禅 ZENの紹介:2008年日本映画。歌舞伎俳優(6代目)中村勘九郎が、まだ勘太郎を名乗っていた時代に演じた道元禅師の生涯です。仏祖の物語と聞けば、仰々しさを前面に掲げたドラマを想像しますが、しかしここにあるのは人間の営みです。青年らしい問いかけから、仏教の奥義に触れるまでを描く前半、人間関係の綾がスリリングに編まれる中盤、そして後半は、道元に帰依した人たちとの交流が描かれます。
監督: 高橋伴明 出演者:出演者:中村勘太郎(道元禅師)、テイ龍進(寂円・じゃくえん)、内田有紀(おりん)、哀川翔(おりんの夫)、高良健吾(俊了)村上淳(懐奘・えじょう)、鄭天庸(如浄禅師)、勝村政信(波多野義重)、藤原竜也(北条時頼)、高橋惠子(道元の母)ほか
映画「禅 ZEN」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「禅 ZEN」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
禅 ZENの予告編 動画
映画「禅 ZEN」解説
この解説記事には映画「禅 ZEN」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
禅 ZENのネタバレあらすじ:起
道元禅師が禅に出会う以前、まだ幼さの残る少年に、病床の母(高橋恵子)が訊ねます。「人は本当にお浄土へ行けるのでしょうか?」。少年は答えます「母上、この世こそ浄土でなくてはなりません」。少年の確信をもった言葉に母は頷きます。「ならば、そなたには、この世の苦しみから抜け出る道を見つけてほしい」母は柔らかに訴え、永眠します。
1223年。23歳になった道元(中村勘太郎)は、仏道を極めるために、宋の国へ留学しています。網代笠をかぶり、錫杖を手にし、脚に脚絆を巻いた旅装束です。諸方をめぐり、寺院を訪ね、師となる人をさがしますが、長い仏教の歴史をもつこの国でさえ、道元が求める真の教えを継ぐ師にはなかなか出会えません。
宋留学に挫折しかけた道元の前に、若い僧侶寂円(テイ龍進)が現われます。道元の志に心を動かされた寂円は、自らが仕える師、如浄禅師(鄭天庸)を紹介します。道元は、禅師のもとで「心身脱落」と師が呼ぶ座禅の極意を学びます。やがて仏道の通過点である「悟り」を開いた道元は、如浄禅師の印可(卒業証書)を受け、4年間滞在した宋をあとにします。
禅 ZENのネタバレあらすじ:承
1227年。道元は京の地にいます。世の人心は乱れ、輪をかけたように僧侶たちの修行もおざなりです。帰朝した後も、道元は恬淡と修行に励みますが、宋から如浄禅師の訃報が飛びこみます。師の入滅は、しかし道元にとって、座禅を世に問ういっそうの志となってきます。最初の書『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』をその年に著します。
『普勧坐禅儀』とは、座禅のすすめです。道元には、すでに少なくはない賛同者も現われていましたが、しかし正道を説こうとする者の前には、いつの世にも反対勢力が現われます。叡山では、道元を排除しようとする不穏な動きが現われています。
折も折、宋から寂円が道元を慕ってきます。如浄禅師亡きあと、師と仰ぐ僧侶は道元以外にないと、寂円はきっぱりと口にします。ふたりは4年ぶりに手を合わせます。そこへ、叡山の武闘派僧侶たちが薙刀を手にやって来ます。「宗派は問わない?座禅だと?立ち退け!」と道元に命じます。
やむなく向かったのは、洛外にある安養院です。道元の出自に縁をもつ寺ですが、長年顧みられず、放置されていました。2名の弟子を従えた道元は、仏像の煤を払い、本堂に手を入れ、道場を開設します。托鉢と自給自足をはじめた日から、しだいに門弟を増やし、寺を増改築しながら、徐々に信者を獲得していきました。
禅 ZENのネタバレあらすじ:転
禅の思想を書に残そうとする道元は、座禅と並行して思想書『正法眼蔵(しょうぼうがんぞう)』の作成に月日を費やしていました。そんな日のある朝です。赤子を抱いた娼婦が道元を訪ねて来ます。病で衰弱したわが子の命乞いをする女に、道元は命を救うたったひとつの方法を授けます。「身内をまだ亡くしたことがない家をさがし、豆を1粒もらいなさい」。
女は、村中を訪ねますが、しかしそんな家は1件もありません。子の亡骸を抱え、怒鳴りこんできた女に、弟子の懐奘(えじょう/村上淳)が応対します。「そうです、そんな家はひとつもありません。和尚様は、そのことをあなたに知ってもらいたかったのです」。女はおりん(内田有紀)といって、その後、師に帰依します。
道元の座禅思想が普及するにつれ、またも叡山の弾圧がはじまります。道元に帰依する越前国の地頭、波多野義重(勝村政信)は、「師の命はこの世にひとつ」と道元に説き、自らの領地へ道元一派を招き入れます。いよいよ道元は、永平寺開山へ1歩を踏み出します。
禅 ZENの結末
1946年。永平寺では、僧侶たちを組織的に指導する必要から、座禅はより様式化され厳しさを増しています。道元は次のように指導します。「いままで関わってきた日常を捨て、善悪の判断を捨て、考えめぐらすことをやめ、じっと座ることそのものが悟りである」。
しかし、生身である僧侶たちの中には、時に魔が差す者も現れます。本人が固い決意をもって「山を下りる」と言えば、道元はあえて「残れ」とは言いません。ただ別れを惜しむだけです。去る者、訪れる者、人の往来を風通しよく許すのが、永平寺の特徴です。
鎌倉幕府の執権、北条時頼(藤原竜也)の使者が永平寺の門を叩きます。戦の繰り返しで、数多くの首を討ち取った時頼は、毎夜怨霊にうなされていました。道元は鎌倉へ向かい、時頼と対座します。心ここにあらずの時頼に、道元は「己の心が平安でない者に、どうして国を平安に治められましょうか」と問い、時の権力者に目覚めを促します。
1253年。道元禅師は入滅します。しかし、その後も如浄禅師から授かった座禅の教えは、高僧の懐奘、寂円らに引き継がれ、営々と現在にいたります。あえなく永平寺を去っていった者たちも、心に灯した仏の姿を守り通し、市井の位置からご奉公を続けています。
以上、映画「禅 ZEN」のあらすじと結末でした。
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