映画マエストロ!の紹介:2015年日本映画。名門オーケストラの再結成をめぐり舞台裏で繰り広げられる若きバイオリニストと謎の中年指揮者の真剣勝負を描く。「コドモのコドモ」「神童」などのさそうあきら原作コミック「マエストロ」を実写映画化。
監督:小林聖太郎 原作:さそうあきら 出演:松坂桃李(香坂真一 / 第1ヴァイオリン/コンサートマスター)、miwa(橘あまね / フルート)、古舘寛治(阿久津健太朗 / ヴィオラ)、大石吾朗(村上伊佐夫 / 第1ヴァイオリン)、濱田マリ(谷ゆきえ / 第2ヴァイオリン)、河井青葉(榊涼子 / チェロ)、池田鉄洋(今泉徹 / コントラバス)、モロ師岡(鈴木稔 / フルート)、村杉蝉之介(可部直人 / クラリネット)、小林且弥(伊丹秀佳 / オーボエ)、中村倫也(丹下浩 / ティンパニ)、斉藤暁(一丁田薫 / ホルン)、嶋田久作(島岡脩三 / ホルン)、松重豊(相馬宏明 / オペラハウスのマネージャー)、西田敏行(天道徹三郎 / 指揮者)、ほか
映画「マエストロ!」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「マエストロ!」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
マエストロ!の予告編 動画
映画「マエストロ!」解説
この解説記事には映画「マエストロ!」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
マエストロ!のネタバレあらすじ:起
若きバイオリニスト香坂(松坂桃李)の元に、ミュンヘン交響楽団から不採用の通知が届きます。それと共に、解散した中央交響楽団からも知らせを受けた香坂。不況のあおりをうけて解散した中央交響楽団が、再び彼をコンサートマスターにした再結成と、演奏会をしたいとの連絡をもらったのでした。
指定された練習場所に行ってみると、そこはプレパブ倉庫しかありません。自分と同じく知らせを頼りに集まったのは、他の楽団に再就職できなかった、いわゆる「負け組み」ばかりでした。一か月後の演奏会を目指し、残されたメンバーでシューベルトの交響曲第七番「未完成」と、ベートーヴェン交響曲第5番「運命」を演奏します。そこには顔面マヒの一丁田薫 (斉藤暁)や、一昨年定年退職になった者もいました。
指揮者は天道徹三郎(西田敏行)という名の聞いたこともないような指揮者で、「三流ではないか」と噂をする香坂たち。時間になったので練習を始めようとしますが、そこにフルートが一人足りません。
すると、アルバイトで雇われたフルート吹きの橘あまね(miwa)が遅れて走ってやってきます。あまねはアマチュアで、プロに交じって演奏できると興奮しました。しかし肝心の指揮者が来ず、倉庫の二階では大工のトンカチの音が響きます。
指揮者の代わりに香坂が前に立ち、みんなをまとめます。そして演目の「運命」と「未完成」の練習を始めました。演奏がはじまると、二階で作業をしていた大工から激が飛びます。「運命」の出だしがあっていないと言うのです。大工姿で金づちをもち、二階から降りてくる中年男。この男こそが指揮者の天道でした。指揮棒ではなく、金づちで指揮をする天道。この日は四時間ずっと「運命」の初めの部分しか進まず、練習は終わってしまいました。
指揮者への不信を禁じえない香坂たちは、誰が自分たちを呼び集めたのか気になります。「電話で連絡をしてきたのは、若い関西弁の女の子だった」と、みんなが口をそろえて証言し、その正体があまねだと判明。そこで定食屋に集まり、香坂たちはあまねから天道とのつながりをたずねます。
ある日定食屋で食事をとっていたあまねに、「自分のオーケストラで笛を吹かないか?」と声をかけたのが天道でした。一般に口蓋の広い人はフルートに向いていて、たしかにあまねのたくあんを噛む音はいい音で、その音を聞いてあまねをスカウトしたと考える香坂は、妙に納得してしまいます。
マエストロ!のネタバレあらすじ:承
翌日、香坂はプロの中にあまねのようなアマチュアを入れることを反対します。しかしその言葉を無視して、天道は今日は「未完成」を練習すると言い出します。オーボエとクラリネットが合っていないと曲を通断し、何かと張り合う二人に喝をいれる天道。次はホルン担当の男に「差し歯か?」とたずね、今の日のうちに歯医者に行くようすすめました。
練習が終わると、みんなはコンマスの香坂に八つ当たりをしてきます。あまねを第一フルートに据えるなど、天道のやり方に納得のいかないメンバー。
次の日も、いっこうにまともに指揮棒を振ろうとしない天道。振るのはもっぱら大工道具のみです。この日、顔面神経症のせいでうまく音が出せないと思っていたホルンの一丁田ですが、演奏でばっちりみんなと音があって香坂を驚かせます。実は前日、天道が工場でホルンのベルを叩きなおし、きれいな音を取り戻していたのでした。
その頃から給料の話を誰もされていないことを心配するメンバー。天道にかけあうと、「今は金はないが、演奏会が終わったら払ったる」と言われ、余計に心配になる香坂たち。
香坂は天道について何か知らないかあまねにたずねました。以前天道の家で鍋をごちそうになったあまねですが、その時天道の家にヤクザがやって来て、借金を返すように脅されました。その時に、天道がヤクザにゴボウで頭を殴りかかります。このことがきっかけで、「運命」の出だしがみんなと合わせられるようになったあまね。
ある日、「未完成」の第一バイオリンだけがメロディーを奏でる場面で、「これで最後かもしれないという気持ちで弾いた事はあるか?」と天道に聞かれます。そしてあまねに見本を見せるよう指示する天道。あまねは幼い頃のことを思い出し、泣きながら演奏しました。周りの者も感動し、心揺さぶられます。
家に帰った香坂は、同じくバイオリニストだった亡き父と、幼い頃に父が語った演奏した後に静寂の中に訪れる「天籟(てんらい)」の事を思い出します。そんな中、スポンサーが下りると言い出しました。5年前に、天道が詐欺事件を起こしたと言うのです。
ステージマネージャーである相馬に香坂が話を聞きに行くと、天道の詐欺事件は嘘で、昔天道と香坂の父は同じオーケストラにいたと判明します。指揮者だった天道が、今と同じように駄目だしばかり行い、オーケストラのメンバーは荒れていました。それに悩んだ香坂の父は毎晩大量の睡眠薬を飲み、ついに倒れてしまいます。
本番では誰一人として演奏者は現れず、結局舞台は中止となり、その日以来天道は指揮者として舞台に上がっていません。香坂はなぜ自分を天道が誘ったのか、不思議に思いました。
マエストロ!のネタバレあらすじ:転
翌日、練習後にスポンサーがおりたこと、コンサートは中止になることをメンバーに伝え、再び中央交響楽団の解散が決まりました。第一バイオリンで老齢の村上(大石吾朗)は、指の動かなさを嘆き電車に飛び込み自殺を図ります。
しかし天道の「待て!」という言葉で思いとどまった村上。天道に、楽団オーディションで弾いた曲を弾けと言われ、公衆がいる液のホームでロンドカプリチオーソを弾かされ、若き日を思い出します。
再び演奏する場を失い、失意の香坂はあまねに会いに行きます。あまねは、自分のフルートは自分の父が買ってくれたもので、そしてその父は阪神大震災の際に自分の目の前で亡くなったことを話しました。彼女は「廃墟に吹く風のつくる殯笛の音を忘れられない」と、話しました。
天道を心配したあまねが天道の家に行くと、ヤクザが家財道具を全て持って行くのを見かけます。家の中には“天道ハル”と書かれた医療領収書が落ちていました。あまねは香坂と一緒に病院に向かいます。病室でベットに横たわる天道の妻。香坂を見て、香坂の父だと勘違いしたハルは、「バイオリンを弾いてほしい」と頼みました。香坂はバイオリンで曲を弾き出すと、幼い頃を思い出します。
かつて同じように病床にあった父が病室でも弾いていた事を思い出す香坂。そしてその時、天道が同席していた事も思い出としてよみがえってきました。天道は、「父親の音を追いかけるな」と言います。誰かと響き合えると、それは音と一緒で永遠になると話す天道。
解散してしまった楽団ですが、ティンパニーの丹下はバイト先のレジでもバチを動かす手を止められなかったり、やはり音楽がやりたいという気持ちはみんなの中にあり、ポツポツと練習場へ戻ってきます。そして最後に香坂が戻ってきて、再び練習が始まりました。
マエストロ!の結末
コンサートは何とか開催されることになり、公演一日目をむかえます。いつもよりもテンポが早くなったり、途中で指揮棒が飛ぶなどのハプニングもありますが、なんとか演奏を中断することなく曲は終了。観客からは大歓声が起こり、演奏し終わった香坂たちも幸せに満ちていました。
しかし、二日目、おかしなことが起きます、開場時間に客が一人もおらず、天道も来ません。開演時間になっても状況は変わらず、団員たちが舞台に上がってみると、誰もいないホールに、車椅子に妻を乗せた天道が入ってきました。
「彼女のために今日は弾いてくれ」と言う天道。すべては、彼女のための計画でした。香坂は「やりましょう!」とみんなに声をかけ、演奏が始まります。香坂も他のメンバーも必死で演奏し、天道の妻はゆっくり目をつむりました。
あくる日、倉庫の片づけをする天道。倉庫を出るとそこには香坂たちが待っていました。そして「あなたの棒ですマエストロ」と天道の指揮棒を差し出す香坂でした。
以上、『マエストロ!』のネタバレあらすじと結末でした。
この作品は「懐石料理」ではなく、せいぜい「ミックスフライ定食」か「幕の内弁当」と言ったところだろう。かと言って、決して見下している訳ではない。これはこれで良いのだ。「それなりに」 原作が漫画であり日本の下町が舞台となっている。であれば、雑居ビルや定食文化(ごった煮)の方がよりしっくりするのかも知れない。この作品も日本映画の伝統に則って多分にデフォルメ(戯画化)されているが、センシティブなオーケストラのメンバーと、老獪な指揮者のバトルは面白くて見応えも充分なのである。楽団員には極めて厳格な態度で臨み、たとえ練習(リハーサル)であっても一切の妥協をせづに団員たちを震え上がらせる。こういう指揮者がかつてはいた。彼等は大抵みな、「マエストロ!」と呼ばれていたのだ。日本流に言い換えれば「お師匠さま!」っと言ったところであろう。かつてのソ連時代の巨匠エフゲニー・ムラヴィンスキーは、手兵のレニングラード・フィル(当時は世界有数の偉大なるオーケストラだった)を鍛え上げた(虐め抜いた)。リハーサルは勿論のこと、通しリハーサル(ゲネプロ)も重ねて常に最高の演奏をさせたのである。ムラヴィンスキーは余りにもリハーサルの出来が良すぎたので、「これ以上の演奏は無理!」っと言って、本番のコンサートをキャンセルさせたこともあるくらいだ。これに匹敵する西側の指揮者はジョージ・セルであろう。セルは世界有数の名門オーケストラであるクリーブランド管弦楽団を更に鍛え上げ(虐め抜き)、そのアンサンブルの精緻さはベルリンフィル以上とまで言わしめたほどである。ムラヴィンスキーもセルも、楽団員(演奏者)をバラして個別に指導をしていたのでメンバーはさぞや「疲労困憊」でクタクタであったろう。このように病的なまでに「音」に拘ったからこそ、「歴史的な名演奏」が数多く生み出されたのである。さて、この映画「マエストロ」の天道徹三郎であるが、こんなに下品な指揮者はいないであろう。っと思ったら、やっぱりいた!ドイツ屈指の巨匠オットー・クレンペラーその人である。彼こそは更に天童の上を行く、折り紙つきの「下ネタ」満載の「変態オヤジ」なのである。クレンペラーは2メートル近い大男だったが、無類の(病的な)女好きで危険な「色情狂」でもあった。ホテルの部屋ではいつも全裸でリラックスして、女性が訪ねて来ても平然としていた。リハーサル時に女性奏者や女性歌手を口説くのは日常茶飯事のルーティンワーク。あるとき「オペラハウス」でリハの最中に某女性歌手の下半身を触りだしたクレンペラーは劇場支配人にダメ出しをされる。『マエストロ!ここはオペラハウスで売春宿ではありません』そう言おうとした支配人が間違って「マエストロ!ここは売春宿でオペラハウスではありません!」っと言ってしまった。それを聞いてクレンペラーは「そうだったのか!」と言って納得したのだそうだ。クレンペラーはこの手の性犯罪を重ねたので、結局は精神病院へ入院させられる。しかし見事に病院を脱走して、とうとう警察に逮捕されたのである。そして新聞の一面トップで「性犯罪者のクレンペラーが脱走、非常に危険!」と報道されて彼の名声は一気に失墜してしまう。クラシック音楽界にはほかにも多数の強者や「奇人変人」がいるが枚挙に暇がない。また劇中の回想シーンでは天道が若かりし頃に、オーケストラの団員から「ボイコット」されるというエピソードが挿入されていた。これは若き日の小澤征爾が「N響」からボイコットを喰らった時のエピソード(有名な実話)を下敷きにしている。オケの団員と名指揮者との逸話で、実際に私が当事者から聴いたものが幾つかある。その一つは、大フィルのメンバーと朝比奈隆のギャップに関するものである。リハの休憩時間に大フィルの第1ヴァイオリン奏者(共に若い男性と女性)が互いに顔を見合わせて会話をしていた。(女性奏者)「朝比奈さんって、リハーサルと本番が違ったりするんですよね」(男性奏者)「本番の演奏会ではリハとは全く違う指示を出して来るからね」 当の朝比奈隆は「私が奏者に何度も合図を出しているのに、それを全く見ていない奴がいるんですよ。こちらは音を出さないのでつくづく指揮者と言うものは頼りないものだと。」っと、氏がしみじみと語っていたのを想い出す。私は複数のヴァイオリニストやピアニスト、声楽家などプロの演奏家ともメールでのやり取り(演奏へのコメントなど)をしている。欧州のオーケストラにもエールを送ったり演奏会の論評をしたりしてお礼の返事も数多く貰っている。現代の巨匠マレク・ヤノフスキ(指揮者)と「ドレスデンフィル」の透明感と緻密なアンサンブルに。アラン・ギルバートと「NDRエルプフィル」のベートーヴェンの解釈について。高木凛々子(時価7憶円のストラディヴァリウスを貸与されている)のシュ二トケのヴァイオリンソナタ第1番の感想など。この映画ではコンマスの亡き父親がヴァイオリンの名手でオーケストラの団員だったという設定になっている。高木凛々子(96年生まれの26歳)のご両親もまた共に「読響」のヴァイオリン奏者である。超一流の演奏家の殆どが、代々芸術家の血筋を受け継ぐ「サラブレッド」なのである。指揮者と楽器奏者のギャップについてもう一つだけ触れておきたい。それは物理的な問題であり、具体的にはポジション(位置)の問題である。指揮者に聴こえる音と、各団員の聴いている音とは全く違うのである。第一ヴァイオリンの最前列に陣取るコンマスと、何列目の何番目のヴァイオリン奏者でも聴こえる音と音量は変わる。後方のティンパニやコントラバスや金管などもポジショニングによって聴こえる音は可成り異なる。なので、実際には指揮者にしか聴こえない音も存在するわけだ。これが指揮者と楽団員(奏者)の最大のギャップなのである。この映画の中でオーボエ奏者がナーバスになってリードを削るシーンがある。木管や金管などの管楽器はデリケートで演奏が難しい。例えばホルンのブレスコントロールは困難なので、音が外れたり音の出が悪かったりするのは当たり前。そもそもマウスピースの当たり具合によっても微妙に音が変わるのだから。ストラビンスキーの「春の祭典」は、ファゴットの高音のソロ(ハイD:音域)で始まるのだがこれを非常に恐れる奏者もいる。第1部の最期の音は冒頭のソロより一音高い「ハイE」となっている。このハイEという音は音域外なので中々鳴らないのである。更にこのソロは、とてもリズムが複雑で5連符に装飾音がついたり、3連符の真ん中の音がさらに3連符になっていて、そこに装飾音がついているとかの変拍子が続くのだ。このリズムが頭の中で整理されていないと先ず吹けないのだそうだ。ファゴット奏者に言わせると本番で客席が静まりかえり、いよいよ始まるという緊張感の中で演奏するのが難しいのだと言う。私はファゴットの見せ場だと思うのだが、それが却ってプレッシャーになるのだそうだ。この映画とは直接関係がないクラシック音楽の「四方山話」を書いてきた。その締めくくりとして、クラシック音楽とクラシック音楽のファンに関しての持論(提案、或いは苦言)を述べたい。日本の典型的なクラシック愛好家は概ね「ブランド志向」で、「減点主義」の融通が利かない「原理主義」が多く見受けらる。曰く、「ベルリンフィルが最高で、その他のオケは大したことはない」とか、「絶対にウィーンフィルだ」或いは「シュターツカペレ・ドレスデン」だの「シカゴ響」などと限定しようとする。何が何でも「フルトヴェングラー」でなければならないとかも。また重箱の隅を楊枝でほじくるような「減点主義」も多くはびこっている。音楽の全体の流れとドラマの繋がり具合など、もっと「大きな視点」で「ダイナミック」にみることも重要だと思う。更に自由で伸び伸びとした演奏や、「自由闊達」で活き活きとした鮮烈な音楽をもっと評価すべきだと考えている。私はどちらかというと、新進気鋭の指揮者や演奏家(取り分け女性アーティスト)をより高く評価している。この映画「マエストロ!」を通じてより多くのクラシック愛好家が増えることを祈念して結びたい。