雨あがるの紹介:1999年日本映画。故黒澤明が山本周五郎の短編をもとに書いた遺稿脚本『雨あがる』を黒澤組のスタッフによって映画化。剣の達人でありながら人を押しのけてまで出世することが出来ない心優しい武士をユーモラスに描く。
監督:小泉堯史 脚本:黒澤明 原作:山本周五郎 出演:三沢伊兵衛(寺尾聰)、三沢たよ(官崎美子)、永丼和泉守重明(三船史郎)、奥方(檀ふみ)ほか
映画「雨あがる」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「雨あがる」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「雨あがる」解説
この解説記事には映画「雨あがる」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
雨あがるのネタバレあらすじ:第一章 優しさ
時は延宝年間、季節は真夏ですね、殿様が紗か上布の羽織を羽織っていたので。
大雨の為に川留で難儀する浪人と奥方の十日間の物語です、三沢伊兵衛(浪人)は川を見に行き、この様では当分川越出来ぬなと独り言をいう。物語はここから、緩りと始まります、川留で、すし詰めの旅籠そこは飲まず食わずの極貧の旅人が雨宿りで肩を寄せ合う場でしかない、腹が減り、思いとは裏腹に雨は降り続く、遣る瀬無さから旅人同士の些細な争いも起きます、三沢は此れを見て、笑顔を取り戻そうと城下町へ赴きます、その夜、米、魚、具材、酒を買い、旅籠で酒宴を開きます、子供はめしを頬張り、大人は酒を飲み、芸をして憂さを晴らします、この様な事が一年に一度でも有れば、どんなに辛い事があっても我慢できるのにな、の一言に此の人達の境遇が現れてると思います、三沢は中座し奥方の元に、奥方は全て承知の上で伊兵衛の言い訳を聞き、笑顔で許します、三沢は城下の剣道場に賭け試合をしに行って、その金子で旅人達の一時の幸せを購ったのです。
雨あがるのネタバレあらすじ:第二章 出会い
次の朝雨は上がり、伊兵衛は一人汗を流すと言い残し、散策に出かけます、そこで果し合いに出会い、両者の間に割って入りますが血気盛んな若侍、収まりが付かない、説教しながら剣を取り上げる三沢、そこに様子を見ていた殿様とお付の侍が現れ、若侍は敢へ無く御用になり、藩主は不明を侘び立ち去ります。後日、近習が迎えに来ますが少し困った事に、着て行く物がないと奥方に泣きつきます、奥方は準備万端整えており、急ぎ裃に着替え、伊兵衛は登城します、そして拝謁の折に剣術指南役として勤めぬかと誘われます、殿は三沢の人となり、腕前に惚れてはいますが、過去を知りません。
雨あがるのネタバレあらすじ:第三章 過去
殿は仕官にあたり身の上を聞きます、彼は奥州の小さな潘の勘定方に勤め机仕事が合わず脱藩、江戸に出ようとしたのですが江戸に行く路銀をどうするか悩み友に相談します、江戸に上るには色々な城下町を通る町道場も在る、そして必ず道場主にご教示をと粘り、試合に持ち込み、相手が打ち込んで来る時に木刀を投げ出し、まいったと平伏すれば、道場主は気持ち良くなり、奥に招き食事を馳走し路銀も包んでくれる、江戸までは上手くいったのですが、此処を最後と決めて訪れた先が無外流 辻月丹先生の道場(実在し音に聞こえた剣客で無外流の始祖です)気軽に立ち会って下さったのですが、私より先に辻先生がまいったと言われ当惑してしまい、全てを包み隠さず話した所、勝とうとする欲が感じられなかった理由に納得され、その後内弟子にして下さり、厳しく稽古を付けて下さり師範代にまで進む事が出来ました。
雨あがるの結末:流転
その後先生の推挙で仕官まで世話になりましたが、どうも居づらくなり浪人になったそうです、彼の優しさ、気遣いが剣術を習う者の心を傷つけたのでしょうね、後日御前試合の時にも彼の性格が禍いします、勝者が敗者を気遣い過ぎれば、負けた者は居た堪れなくなるのでしょう、その後の朝、川の水は引け旅人達は三沢夫婦に感謝と別れを告げ旅立って行きます、奥方も旅支度を始めます、伊兵衛は未練そうに使者を待っています、そこに家老が近習頭を伴い仕官の断りを入れに来ます、賭け試合が理由でした。路銀の足しにと袱紗に包まれた金子を伊兵衛に渡しますが固辞します、そこに奥方が控え有り難く頂戴します、主人には賭け試合をせぬよう願っておりました、でもその願いは間違いで御座いました、主人も賭け試合が不面目で有る事は知っていたと思います、止むに止まれぬ場合が有るのです、大切なのは主人が何をしたかではなく、何の為にしたかではありませんか、此の後夫婦は旅立ちます。近習頭は一部始終を報告します、殿は供を引き連れ馬に乗り川を渡り引き戻しに走ります。
この映画が初めて劇場で公開された時、晩年の黒澤明監督の作品に違和感を持つ者として、黒澤明の残した脚本を、黒澤組の助監督が映像化する話には、最初、あまり興味と魅力を感じなかったものだ。
どうせ直球一辺倒で、正座して観なければならないような映画だろうと思ったからです。
しかし、観終わった時、それは予想に反し、心地よい方へと見事に裏切られましたね。
この映画は、「赤ひげ」など黒澤明が好んだ山本周五郎の原作だ。
江戸時代、剣の達人・三沢伊兵衛(寺尾聰)は不器用なために浪人暮らしを余儀なくされていた。
妻たよ(宮崎美子)と旅をする途中、大雨で足止めされた土地で領主(三船史郎)と出会い、仕官の話が持ち上がるが——-。
この映画を観て、夫婦は互いに信頼し合おうとか、他人を押しのけて出世するのはよそうとか、そんな薄っぺらなヒューマニズムを読み取ることも可能だとは思う。
しかしながら、この映画を深読みして観ると、これは何と言ってもウェルメイドのコメディーなんですね。
伊兵衛に試合を挑んだ威張り屋の領主が、転んで垣根の向こうに消えた直後、水しぶきの音が聞こえるという処理の仕方。
物静かなたよが、いつもの丁寧な口調で客人に暴言を吐く間合い。
真面目な演技をすればするほど、おかしみが生じる。特に、力みかえった三船史郎の演技には、素人の演技ながら何度も吹き出させられた。
無論、黒澤の名で足を運ぶ観客への目配せも怠りない。
冒頭の突き刺さるように降る豪雨。安宿で繰り広げられる歌と踊りのセッション。
そして、侍の首から噴き出す血など、ほとんど「椿三十郎」のパロディーかと思うほどのサービスぶりなのだ。
しかし、飄々とした演出で笑わせる小泉堯史監督のセンスは、明らかに黒澤明のものとは異なっていると思う。
大巨匠の縮小再生産の映画ではないかと思い込んでいた偏見を、大いに反省しましたね。
その上で、小泉堯史監督という新しい才能の登場を、心から喜びたい心境になりましたね。