エクスタミネーターの紹介:1980年アメリカ映画。ニューヨークでチンピラに襲われたジョンはマイケルに助けられます。しかしチンピラの報復によりマイケルは再起不能の廃人となってしまう。怒りに燃えるジョンはエクスタミネーター(街のダニの処刑人)となってチンピラたちを殺害し、街のダニを順番に抹殺してゆくという話です。ベトナム戦争を背景にしたリベンジバイオレンス映画です。
監督:ジェームズ・グリッケンハウス 出演者:ロバート・ギンティ(ジョン)、クリストファー・ジョージ(ダルトン警部)、サマンサ・エッガー(ミーガン)、スティーヴ・ジェームズ(マイケル)、トニー・ディベネデット(マイナー)ほか
映画「エクスタミネーター」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「エクスタミネーター」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「エクスタミネーター」解説
この解説記事には映画「エクスタミネーター」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
エクスタミネーターのネタバレあらすじ:起
時はベトナム戦争です。ベトコンに捕虜となったジョンはもう一人の捕虜と共に縛られ処刑の順番を待っていました。一人が首をはねられます。その光景を見たジョンは恐怖におののきました。次は自分の番と思ったところに戦友のマイケルが銃撃をしながら助けに来ました。死の恐怖におびえ、逃げることもままならないジョンでしたがかろうじて逃げ切りました。ジョンは処刑される寸前でマイケルによって助けられたのです。
エクスタミネーターのネタバレあらすじ:承
ニューヨークに帰った二人は飲料品倉庫で働いていました。そこにやってきた倉庫荒らしのチンピラ達にジョンは絡まれ襲われました。ここでもマイケルが助けに入りジョンは再びマイケルに助けられました。しかしその後マイケルは痛めつけたチンピラ達に待ち伏せに遭い復讐され酷い暴行を受けました。病院のベッドで寝るマイケルは半身不随の廃人状態になっていました。自分を助けてくれたマイケルの今の姿を見て自責の念にかられたジョンはチンピラ達に制裁を加える決意をしました。
エクスタミネーターのネタバレあらすじ:転
チンピラの一人を見つけ暴行し居場所を聞いたジョンは、万全の準備をし、チンピラの溜まり場に襲い掛かりマシンガンで全員射殺しました。この瞬間ジョンはベトナム戦争のトラウマがのしかかり、自分の力で街のダニを始末する決意をしました。その日からジョンは弾薬を改造し武器の手入れをし装備を整えました。そして夜な夜な街に繰り出し、悪行を尽くすダニどもをフルフェイスのヘルメットをかぶったジョンが次々射殺してゆきました。一方連続殺人事件を捜査するダルトン警部は病院のナースにちょっかいを出したりと進展はしていませんでした。警部のいる同じ病院に入院しているのがマイケルでした。ジョンが様子を見に来たときに言葉の出ないマイケルが目で人工呼吸器を止めて欲しいという合図を送りジョンはマイケルの望みどおり停止しました。そして病院を出る時ダルトン警部とすれ違いました。
エクスタミネーターの結末
ジョンを見た瞬間彼がエクスタミネーター(街のダニの処刑人)ではないかという感がはたらきました。調査により犯人をジョンと断定したダルトンは港湾でジョンを追い詰めました。そしてダルトン警部はジョンと向かい合います。その時隠れていたCAIメンバーが二人を射殺しました。ダルトンは死亡し、ジョンは落ちた海から浮かび上がり泳いで逃げました。
暴力映画というのは、ある意味、奇妙な魅惑に満ちていますね。我々人間の体に潜む凶暴な原始の血の流れが、映画における暴力表現に妖しく共鳴するのかも知れません。
この「エクスタミネーター」という映画は、そんな迫力を持った映画ですね。
ベトナム戦争から死の瞬間を潜り抜けて、ニューヨークへ帰って来た、若い白人と黒人の兵士二人が主役。
二人は額に汗して働いているのだが、チンピラたちに絡まれ、白人青年を助けた黒人は、再起不能にされてしまいます。
これに怒った白人青年は、マグナム銃でチンピラたちを撃ち殺す。そればかりでなく、売春婦を虐めるゲイ宿の男や、変態政治家を殺し、街のギャングたちを叩き殺すのだ。
この題名の「エクスタミネーター」とは、処刑人の意味。街の平和を汚すダニども、警察では逮捕できないチンピラたちを、次々と処刑していくんですね。
観ている側としては、ある種の胸のすく思い、大いなるカタルシスが得られます。
しかし、警察もだまってはいません。処刑人を追う刑事。さらに、こうした事態が自分の次期選挙に不利になると考えた大統領は、CIAに命じて闇から闇に葬ろうとするのです。
この白人青年だけではなく、その真相を知る刑事まで殺そうとするのだ。
本当に処刑しなければならない悪は、どこにいるのだろうか? 現代の悪の構図を、この映画は観ている者の感覚に直接訴える暴力表現で、凄まじく描いているんですね。
そして、この映画のもう一つの魅力は、ニューヨークの実景。それはむしろ、この映画の主役の一つとも言えます。
戦争の影も、資本主義の歪みも、全て抱え込んでいる大都会ニューヨーク。
この生きて躍動している世界一の大都会は、様々な悪も、明日への希望も、全てのみ込んでいるのだ。
この胸のときめくように、ダイナミックに捉えられた実景は、現代の歪みを無言のうちに語っているかのようです。
激増する犯罪、処刑人への共感は、この現代に益々、高まってきています。
しかし、その賛美は明らかに、ファシズムに繋がる危険性をはらんでいることも事実なのです。
暴力表現への無意識の陶酔と同様に、我々の心の中には、常にファシズムへの傾倒が潜んでいるのかも知れません。