TAR/ターの紹介:2022年アメリカ映画。俳優としても活躍するトッド・フィールドが16年振りに監督したのが本作『TAR ター』だ。当初男性を主人公にした物語として映画会社から打診があったものの、ケイト・ブランシェットを想定して女性指揮者の話に書き換えたというフィールド監督。ブランシェットはその期待を超える演技で、ヴェネチア国際映画祭の最優秀女優賞やゴールデングローブ賞の最優秀主演女優賞を獲得している。共演は『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルランやドイツ出身のニーナ・ホスなど。
監督・脚本:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット(リディア・ター)、ノエミ・メルラン(フランチェスカ・レンティーニ)、ニーナ・ホス(シャロン・グッドナウ)、ソフィー・カウアー(オルガ・メトキナ)、アラン・コーデュナー(セバスチャン・ブリックス)、ジュリアン・グローバー(アンドリス・デイヴィス)、マーク・ストロング(エリオット・カプラン)ほか
映画「TAR/ター」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「TAR/ター」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「TAR/ター」解説
この解説記事には映画「TAR/ター」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
TAR/ターのネタバレあらすじ:起
打ちひしがれたようにうつむくリディア・ターの姿を何者かがスマホで撮影し、メッセージとともに誰かに送っています。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのマエストロ、リディア・ター。アメリカの名だたるオーケストラで活躍したのち、ベルリンフィルの首席指揮者になった彼女は作曲家としても評価され、〝EGOT〟と呼ばれるエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞の4つすべてを獲得している稀有な人材です。インタビューでは多彩と呼ばれることを嫌い、指揮者は必要か?という意地悪な質問には「時間をコントロールする者は必要だ」と答えます。
助手をつとめるフランチェスカに促され、支援者であるエリオット・カプランとの会食に向かうリディア。アマチュア指揮者でもある彼が立ち上げた財団で若手女性指揮者を育成するプロジェクトをおこなっているリディアは、そこの参加者のひとりが情緒不安定で次のキャリアに向けて推薦ができない、というトラブルを抱えていました。しかしベルリンフィルでのマーラー交響曲第5番のライブ録音や新曲の作曲、オケの欠員のオーディションに子どもの学校行事と、多忙を極めるリディアはトラブルに真剣に向き合えていないようです。
ジュリアード音楽院でも教えることになったリディアは、指名したアフリカ系の青年マックスの「バッハは女性差別的で受け入れられない」という意見に対し、そういうことで反発するのはダメ、人種や性別で判断しないで、と話します。芸術と人格は分けて評価されるべきだという考えはマックスを失望させ、「クソ女!」と言って彼は出ていきました。
ベルリンに向かう途中、フランチェスカはプロジェクトでトラブルになっているクリスタからメールが来たとリディアに報告しどう返信するべきかたずねますが、リディアは無視するように言います。
その後飛行機の中で、クリスタから本が送られてきたことに気づいたリディアはそれを破ってトイレのゴミ箱に捨てるのでした。
TAR/ターのネタバレあらすじ:承
ベルリンでパートナーのシャロン、養女のペトラと暮らす家に帰ってきたリディアは、シャロンからペトラが学校でいじめられているらしいと聞きます。
翌朝、ペトラを送っていったリディアはそのいじめっ子に「ペトラのパパだ」と名乗り、今後娘をいじめたら許さないと脅します。
欠員のオーディションは見えないようにパネルを立てて行われますが、音に敏感なリディアは先ほどトイレで見かけた若い女性と同じ靴音の演奏者を合格させます。演奏もさることながら、その雰囲気に興味を持ったからです。
リディアは師であるアンドリスと食事をし、彼女の自伝を読んだアンドリスから感想の手紙をもらいます。宣伝用の帯に使ってもいいと彼は笑います。
リディアは作曲などの作業用にアパートを借りており、そこでピアノに向かいますが、隣家の呼び鈴が聞こえてきて集中できません。外に走りに行くとどこからか女性の叫び声が聞こえたような気がします。さまざまなノイズが彼女をイライラさせます。
オーケストラでは高齢の副指揮官セバスチャンが見当違いの意見を述べ、リディアはかねてから考えていたとおり、彼をやめさせてフランチェスカを副指揮官にしようと動き始めます。
そんな中、リディアのアパートに動揺した様子のフランチェスカがやってきて、クリスタが自殺したと泣き出しました。リディアは、私たちにはどうすることもできなかったとフランチェスカをなだめ、クリスタとのメールをすべて削除するよう指示しました。
その夜、先日オーディションで合格させたチェロ奏者のオルガが気に入らないとシャロンが言ってきましたが、リディアは取り合いませんでした。深夜に規則的な物音で目が覚めてしまったリディアがその音を探ると、メトロノームがリズムを刻んでいました。どうしてそんな時間にそれが動いていたのかはわかりません。
翌日、リディアはセバスチャンに引導を渡します。フランチェスカがアシスタントとしてやってきたときから怪しいと思っていた、と彼は捨て台詞を吐きます。
リディアはフランチェスカの忠誠を確かめるため、彼女のパソコンのメールを密かに確認します。そこにはクリスタとのメールが残されていました。フランチェスカにセバスチャンの退団を伝えたリディアは、彼女を後任に考えているとほのめかします。そしてクリスタのメールは削除したかとクギを刺すようにたずねますが、フランチェスカはそれをはぐらかします。
オルガとふたりでランチを食べに行ったリディアはその若さと大胆さに惹かれ、コンサートで演奏するもう一曲を彼女の好きなエルガーのチェロ協奏曲にすることを決めてしまいます。
リハーサル終わりにそのことを発表し、ソロ奏者は楽団員から選ぶと言いながらオーディションで決めると話すリディア。明らかにひいきしているオルガを抜擢するための出来レースでメンバーたちは不信感を募らせます。
さらに、これ以上目立つ行動は慎まなければならないと考えたのか、リディアはフランチェスカを副指揮者にしませんでした。裏切られた形のフランチェスカはリディアのもとを去っていきます。
TAR/ターのネタバレあらすじ:転
ある日、財団にクリスタの両親から告発状が届きます。彼女の自殺にリディアが関係しているというのです。財団や弁護士との対応に時間を取られるリディア。彼女は冷蔵庫や車など、生活音がますます気になるように。
そんな彼女の楽しみはオルガと過ごすレッスンの時間です。アパートにやってきたオルガはそこでも自由に振る舞い、終わるとリディアに車で送ってもらうようになっていました。
フランチェスカはメールで退職届を送りつけ、アシスタントを失ったリディアはてんてこ舞いです。怒り心頭のリディアはシャロンとともに車でフランチェスカのアパートに向かいますが、事故寸前の乱暴な運転にシャロンは怒って車を降りてしまいます。フランチェスカは既に転居したあとで、リディアは家主に「不法侵入よ」と注意されてしまいます。
アパートでは隣人の介助に付き合わされ、汚れた手を洗っているとレッスンのためオルガがやってきます。慌ててガウンを羽織りドアを開けるとオルガも雨に降られずぶぬれです。レッスン後、いつもどおり彼女を送っていくと車にぬいぐるみを忘れていったので、リディアはオルガを追って彼女の消えた建物へと入っていきます。
そこはまるで廃墟のように暗く、地下には水たまりもあり不気味な雰囲気です。そして大型犬のような唸り声が聞こえ、リディアは思わず出口を目指して走り出し、階段で転んでケガをしてしまいます。
自宅でシャロンに傷の手当てをしてもらいペトラも心配そうです。「リーディアー」と夜中にペトラが叫び、リディアは急いでペトラの寝室へ行きその足をさすって落ち着かせました。
リハーサルでは楽団員がリディアの顔の傷に驚きを隠せませんが、リディアはつとめて明るく振る舞います。しかし世間では、ジュリアード音楽院でのマックスとのやりとりが切り取り動画となってSNSに拡散され、リディアに不利な状況になっていました。
しかもそれがクリスタを支援するサイトと結びつき、リディア・ターに対する逆風が起こっていたのです。財団側はしばらく静観するといっていますが、支援者との会合に参加せず、自伝の出版会見のためニューヨークへ行くというリディアに対しては不信感しかないようです。
TAR/ターの結末
リディアはペトラにあさってには帰ると言って空港に向かいます。ニューヨークへはオルガを連れていったリディア。カプランには決別を宣言され、会見会場のまわりでは抗議デモが行われています。オルガを伴って会場にやってきたリディアでしたが、オルガは会見を冷ややかに眺めており、時折誰かに「つまらない」などとメッセージを送っています。
ホテルに戻りリディアはオルガを食事に誘いますが断られます。ニュース映像でオルガを同伴したことを知ったシャロンからは何度も電話がかかってきますが無視します。その後リディアはオルガがおしゃれして出かけていくのを目撃し、帰りの道中も彼女はずっとスマホをいじっていました。
ベルリンの自宅ではもう許す気もないシャロンが、結局自分たちは愛情ではなく利害で結びついた関係だったのだと言い放ちます。ペトラは違う、とリディアは力なく反論しますが聞き入れられません。
シャロンに見捨てられ、ペトラには会わせてもらえず、オーケストラでも財団でももう誰もリディアに見向きもしません。アパートの隣人の母娘はいなくなり、親族がそこを売りに出すためリディアに音を出さないように言ってきました。
自暴自棄になったリディアはマーラーの交響曲第5番のコンサート当日、指揮者の恰好で会場に入り込みます。そして演奏が始まるとズカズカと指揮者に向かって歩いていき、自分の代わりに指揮をしているカプランを殴り倒します。
小さなマネジメント会社でリディアは指揮者として再出発しようとしています。生まれ育った小さな家に戻ってきた彼女は、そもそもリディアという名ではなくリンダという少女でした。いつの間にか迷子になってしまった彼女。
とあるアジアの国でキャリアを再スタートさせることになったリディアは、そこでゲーム音楽の指揮を任され真摯に楽譜に向き合います。
疲れを癒すためマッサージ店をおとずれ、まるでオーケストラのように並んだ女性たちの中からひとり選ぶよう指示されたリディアは、なぜか鬼門の〝5番〟と目が合ってしまいます。風俗店だということに気づき店を出たリディアはそこで嘔吐してしまいました。
以前と同じように薬を飲み出番を待つリディア。以前と違うのは、映像付きのイベントのため、ヘッドホンをつけているということです。ここでの指揮者は絶対的な独裁者ではないのです。そしてステージでタクトを振る彼女の後ろには、コスプレをしたたくさんのゲームのファンたちが座っていました。
以上、映画「TAR/ター」のあらすじと結末でした。
【新たなる伝説の誕生】「TAR/ター」は〈 空前絶後のホラー映画 〉である! 今回の映画鑑賞(初見にして1度だけの鑑賞)では、字幕なしの「英語版」だったので少々手こずった。 近年は極めて優秀な「女性指揮者」が世界各地の「楽壇に数多く台頭」してきた。 例えば 難曲の「ブルックナーの9番」で名演を聴かせてくれた我が最愛の「カリーナ・カネラキス 」、そしてその実力と格好良さでは「TAR/リディア・ター」にも引けを取らない「ヨアナ・マルヴィッツ」、ストラヴィンスキーや現代音楽で「鮮烈かつ豊潤」なサウンドを紡ぎ出す「スザンナ・マルッキ」などなど枚挙に暇がないくらい。 だからチョット前までなら 有り得ない「フィクション」(SF?)の感覚だった、「超一流の女性指揮者」という設定がふつうになってきた。 これらの事実が映画「TAR/ター」を見る上での「前提」となっている。 それからこの映画でベルリンフィルを演じているのは、「独墺楽壇の中堅」に位置するドレスデンフィルハーモニー管弦楽団である。 実在する本物(プロ)のオーケストラがベルリンフィルを演じるというのは「前代未聞の珍事」であろう。 「前代未聞」と言えば、実際にケイト・ブランシェットが指揮した音源が、なんとそのままサントラ盤として「ドイツグラモフォン」からリリースされているのだ。 これは紛れもなく「空前絶後」の快挙である。 「件」のドレスデンフィルは巨匠「マレク・ヤノフスキ」と長年コンビを組んでいて、ヤノフスキの特徴である「透明で精度の高い緻密なサウンド」を聴かせてくれている。 だから 私は彼らの演奏には積極的にコメント(寸評)を寄せて「賛辞を贈り」数多くエールも送って来たのだ。 このように映画「TAR/ター」は徹底的にプロの【音】づくりにこだわり、淡々と【ファクト】(実像)に寄り添い、あるがままの【リアル】(等身大:ほんもの)であることに「徹した」のだ。 この作品で一切の手抜きや妥協を許さない「完璧主義」を貫いたトッド・フィールド。 だから私は監督と脚本を手掛けた 彼にこそ「最大級の賛辞」贈りたい。 更に言えば、スキャンダラスでセンシティブな(ベルリンフィルのとっては微妙な)内容にもかかわらず、あの 天下のベルリンフィルがこの作品に協力したのは「異例中の異例」であろう。 そういった諸々の事案や背景を考慮すれば、この映画が如何に「画期的で意義深い」か理解できるのではないだろうか。 それが「TAR/ター」の成し遂げた「歴史的な意義と意味」であり、そしてそれらが、この作品の果たした役割と、その希少なる「価値」⇔「存在意義」を確固たるものにしているのだ。 映画の中の「悠揚迫らぬ静謐な空間」で次々に起きる奇怪な現象 そして登場人物には目もくれず ただただ律儀に「淡々と流れる時間」の皮肉。 この作品に流れている血液 すなわち「動と静」「喧騒と沈黙」「哄笑と歎息」 これらの「対比」 とその「無慈悲で残酷」な「落差(現実)」が、リディアとその愛人ら(シャロン / フランチェスカ / 自殺したクリスタ / 有望なチェリストのオルガなど)を取り囲み やがては巻き込んでゆくのである。 真夜中の密室で突如動き出し、せわしなくリズムを刻む「メトロノームの切迫感」 リディアの眠る「寝室の椅子」に座っている「謎の女」の異形など。 この映画「TAR/ター」は、エンドレスの「底知れぬ存在に畏怖」し、「得体の知れないものに対する恐怖」と対面・対峙せねばならぬ「リディアの宿命」を「多角的」に描き出す、「奇譚」であり「現代の怪談であり 幻想的なホラー」でもある。 常に得体の知れないもの(或いは怨霊の存在)に「怯えるリディア」 薄暗い森で悲鳴を聴き、オルガを追った廃墟では「異形の魔獣」を見てしまったリディア。 やがて彼女の中で増幅されていった「これらの狂気」と憎悪が、クライマックスの コンサートへ侵入しての「殴打事件」へと発展してゆく。 冒頭の会見場の客席で リディアの部屋の片隅で ベッドの横の椅子で「 影のようにして」常にリディアに付きまとう「怨霊の存在」がある。 この怨霊の正体こそ「自殺したクリスタそのもの」だったのである。 謎の存在として朧気に描写される「クリスタの気配」がこの作品を「すっぽりと覆って」いる。 いま、このレビューを書いていて急に背筋に「ゾクゾクと悪寒」が走り、前腕部の全域にぶわ~っと「鳥肌が立って」いる。 この作品は「知れば知るほどに 」そして思い出すたびに新たな恐怖が「リアルタイムで襲って」来る 誠に根深くて凄まじい「新感覚のホラー映画」なのだ。 余談になるが 「折角の機会なので」ここでちょっとだけベルリンフィルについて触れておきたい。 かつてあの「カラヤンが去った後」のベルリンフィルの団員が、「オーケストラは公園のようなものなのです」と言っていた。 あの帝王カラヤンは去っても、また新たな指揮者が「公園に足を踏み入れる」ということだ。 そうしてこの公園(ベルリンフィル)は今に至るまでの間に、楽壇の帝王「カラヤンの絶対王政」から、誠実でストイックな「人気絶頂のアバド」時代を経て、才気に溢れる「多彩なラトル体制」を終え、音楽界の奇蹟「不世出の天才 ペトレンコの時代」を迎えたのだ。 そしてそれがまごうことなきベルリンフィルという名の「異常なる技量」を誇る「怪物集団」なのである。 但し私は個人的には必ずしもベルリンフィルのファンという訳ではない。 尚、私の大好きなグスタフ・マーラーの交響曲「5番嬰ハ短調」にも触れておきたかったが、余りにも冗長に過ぎるので敢えて割愛した。 いずれにしても 鑑賞者に「多くの糧」を与え「ご馳走を振る舞った」名シェフのトッド・フィールドにこそ改めて「最大級の賛辞」を贈りたい。 私はいまだかつて、これほど丁寧かつ誠実に「ビルドアップ」された作品を見たことがなかった。 「緻密にして完璧」なまでの「完成度」を誇る恐るべき作品が、トッドとブランシェットが作り上げた映画「TAR/ ター」なのである。 この映画はトッド・フィールド快心の作であり、遂に「傑作を越えてしまった!」 これぞまごうことなき「超次元の最高傑作」の誕生である。