hide 50th anniversary FILM JUNK STORYの紹介:2015年日本映画。X Japanやソロバンド活動でも、音楽的な意味でカリスマとして輝く、Hideさんの「精神世界」、「人間性」。「音楽性」とその歩みを追ったリアルドキュメンタリー映画。ナレーションをHideさんのファンとして知られる、俳優の塚本高史さんがナレーションを務めた。
監督:佐藤太 キャスト:Hide(X JAPAN、Hide with Spread Beaver,Zilch)、YOSHIKI(X及びX JAPAN)、PATA(X及びX JAPAN、Hide with Spread Beaverのゲストギタリスト)松本裕士(Hideの弟、HEADWAX ORGANIZATION代表取締役)、塚本高史(ナレーション)、ほか
映画「hide JUNK STORY」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「hide JUNK STORY」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
hide 50th anniversary FILM JUNK STORYの予告編 動画
映画「hide JUNK STORY」解説
この解説記事には映画「hide JUNK STORY」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
hide 50th anniversary FILM JUNK STORYのネタバレあらすじ:起
言わずと知れた、X JAPANのドラムとピアノを務めるYOSHIKIさんの語りで始まります。彼曰く、「Hideさんの事は思い出に出来ない、X JAPANという物語は進行形で進んでいる」のです。Hide with Spread BeaverなどHideさんにお世話になったゆかりのヴィジュアル系ロックスター達がHideさんの人物像や出逢い、関わってきた過去を話しながら進行していきます。Hideさんはレコーディングスタジオにて、3枚目のアルバム制作やROKET DIVEを作る事、ツアーを来春やるなど計画を話しました。2014年の12月10日に当時新曲として発表された「子ギャル」という曲が発売された事が大々的に発表されます。Hideさんの誕生日イベントについても12月13日に羽田と大阪で同時中継されました。森重さんは「夏頃に出逢った事が運命だった」、LUNA SEAのJさんは「僕らの音楽を見つけてくれた人」、フォトグラファーの田中さんは「正義感が強い人。、Hideさんの愛用のギターメーカーのフェルナンデスのアドバイザーさんは、「役割を持って出来る環境を作ってくれる人」などHideさんの人物像を語ります。
hide 50th anniversary FILM JUNK STORYのネタバレあらすじ:承
Hideさんのルーツである幼少期からロックに目覚めて今に至るまでを弟で、Hideさんが立ち上げた会社「HEADWAX ORGANIZATION」の社長を務める、松本裕士さんが家族として、かつて自分がマネージメントを務め続けてきた一人のアーティストとしてのHideさんを語ります。横須賀で育ち、ふくよかな体型の子どもだったこと、学校で校庭を他の子ども達と一緒に走らされた事が屈辱的だったと話しました。また、子どもの頃の彼は「お前の物は俺の物」と言うように少々、意地悪をされた事を悪態をつきながらも笑い話にしています。一方で、作文や物語を作る事絵が上手く、絵に関しては、小学生離れした才能があった事、裕士さんの宿題を代わりにやってくれた事も話しました。横須賀のどぶ板通りという所が若かりし頃の「たまり場」だったとHideさんは語っていた映像が流れ、そこで酒と煙草、女性と付き合う事を覚えたと言っていました。初めからX JAPAN(旧名X)ではなく、サーベルタイガーという個人バンドを組んでいた事が明らかとなります。同級生が登場し、彼の兄がHideさんにギターを教えた事や、美容師をしていた祖母にギブソンというギターを買ってもらってから、音楽に目覚めていきました。テニス部でありながら、テニスのラケットをギターにして母を困らせてしまったり、中学2年の時に友達の家でKISSを聞かされ、最初は抵抗があったKISSも、後に自分でKISSを聴いた後、雷に打たれたような気持ちになった事、それによって徐々に彼の中で“何か”が変わり始めたのでした。D’ERLANGERのTestuさんとKyoさんはサーベルタイガー時代、次々と辞めていくメンバーとその入れ替えにHideさんがとても苦悩していた事を話しました。そんな時、HideさんはTetsuさんの脱退をきっかけに、98年1月28日にサーベルタイガーを解散せざる得なくなりました。生肉をちぎって食べるなど過激なパフォーマンスで知られるサーベルタイガーでのHideさんを見て、YOSHKIさんは当初は近づきがたいと思っていましたが、かっこよさを感じ、彼と一緒にやっていく事を意識したそうです。ディメンシアというバンドは関東ゴミバンドと酷評されていました。そのディメンシアだった、Shigeru GEESS Kosugiさんは、Hideさんについて、「楽屋にいてメイクをしている時は派手だけど人間性は派手じゃなかった。演奏が始まると凄いオーラがあった」と証言し、Hideさんには自分を嫌い、本名である彼自身、松本秀人が、アーティストHideをプロデュースしていたと語られました。Hideさんも「頭蓋の中で飛び回る、僕に似ている二匹の虫が囁けば逆らわず僕は飼われているのか」、「小学生の頃から裏表なく自分をコントロールしていた奴が(僕の中に)いた」と葛藤していた事が紹介されます。フォトグラファーさんもHideさんと彼のソロプロジェクトとしてバンドを組んでいたINAさんも2面性があり、完璧主義、不完全さを感じ、高みを目指していた人」と人物像を回想しました。Hideさんは、YOSHIKIさんに電話をかけ、X JAPANのリハーサルを見に行くと言い、その後、Xに加入するのです。
hide 50th anniversary FILM JUNK STORYのネタバレあらすじ:転
旧名、X、現在の名前、X JAPANとして活動を始動してきたHideさんはカラーという関西のXと言われたバンドともライバルとして同志としても交流があったり、被写体として写真集を出しました。原宿でソロ活動も開始させ、当時行うはずだった原宿、歩行者天国で披露されるはずだった曲もありましたが、天候が悪く、ライブ中止を悔しがっていた事もありました。1993年8月5日にソロとしてのファーストシングルとセカンドシングル、「EYES LOVE YOU」、「50%&50%」を同時リリースしたり、1994年1月21日に3枚目のシングル「DICE」をリリース、そして、初のアルバム「Hide your face」を発売する、それに伴ったソロライブツアーを行う等、X JAPANのHide以外の活動でも世間的に幅広く認知され、爆発的な人気を誇ります。自分の事を知らない人も騙されればいい、当時のHideさんはそう思っていました。当初は、歌う事に対し、自分の声に慣れる事に苦労し、ボーカリストでの自分である事を嫌っていて、目立つボーカリストとしての立場に抵抗を感じ、静かなギタリストでありたかったと語るHideさんの映像が流れました。ソロ活動で、一番、Hideさんと親交もあり、相棒のような存在だったINAさんによると、「INAちゃんの才能を全部僕に注いでほしい。」と言われ、裏方だったINAさんをステージ上で共に活動する仲間として迎え入れたエピソードが語られます。一方で、自分に関しての葛藤を抱えたダウトという激しい曲がライブで披露され、Hideさんは子どもの頃の自分に向けた当時29歳の大人になった自分が宛てた手紙の内容が紹介されました。アルバムを使ったテーマは初期衝動で、子どもだった過去の自分と「過ごした」大人の自分が音楽に感じたワクワクした気持ちを昔も今も共有していると思う、アルバムはこの事を確認する為に作った事、過去の自分と「別れて」その答えを探す旅に出たが、過去の自分と離れた何十年を巡る「旅」だった。そんな旅の中で感じたワクワク感を過去の子どもだった自分が「あの時と同じ気持ち」と言ってくれたら、旅を続けられそうだ。と・・・。スタッフは、Hideさんがライブが終わって彼に呼び出された時、ホテルの屋上で深呼吸する後姿が、印象的だったこと、お酒を飲み、酔っぱらって暴れる事も多かったが、酔った後は相手に必ず謝る等律儀な一面もあったと伝えられました。弟の裕士さんの「社会人」としての躾には厳しく、挨拶をちゃんとする事など教えられ、Hideさん自身は自分のなりが派手なので、弟がスターの家族として甘やかされていると思われないようにする為、自分の代弁者になってほしい、人としての成長を見守っていたという深い意味が、裕士さんは話します。現在でも原宿にあるレモネードというHideさんプロデュースのショップ誕生のきっかけは、ZEPPET STOREとの出逢いや、彼らのライブの為にHideさんがポケットマネーから費用を出したりなどサポートした事、Shameやdefspiralというバンドもhideさんに才能を見出された事がかつて、Defspiralだったメンバーも登場し、Hideさんにお世話になった事を語るのでした。1996年6月に新アルバム「サイエンス」を作り、9月2日にリリースしました。アルバム制作時は、納得がいかないと作り直す事も何度かあったそうです。1996年千葉マリンスタジアムでIndian Summer Specialライブ、サイエンス ア・ゴーゴーライブを開催し、メンバーやスタッフと一緒に団結しながら音楽活動を続けました。スタッフに対する優しさも忘れない人で、当時のスタッフは、人の才能を引き出すのが上手い人だった、自分の中の引き出しを「Hide」として持っていける人だと証言します。Ziltchとしてもバンド活動をし、「Ziltch321」を発売し、海外活動も始めました。その際に、日本人の強みを発見し、日本語の複雑さと美しさを一つにする事や外国人が聴いてもかっこいいと思う音楽づくりを心掛けました。しかし、97年の9月2日にX JAPANが解散してしまいます。当時多くのファンを失意のどん底に突き落としたであろうこの状況をみて、Hideさんは97年の12月31日に、X JAPANとしての解散ライブを行ってから、98年の元旦に、「Hide with Spread Beaver」というソロバンドを始動させた事を発表し、多くの反響を呼びました。Spred beaverはロックをやるにあたっての名義であり、みんなと勝つも負けるも100%分かち合える環境づくりを考えていました。98年にアルバムを作り、「サイバーロック」という機械と人が作った音の融合という新感覚の音楽づくりにINAさん等と専念しました。社会人として成長していった裕士さんを飲みに誘い、自分の代弁者になる事を頼むのでした。Hideさんの曲としてファンからも愛されている「ピンクスパイダー」の紹介となります。妄想を抱え、ウエブという情報の糸を張っていた蜘蛛が、空という外界に憧れを抱き、空に行きたいと願い、達成しますが、憧れていた外界の空は蜘蛛の人生の考え方の甘さを痛感させる歯車に過ぎなかったという楽曲エピソードです。
hide 50th anniversary FILM JUNK STORYの結末
Hide with spread beaverとアルバム「Ja Zoo」の製作や今後どのように活動するか酒を飲みながら話し合っていたHideさんですが、帰宅後に、肩こりに悩んでいた彼は首のマッサージをするつもりで泥酔状態でそれを行い、33歳という短すぎる人生に幕を閉じました。Spred bieverだったINAさんらは当時、Hideさんがいない状態でライブを行った事や、Ja zooの製作を続けた事に葛藤していた、やっとja zooが完成し、追悼ではなく、hideさん亡きあとも未来へ向かって前向きに突き進むことを決めます。Hideさんのお葬式や告別式は日本で一番参列者が多かったこと、hideさんと関わってきた人達はHideさんに感謝している事、同志として音楽に携わる人として繋がっていると涙しながらも前を見据えて話していました。映画公開当時の2015年はhideさんが他界して17年の歳月が流れていました。2014年12月10日に「Ja zoo」に収録されるはずだったHideさんの新曲「子ギャル」の発売日発表が冒頭前半で紹介されたように、ストーリーの繋がりとして紹介されます。結末に、Hideさんの葬儀の映像などファンにとっては良い意味でもショックを受けた意味でも記憶として刻まれている映像を緩和させるために、YOSHKIさんがHideさんとディズニーランドへ行って濡れるアトラクションに一緒に乗ったという微笑ましいほのぼのしたエピソードと、Hideさんと関わってきた人達の温かいコメントで幕を下ろしました。
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