フジコ・ヘミングの時間の紹介:2018年日本映画。80歳を過ぎてなお世界各地で精力的な活動を続ける“魂のピアニスト”フジコ・ヘミング。約2年間に渡って世界中を飛び回るフジコに密着取材、彼女の素顔や知られざるヒストリーを映像美と共に綴った渾身のドキュメンタリーです。
監督:小松莊一良 出演者:フジコ・ヘミング、大月エルフ、三浦透子(ナレーション)ほか
映画「フジコ・ヘミングの時間」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「フジコ・ヘミングの時間」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
フジコ・ヘミングの時間の予告編 動画
映画「フジコ・ヘミングの時間」解説
この解説記事には映画「フジコ・ヘミングの時間」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
フジコ・ヘミングの時間のネタバレあらすじ:起
60代後半で世の中に認められ、80代となった今でも精力的に活動を続ける“魂のピアニスト”、フジコ・ヘミング。
世界各国にある自宅のうちのひとつ、パリのアパートの部屋で、お気に入りのアンティーク数匹の愛猫に囲まれながらドビュッシーの『月の光』を弾くフジコ。映画では、彼女が14歳の頃に書いた絵日記を紹介しながら、彼女の歩んできた波乱万丈の人生、そして彼女の人生観について綴っていきます。
フジコ・ヘミングは、ナチスが台頭する以前のドイツ・ベルリンで、日本人ピアニストの母・大月投網子とスウェーデン人デザイナーの父・ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングの間に生まれました。
その後、一家は日本に移り住み、フジコは母から厳しくピアノを叩き込まれました。しかし、日本中に外国人排斥の風潮が高まる中、父はフジコがまだ幼い頃に家を出、スウェーデンに帰ったっきり消息を絶ちました。母はピアノ教師として働き、フジコと弟・エルフを女手一つで育て上げました。
フジコ・ヘミングの時間のネタバレあらすじ:承
成長したフジコは、当時日本に蔓延していたハーフへの偏見と差別を肌で感じ、自分の出目が周囲にバレないよう必死だったと振り返ります。私学の初等科に入学したフジコは17歳の時に初のリサイタルを開催、東京藝術大学へ進学後は数多くのコンクールで受賞するなど才能の鱗片を見せ始めましたが、経済的な理由により一度は海外進出の夢を諦めかけました。しかし、レストランでピアノを弾いて何とか金を貯めたフジコは28歳の時にベルリンに音楽留学しました。フジコはその時を振り返り、恋もしたけどみんなロクな人じゃなかった、猫の方が信じられると語りました。
ベルリンではフジコは貧しい生活を強いられていました。そんな彼女の心の支えはベルリン・フィルハーモニーとの演奏会でした。やがてベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業したフジコはヨーロッパを拠点にキャリアを積み重ね、世界的指揮者のレナード・バーンスタインをはじめとする超大物らから一目を置かれる存在となりました。
しかし、これから本格的に羽ばたこうとしたその時、風の薬の副作用によりフジコは左耳の聴力を失うという悲劇に見舞われました。
フジコ・ヘミングの時間のネタバレあらすじ:転
フジコは耳の治療をしながら何とか音楽活動を続けていましたが、そんな彼女の元に舞い込んできたのは日本に残した母の訃報でした。これを機に日本に戻り、東京の母の家で暮らし始めたフジコは、音楽学校で教師の資格を得てピアノ教師として働きながら音楽活動を続けました。そして人生の転機となったのは、1999年に放映されて反響を呼んだNHKのドキュメンタリー、その後60代にしてようやく『奇蹟のカンパネラ』でCDデビューを果たすとその人気と名声は世界中にまで広がりました。
今なお耳の病と闘いながら、世界各国でリサイタルツアーを開くフジコ。この日は南米での公演、フジコは鍵盤が固く音が響かないピアノで圧巻の演奏を魅せ、満席の観客にスタンディングオベーションで迎えられました。フジコは、ツアーでは色んなピアノに出会えるのだと語ります。
フジコ・ヘミングの時間の結末
世界各国にそれぞれ特徴のある自宅を持つフジコ。かつて住み慣れたベルリンでは地下の部屋を買い取って自宅とし、京都の古い民家を宮大工にリフォームしてもらって自宅としています。
フジコはベルリンで下宿時代にお世話になった老夫婦と会話を弾ませ、日本に戻ると「下北沢は変わってないわ。芸術に自由さが残っていてパリに似ている」と語ります。
母の形見のピアノの修理が終わり、フジコの手元に戻ってきました。東京公演に臨むフジコは、リストの『ラ・カンパネラ』は誰にも負けない自信があると語り、技術ではなく精神では誰にも負けないと自信を見せました。その言葉通りにフジコは観客を魅了する素晴らしい演奏を披露しました。
フジコは、日本郵政歴史博物館で父が広告デザイナーだった頃に手がけたポスターを見つけ、「良いところもあったということね」と語りました。
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