ウォーナーの謎のリストの紹介:2016年日本映画。第二次世界大戦中、ウォーナーリストを作成したラングドン・ウォーナーと、神田神保町の古書店街を救ったと言われるセルゲイ・エリセーエフ。二人は日本の文化財を守るため不安定な情勢の中で奔走していた。彼らの真実を突き止めるため調査をすると、2人の共通点が見えてきた。国内外32人の関係者の協力によって、日本の文化財を守るために尽力した人々の謎に迫るドキュメンタリー。
監督:金高謙二 出演者:小泉晋弥、ユキオ・リピット、パトリシア・J・グラハム、矢吹晋、八木壯一ほか
映画「ウォーナーの謎のリスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ウォーナーの謎のリスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ウォーナーの謎のリストの予告編 動画
映画「ウォーナーの謎のリスト」解説
この解説記事には映画「ウォーナーの謎のリスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ウォーナーの謎のリストのネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦中、京都は「ウォーナーリスト」のおかげで空襲被害がなかったといわれています。
同じく、世界一の本の街、東京・神田神保町も戦禍を免れていました。歴史作家の司馬遼太郎は自著の中で、神田神保町が空襲を受けなかったのはロシア人のセルゲイ・エリセーエフがマッカーサーに進言したからと書いています。
果たして京都と神田神保町が空襲被害に合わなかったのは何故なのか、その謎に迫ります。
ウォーナーの謎のリストのネタバレあらすじ:承
神田神保町を空襲から守ったといわれるロシアの東洋学者セルゲイ・エリセーエフ。パリ万博をきっかけに東洋文化に興味を抱き、その後、東京帝国大学に入学します。
エリセーエフは漱石の門下生として多くの文人たちと親交を深めました。
彼は帰国後、ロシアで日本語講師となりますが、ブルジョワ階級であったためロシア革命により投獄されてしまいます。その後アメリカに渡り、ハーバード大学で日本文学を担当します。偶然にも同じ頃ウォーナーリストの作成者もハーバード大学に居ました。
「ウォーナーリスト」の作成者、ラングドン・ウォーナーはアメリカの美術史家です。ハーバード大学卒業後、岡倉天心の門下に入り、日本古代美術展のカタログ『日本の寺とその宝物』の英訳協力もしています。
一方、中国・敦煌から仏教壁画を剥がしたという衝撃的なエピソードも残っています。ハーバード大学・イェンチン研究所のエリザベス・J・ペリー所長は、「文化的価値を保存するためだった。彼は古いもの、重要なもの、価値のあるものを見つけ出す能力にたけていた」と語ります。また、ウォーナーは日本の美術研究家矢代幸雄、後に日米開戦の回避に奔走する朝河貫一とも親交を深めていました。
矢代は1921~25年頃ハーバード大学で勤務し、ウォーナーの友人でもありました。戦後は東京国立文化財研究所所長を務めており、GHQ司令部にもハーバード大学時代の顔見知りが多くいました。
朝河貫一は早稲田大学を卒業後、アメリカに渡り1907年からイェール大学で教鞭をとります。1941年、朝河貫一は日米開戦を避けるため、ルーズベルト大統領に昭和天皇宛親書を書かせようと奔走します。ウォーナーも貴重な文化財が被害に遭うことを危惧し、その親書作成に協力したといわれています。
ウォーナーの謎のリストのネタバレあらすじ:転
戦時中、神田古書店の多くが空襲被害を免れた理由はエリセーエフがマッカーサーに進言したからだ、ということについて、早稲田大学の山本武利名誉教授は「エリセエーエフは当時マッカーサーが嫌っていたOSSに所属しており、進言できる立場ではない」と話ります。
時を同じくして、アメリカは後に「ウォーナーリスト」と呼ばれる日本の文化財リストを作成、空爆すべきではない151の日本の文化財を記録します。なぜこれほどまで緻密なリストが作成されたのでしょうか。実は、在日米軍によるガイドブックのような目的で作成され、かつてウォーナーが英訳した日本古代美術展のカタログが下敷きになっていました。
また、京都では戦時中アメリカは文化遺産が多く残っていることを知り空襲をしなかった、と語り継がれています。しかし京都が空襲されなかったのは原爆投下の候補地だったからなのです。京都は盆地であり、市街地は碁盤の目のようなつくりをしており、原爆の破壊力を観測するには好条件な土地でした。空襲が続くと原爆の本当の破壊力がわかりにくくなるため、あえて空襲を控えていたのです。
また、1945年にトルーマン大統領の近くにいた参謀ヘンリー・スティムソンの進言も一つの理由です。スティムソンは戦前に旅行で2度京都を訪れていました。スティムソンは原爆投下のゴーサインを出す立場にありましたが、戦前に旅行した京都に思い入れがあったのか、京都への原爆投下サインは出しませんでした。
ウォーナーの謎のリストの結末
戦後、日本では「戦時中、米軍はウォーナーリストにより古都の文化価値を尊重していた」というウォーナーを恩人とする風潮が起こります。しかし、ウォーナー本人は「自分が救ったのではない」と恩人扱いを迷惑がっていました。
戦時中文化財リストを作成したウォーナー、そして彼と同じように日本の文化を愛したエリセーエフや朝河寛一、矢代幸雄も真摯に日本の文化財に向き合いました。もし、戦時中に日本の文化財が空襲被害に遭っていたら、今の日本の文化はどうなっていたでしょう。現在も紛争地帯では戦争によって文化遺産が破壊される事態が続いています。文化遺産を破壊すること、戦争の愚かさを訴え、幕を閉じます。
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