ハッシュ!の紹介:2001年日本映画。ペットショップに働くゲイの長谷直也は、ある夜ゲイ友達と飲み歩き、栗田勝裕に出会い一夜を共にする。勝裕もゲイなのだ。会社にバレないように慎重に生活をしていた。それから二人は付き合いだす。藤倉朝子は不摂生な生活で筋層内筋腫になり手術を勧められる。子供が産めなくなるかもと、初めて真剣に考える。ある雨の日、蕎麦屋で食事をしていた二人は傘が無かった朝子に出会い傘を貸す。二人がゲイだと気付いた朝子は勝裕に結婚は求めないが子供が欲しいと相談した。戸惑う勝裕だったが徐々に真剣に考え出し、妙な三角関係になってゆく。
監督:橋口亮輔 出演:田辺誠一(栗田勝裕)、高橋和也(長谷直也)、片岡礼子(藤倉朝子)、秋野暢子(栗田容子)、冨士眞奈美(長谷克美)、ほか
映画「ハッシュ!」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ハッシュ!」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ハッシュ!」解説
この解説記事には映画「ハッシュ!」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ハッシュ!のネタバレあらすじ:起
長谷直也はペットショップで働いていた。直也はゲイだ。飲みすぎたある朝、目覚めると栗田勝裕が家にいた。歯科技工士の藤倉朝子はある日、筋層内筋腫になってしまい手術を勧められた。いろんな人と寝たことが原因だと言われた。朝子は中絶を2回もしている。病院を出たその足で父親の所に行き事情を話すが素っ気なかった。直也と勝裕はあの一夜から関係を持つようになっていた。勝裕は会社にゲイだということを隠して生活している。
ハッシュ!のネタバレあらすじ:承
ある雨の日、蕎麦屋で直也と勝彦が朝子に傘を貸した。だがその傘が壊れてしまう。新しい傘を買った朝子は勝裕の会社に傘を届けた。勝裕の会社の事務員永田エミは勝裕に好意を抱いていた。
ある日エミは知り合ったばかりの朝子を誘ってご飯に行く。突然エミは勝裕の相談をした。だが内容は結婚するという嘘の相談だった。朝子は勝裕のところに行き結婚するのか確認をした。そして直也が恋人なのかたずねた。そして朝子は突然子供が欲しい、あなたは父親になれる目をしてると言い出した。結婚などを求める訳でもなく子供を産みたかったのだ。話をしてるところをエミに見られる。とっさに抱き合う芝居をした。そして勝裕は直也に今日の話をした。ある日、産婦人科を訪ねた勝裕は赤ちゃんをボーッと眺める朝子に会った。
ハッシュ!のネタバレあらすじ:転
勝裕の携帯を間違って持ってしまった直也。携帯に朝子から電話が来て朝子に会う。子供を諦めない朝子は直也にも協力を依頼した。何度も朝子と会って、はっきり断れない勝裕に直也は怒って喧嘩をしてしまう。勝裕は同僚の結婚式のため兄夫婦のいる実家に来た。勝裕は直也の元へ帰り仲直りした。ある日朝子と3人でファミレスに来た。朝子は沢山の資料を集めていた。子供の作り方はスポイトでやると言い出した。そして徐々に3人は仲を深め子供を作る事にも前向きになっていった。ある日、直也の母親と勝裕の兄家族が来た。エミは直也の母や兄夫婦に手を回し妙な手紙を送りつけた。朝子は事情を正直に説明し自分の想いを伝えた。激怒し反対する兄嫁だった。エミが勝裕を呼び出した。泣きつくエミにはっきり言えない勝彦だった。
ハッシュ!の結末
兄が事故に合ったと連絡が入る。打撲程度だったのだが亡くなってしまう。兄嫁は初七日後すぐに消えた。泣き崩れる勝裕を朝子と直也が慰めた。ある日朝子は引越しをした。直也と勝裕が手伝って鍋を囲んだ。そして朝子は大きめのスポイトを買ってきていた。スポイトを勝裕に渡した。そして朝子は直也にも渡した。勝裕と子供を作った後、一人っ子は可哀想だからと、直也の子供も作ると言いだすのであった。
「ハッシュ!」感想・レビュー
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「一石を投じる」という言葉があるがこの作品がまさにそれで、映画「ハッシュ!」は実に多彩な変化球を投げ分けてみせてくれた。 好むと好まざるとに関わらず「この世の中」は「多様性」に満ちている。 いや、寧ろそれが前提なのである。 一般的にはホモセクシュアリティ(同性愛者)⇒「レズビアン」「ゲイ」、そして、ヘテロ(異性愛者)というように「ざっくりと区分け」されている。 しかし実際にはもっと複雑であり、概ね本人にしか解らない「個別の嗜好」が関わって来る。 例えば「筋骨隆々のマッチョ」な「男性同士」の恋愛もあれば、「マッチョマン」と「オネェ」のカップルもある。 更に「筋骨隆々のマッチョ」が実際(本質的:中身)は「オネェ」だったりするからそれはそれなりに複雑でややこしい。 ちょっと前に「薔薇の葬列」の映画レビューで触れたが、かつて私は女性関係に疲れた折に、「ゲイバーやボーイズバー」へ通った時期があった。 更には「ビアンバー」(レズビアンバーのことで一部の例外を除いて殆どが男子禁制の女性専用)にも足を踏み入れた。 「ビアンバー」では3人の若き「オナベ」(或いは男装の麗人?)たちと出逢い、彼女たちの良き理解者(相談相手)として長く親交を結んでいた。 出逢った頃の3人は恰も「タカラジェンヌ」のような美貌を誇る「ボーイッシュな魅力」に溢れていた。つまり「美少女」と言うより「美少年」という外観(印象)だったのだ。 しかし数ヶ月後から~更には1年以上~が経過すると「彼女らの男性化」が進み、いつの間にか髭を生やした「マッチョマン」になっていた。 3人はそれぞれが注射を主とした「ホルモン療法」を受けていると言っていた。 そして3人は口々に「私はただ好きな女性と一緒に暮らしたいだけなのですよ」とか、「あのね、無理なことは分かっているんですけど、どんなに小さくても良いから男性器が欲しの」とも言っていた。 男性から女性への「性転換は可能」だがその逆は少々難しい。 そこに在るもの(男性器)を切除することは出来ても、そこに無いもの(男性器)を作ることは「不可能」だからだ。 そんなことは解っていても当人たちにとっては至って「切実なる問題」なのである。 また旧知の仲の「ゲイの美少年」が前途を悲観して「自殺」したこともあった。 彼の20歳の誕生日の直前の「年の瀬の突発的な出来事」だった。 ところで、人間は自分の立つ位置によって万物に対する印象や「ものの見方」は変わるものなのである。 だからこそ「凡そ人間界において」は、「絶対的な価値観」や「美醜のセオリー」や「絶対的な正義」や「悪」などは存在しないのである。 これはすなわち立場が変われば「価値観も逆転」し得るということである。 つまり万物は曖昧にして「相対的」であり、また極めて「流動的」なのである。 卑近な例で言えば「自然保護」を旨とする「環境活動家」と、日々の生活が懸かっている「漁師」とでは互いの利害は対立している。いわゆる「利益相反」ということだ。このような例は他にも「無数に存在」している。 例えば多くの種類の「動物たちや昆虫」などは、人間による「一方的な思い込みや利害や論理」によって「多くの種が絶滅」させられたのである。 つとに有名なのが「豪州全域に広く分布」し、数多く生息していた「タスマニアタイガー」(フクロオオカミ)であろう。 タスマニア島の移住者たちは「自分たちが連れて来た家畜」(ヒツジ)を襲う忌まわしき獣として、報奨金までつけて狩猟等により「徹底的に虐殺」して行ったのである。 それらの「動物や昆虫などの立場」から見れば、「最悪の害虫」は寧ろ「人間」の方ではなかろうか。 私は今回「ハッシュ!」を見ながらそう考えていたのである。 さてここで話を再び映画「ハッシュ!」の方に戻そう。 監督/脚本を手掛けた原作者の橋口亮輔がゲイなので、その「語り口は滑らか」でありまた「極めて饒舌」でもある。 私は「ゲイ」ではないが、「LGBT界隈」の豊富な経験を踏まえて、「ハッシュ!」の中の数多くのエピソードには「腹を抱えて爆笑」させてもらった。 ゲイバーやゲイカップルの「あるある」が満載だったからだ。 彼らの(ゲイの多くの)嗜好や「思考回路は複雑」だが、実際には「直情的にして即物的」なので案外わかりやすかったりもする。 つまり彼らは常に良くも悪くも「欲望丸出し」だからである。 ゲイの若者たちは見掛けに寄らず「野性的でワイルド」な人が多いように思う。 この映画に出て来る人々(登場人物)は、それぞれが「自分の側の論理」(立場 立場の理屈)で物事を見ている。 直也と勝裕も「互いの温度差」を承知の上で同棲しているし、割って入った飛び入りの朝子は「チャランポラン」で基本的には「誰とも和合」しない「難物」(問題児)である。 直也の母も善人ゆえに「一本気」であり、一歩も譲らず他人には手厳しい。 勝裕の兄は凡人で「ことなかれ主義」だが、勝裕の義姉は「冷徹なリアリスト」であり高圧的でもある。 そして勝裕の会社の事務員エミは「思い込み」が激しく「夢想を飛び越えた妄想」に走っている。 このような人々はみな(私も含めて)「愛すべき凡夫」なのである。 大抵は「噛み合わない」かも知れないが、それらが「ハマった時」には当人の間では「奇蹟が起きる」こともある。 だからこそ人は「みなが面白い」し、人生は「多彩で味わい深い」ものなのである。 私もかれこれ65年間「人間をやっている」が、今でも「わかっちゃいるけどやめられない」のである。 いずれ「鬼神から呼び出しが」かかり、「天に召されるその日までは」せいぜい人生を味わい尽くそうと考えている。
性的マイノリティーの人たちの切実な悩みが、ユーモアセンスたっぷりとしたタッチで描かれていて面白かったです。「男らしさ」や「女らしさ」を押し付けてきた、これまでの時代の風潮や社会の価値観について考えさせられました。肉体的な性別に捉われることにない、3人の男女の奇妙な共同生活の風景には心温まるものがありました。