、良則は小さな会社で経理の仕事に就き、昔ながらの考えから家事の全ては文子に任せっきりになっていました。元来の読書好きであり、90代になってもなお知識を追い求め続ける良則は戦争さえなければ自分は大学で文学を学んでいたと振り返り、直子には後悔のないよう自分のやりたいことをやりなさいと教えてきました。直子は自分が本当にやりたかった映像製作の仕事に就けたのは良則のおかげだと感謝しています。
高齢の良則が文子の介護を担う生活ぶりに、直子は仕事を辞めて実家に戻ることをも検討しました。しかし、良則は自分が元気なうちは大丈夫だと言い、文子の支えもあって慣れない家事に一生懸命取り組んでいました。そんな二人の姿を見た直子は、二人の記録を残すことが映像作家としての自分の使命だと確信していました。
文子の認知症は徐々に進行していき、二人だけの生活に限界を感じ取った直子は介護保険を適用してホームヘルパーを雇うことを考えました。しかし、頑固な良則はヘルパーを雇うことに消極的であり、文子はどうしても家族に迷惑をかけてしまうことを苦にしていました。
それでも一家は呉市の介護担当者との交渉にこぎつけ、今後の訪問介護やデイサービスについての相談に臨みました。文子はヘルパーの助けはいらないとゴネていましたが、いざ本格的に訪問ヘルパーが家の手伝いを始めてみると文子は次第に持ち前の明るさを取り戻していきました。直子から文子の様子を聞いた良則は嬉しそうに笑いました。
そして良則の家事もだいぶこなれてきた頃に2016年も終わりを迎えようとしていました。大晦日、呉市では恒例行事として港に停泊する自衛隊の船が一斉に汽笛を鳴らして年明けの瞬間を祝うのです。こうして一家は2017年を迎え、文子は家族に「今年もぼけたらお願いします」と言いました。
ぼけますから、よろしくお願いします。の結末
この日は2017年最初のデイサービスの日でしたが、文子は少し機嫌が悪かったようでした。この頃になると良則は裁縫までこなすようになり、文子の布団を修繕してくれていました。良則は更にリンゴの皮まで剥いてくれ、直子は生まれて始めて良則が包丁を使うところを目の当たりにしました。
それからしばらく経ったある日。直子が帰省すると、文子は左目が腫れ上がっていました。直子は文子に事情を聞いてみても本人は全く当時の状況を覚えておらず、良則に訊くとどうやら玄関の傘立てのところで転倒してしまったとのことですが、耳が遠い良則は物音に気付くことができなかったというのです。文子の額には青痣とたんこぶがあり、頭部を打っていることから、念のために直子は文子を病院に連れて行きました。文子は一日中寝ている時が多く、そのせいで脚力が低下して転倒しやすくなっているのだそうです。
ある日、ヘルパーが来る予定にも関わらず、文子はなかなか起きずに横になったままでした。そうしているうちにヘルパーが訪問してきたので、起きるよう促しましたが、どうやら文子はヘルパーではなく良則に構ってもらいたかったようで、良則の父の手を握ると泣き出してしまいました。直子は、ずっと家族の面倒を見てきてくれた文子が今は家族に面倒をかけてしまっていると悲しんでいることを悔やんでいました。
その翌日も文子はなかなか起きられませんでした。良則はいつもの通りに家事をこなしていましたが、突然文子は自分は死んだ方がいいと泣き出してしまい、良則もつい感情的になって死にたいなら死ねと言い返してしまいました。泣きながら外へ出て行こうとする文子を何とか説得し、再び寝かせつけることにしました。しばらくすると文子も良則も落ち着きを取り戻し、文子は良則が剥いてくれたリンゴを食べ始めました。文子は良いことがないと静かに涙を流していました。
翌週、文子は自分で布団を片付けたのですが、ちょっとしたことで感情が爆発して泣き喚いてしまいました。ヘルパーが文子を慰め、何とか落ち着かせてくれました。機嫌を直した文子は良則と一緒に蒸かし芋を食べました。その日の夕方、文子は良則を労わるように、手伝えなくてごめんねと声をかけました。文子の表情には笑顔が浮かんでいました。連れ添って60年になる両親は今日も寄り添いながら暮らしています。
以上、映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」のあらすじと結末でした。
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