悦楽共犯者の紹介:1996年チェコ,イギリス,スイス映画。それぞれ特殊な性癖を持つ男女6人の群像劇。彼らが悦楽を求め創意工夫に励む姿を大真面目に描いた怪作である。台詞は無いものの、実写とストップモーション・アニメーションを組み合わせた映像が飽きを感じさせない。
監督:ヤン・シュヴァンクマイエル 出演者:ペトル・メイセル(ピヴォイネ)、ガブリエラ・ヴィルヘルモヴァー(ロウバロヴァ)、バルボラ・フルザノヴァー(マールコヴァ)、アナ・ヴェトリンスカー(アンナ・ウェントリスカ)、イジー・ラーブス(クラ)、パヴェル・ノヴィー(ヴェトリンスキー)ほか
映画「悦楽共犯者」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「悦楽共犯者」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「悦楽共犯者」解説
この解説記事には映画「悦楽共犯者」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
悦楽共犯者のネタバレあらすじ:6人の悦楽探求者
中年男性ピヴォイネは、ポルノ雑誌ばかり扱っている書店に入りました。店主クラは店番をしながら何か機械を制作しています。雑誌を購入しアパートに帰宅したピヴォイネ。そこへ郵便配達員マールコヴァが現れ、手紙を渡します。手紙には「日曜日に」とだけ書かれてありました。その様子を隣人ロウバロヴァが目撃。マールコヴァはそのままアパートの階段の陰に身を隠し、鞄から取り出したパンをちぎって小さな球を何個も作り始めます。ピヴォイネは慌てて外出し黒い傘を数本購入しました。店内には不審な動きをする男性ヴェトリンスキーがいます。クラは店を閉めると、奥の部屋でテレビをつけ女性ニュースキャスターアンナ・ウェントリスカに見入ります。
悦楽共犯者のネタバレあらすじ:悦楽のための作業
帰宅したピヴォイネは生きた鶏とナイフを持ってロウバロヴァを訪ねます。彼女は何のためらいもなく鶏の首を裂きました。部屋に戻ったピヴォイネは鶏を調理し、購入した雑誌や粘土、むしった羽などで鶏の頭そっくりの被り物を作ります。ヴェトリンスキーは街中を物色し、指サックや毛皮の一部など気に入った物を万引きしたり盗んだりして帰宅します。離れに直行する彼の姿を妻のアンナが家の窓から見ています。そのアンナを偏愛するクラは作り物の女の腕を取り出し、テレビ一体型の機械に数本取り付けました。画面にアンナが映ると機械を動かします。レバーを引くと、テレビ画面のアンナだけが大写しになりました。外出したロウバロヴァはゴミ箱から藁を拾い、ロウソクを購入します。その間にピヴォイネはこっそり彼女の部屋に侵入。傘の布を裂きミシンで縫い合わせ、コウモリの羽根のような翼を作ります。更に服や帽子、靴などを盗んで部屋に戻ります。
悦楽共犯者のネタバレあらすじ:悦楽の日曜日
やって来た日曜日。ピヴォイネはきちんとした服装に身を包み、大きな鞄に鶏の被り物や弁当などを入れます。更に盗んだ衣服を着せた人形に麻袋を被せ部屋を出ました。その頃、ヴェトリンスキーは盗品を組み合わせ自慰のための器具を作っていましたが、材料が足りずに街へ車を走らせていました。お目当ての品を発見し、キーを抜かずに慌てて車から降りたヴェトリンスキー。そこへやって来たピヴォイネが荷物を車に積み、山中へと走り去って行きました。古い建物に入ったロウバロヴァは、椅子の上に水の入ったタライとロウソクを用意し、クローゼットに入ります。出て来た彼女は目元を隠す仮面と鞭を身に付け、ピヴォイネそっくりの人形を放り投げます。彼女が鞭を振りかぶると人形は慌てて服を脱ぎ全裸になります。人形を鞭打つと裂け目から藁がこぼれます。何度も鞭で打たれボロボロになった人形の頭を水に沈めると、ぐったりして動かなくなりました。
悦楽共犯者のネタバレあらすじ:それぞれの悦楽
ピヴォイネは車を走らせ続け、ひと気の無い山中で荷物を降ろします。傘の翼と被り物を装着した彼は、椅子に縛り付けた人形の周りをぐるぐると回り始めました。人形の顔はロウバロヴァにそっくりです。ピヴォイネは食事を挟みながら怯える人形をいたぶり続け、飛び上がって大きな岩を落とします。めちゃくちゃになった人形を見て悦楽するピヴォイネ。マールコヴァはパンの球を鼻と耳の穴から体内に注ぎ入れうっとりしています。冷え切った夫婦生活の慰めか、鯉を飼い始めたアンナ。そこへマールコヴァが小包を配達します。中にはパンの球がぎっしり入っていて、アンナはそれを鯉に食べさせます。ヴェトリンスキーは離れで完成した器具に全身をまさぐられながら恍惚の表情を浮かべていました。こちらも機械を完成させたクラは、テレビにアンナが映るとスイッチを入れます。作り物の腕がクラの体を撫で回し、大写しのアンナの顔を舐め回すと画面の向こうの彼女も喘ぎ出します。アンナは鯉を放したタライに素足を入れ、足を吸われて悦楽に浸っていたのでした。
悦楽共犯者の結末:交錯する悦楽
街に戻って来たピヴォイネをテレビ画面のアンナが見つめます。マールコヴァは藁をゴミ箱に捨て鯉に見入っていました。クラの書店には機械専門誌ばかりが並んでいます。微笑むクラは鶏の被り物を作っていました。ピヴォイネがアパートに帰ると、パトカーや救急車が取り囲み物々しい雰囲気になっています。ストレッチャーで運ばれて来たのは頭部が血まみれになったロウバロヴァの遺体でした。彼女の部屋を覗き込むと床にはピヴォイネが人形に落とした岩があります。クローゼットの毛皮に頬ずりをしていた刑事が振り向くと、それはヴェトリンスキーです。ピヴォイネが部屋に戻ると椅子の上に水の入ったタライが置いてありました。唾を飲み込んだピヴォイネはゆっくりと服を脱ぎます。彼を誘うようにクローゼットの戸が開き、この映画は終わりを迎えます。
以上、映画悦楽共犯者のあらすじと結末でした。
独断と偏見を交えて自由闊達な見解を述べれば、この映画は「巧妙に仕組まれた仕掛け花火」であり、「機械仕掛けの異様な欲望」でもあると思う。 私は増村保造の「盲獣」の映画レビューで、「性的倒錯者」或いは「ネクロフィリア:死体愛好家」と言う表現を用いた。ヤン・シュヴァンクマイエルの「悦楽共犯者」もまた病的な「性的倒錯者」を扱った作品となっている。「性的倒錯者」だけが極めてレア(稀)な存在で、特殊な性癖や習慣を身に付けた変人というわけではない。凡そ人間たるものはみな多かれ少なかれ屈折し倒錯した存在なのである。古来我が国においては、「無くて七癖、有って四十八癖」と言われている。ことほどさように本人は特に意識せずとも、他人が見れば奇異にして珍妙なる癖があるものだ。この映画に登場する6名の男女も其々が「破茶滅茶」であり「完全に壊れている」。一つだけ確実に言えることは、この作品は夢の中の出来事を拾い集めて、それらを巧妙につなぎ合わせていると言うことである。作者であるヤン・シュヴァンクマイエルが述懐するように、この作品を含めた彼の映画は概ね「夢の中の出来事」に基づいている。彼がリスペクトしているエルンストやダリは「シュルレアリスム」或いは「ダダイスム」の代表的な「藝術家」である。シュールとは「超現実」のことであり、平たく言えばこれは「夢」のことである。エルンストやダリやマルグリットなどの作品を見るとこれは一目瞭然である。彼らが「夢」から発想を得たであろうことは想像に難くない。「wikipedia」によるとヤン・シュヴァンクマイエルは、「夢はさまざまな文明にとって不可欠だと考えており、現実と夢をないまぜた世界を撮ることを意図している。自身の夢日記をノートに記録しており、当初は普通の日記と使い分けていたが、やがて1冊になり、夢と現実の内容をともに書くようになった。」と言っている。(⇐「」内はwikipediaより引用) 「夢」は潜在意識の産物であり、人類が共有する「集合的無意識」とも通底しているのである。〈かつてカール・グスタフ・ユングが「集合的無意識」という概念を提唱した。集合的無意識とは人間の潜在意識の奥(深層)に眠っている原始意識に影響していて、個人としての意識ではなく、人類(生物その他の万象)に共通する集合としての先天的な構造領域なのである〉 ところでヤン・シュヴァンクマイエルは元々が、「テラコッタ」(粘土細工と素焼き)や様々な部品を組み合わせて完成させる「オブジェ」の作家である。つまりは、「造形芸術」の分野で活躍する「前衛藝術家」なのである。その彼が監督して映画を創作するのだから緻密にして巧妙なのは寧ろ当然だと言えよう。これは「エイリアン」をデザインしたH・Rギーガーや、「シンドバッド」シリーズなどで活躍したレイ・ハリーハウゼンが映画を監督するのと基本的に同じことなのだ。 そして「wikipedia」によると、この映画は6人の「エロティックな趣味人」に捧げられているらしい。それがみな錚々たる顔ぶれで、その中に前述したエルンストやフロイト(ユングではない)などが含まれている。私もかつて克明に「夢日記」を着けていた時期があった。夢はその殆どが取り留めがなく理不尽で不条理なのものである。しかし夢をみている時だけは妙に説得力があるのも確かだ。「ああなるほど、こうなっていたのか」等と言う具合に。私はこれまで小説や映画は「一つの世界」であると言って来た。それで「夢」というものもまた立派な「一つの世界」なのである。 この「悦楽共犯者」は稀有(レア)で贅沢で独創的な素晴らしい作品であると思う。外国の某「映画サイト」を利用してこの傑作を【保存版】にできたので、私の「膨大な映画コレクション」の一つとしてこの先、末永く鑑賞してゆきたいと考えている。