ひろしまの紹介:1953年日本映画。長田新編『原爆の子』を脚色。日教組製作。広島市民の全面的協力により、原爆投下直前の市民の日常生活、投下後の地獄図を再現。そればかりでなく、被爆者たちのその後の苦しみも描かれている。音楽の伊福部昭は翌年『ゴジラ』の音楽を担当することになる。
監督:関川秀雄 出演者:岡田英次(北川)、月丘夢路(女学校教師・米原)、加藤嘉(遠藤秀雄)、山田五十鈴(みち子の母・大庭みね)、月田昌也(遠藤幸夫)その他
映画「ひろしま」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ひろしま」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ひろしまの予告編 動画
映画「ひろしま」解説
この解説記事には映画「ひろしま」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ひろしまのネタバレあらすじ:起・原爆の傷跡
広島の高校。北川のクラスは原爆投下を回想するラジオ番組を聞いている。生徒の大庭みち子は、突然恐怖にかられて叫び鼻血を流して倒れる。みち子は白血病であることがわかる。北川は自分が広島に住み、クラスの三分の一を被爆者が占めているにもかかわらず、原爆について学んでいなかったことに気づく。終戦から8年。戦争は次第に過去のできごととなりつつあったが、被爆の体験によって苦しみ続けている人たちがいる。北川のクラスにいたが今は学校をやめてしまった遠藤幸夫もその一人だ。
ひろしまのネタバレあらすじ:承・閃光の下で
1945年の8月15日の朝、前夜からの空襲警報が解かれ、中学校や女学校の生徒は街中で疎開作業に従事していた。そこへ爆撃機の音がする。やがて閃光と共に街と人が焼かれあるいは爆風で吹き飛ばされた。生き残った女学生達は先生と共に避難しようとするが、川を渡る途中で力尽きる。服がぼろぼろの人、やけどを負った人がふらふらと焦土を歩く。遠藤幸夫の父秀雄は、倒壊した家に火の手が迫るために、瓦礫の下敷きになって動けない妻を見捨てて逃げざるを得なかった。翌朝、舟に群がって避難する人たちの中に、みち子と、弟の亡骸を抱えたみち子の母もいた。やがて母親も命を落とす。遠藤秀雄は中学生の長男一郎を探し求める。学校で水槽に重なるおびただしい数の死体を見る。やがて避難所で一郎の名を呼び続ける秀雄に一郎の友人が気づくが、既に一郎は死んでいた。秀雄は死んだ息子をおぶって去る。
ひろしまのネタバレあらすじ:転・変わり果てた父
日本はポツダム宣言を受諾して戦争は終わる。でも被爆による負傷者たちは劣悪な環境に置かれていた。広島には七十年間生物は住めないと言われたが、看護婦が病院の庭に蒔いた大根の芽が出て入院者に多少の希望を与えた。遠藤秀雄も原爆症で入院している。原爆症にビタミンがいいという話がされる。秀雄は近くにいるおばさんに「防空壕にビタミンを入れておいたのだけれど…」と言う。おばさんがその防空壕を見に行くと、疎開していた幸夫と妹の洋子がいた。おばさんに連れられて兄妹は父のもとに行くが妹は変わり果てた父の顔に「お父さんじゃない」と行って逃げる。幸夫は妹とそのまま生き別れになってしまう。
父の死後、幸夫は浮浪児となり、米兵にたかったりして暮らしていた。やがて戦災孤児や浮浪児のための福祉施設である似島学園に収容された後おじに引き取られる。高校に入ったが、キャバレーでアルバイトを初めて学校をやめて、パチンコ屋通いのフラフラした生活を続ける。
ひろしまの結末:新たな戦争への恐怖
大庭みち子がとうとう息を引き取る。葬儀の後、北川は生徒たちから幸夫が工場に勤め始めたことをきいて安心する。しかし、その幸夫が、観光客にインチキな商品を売って暮らしている浮浪児たちにもっといいものがある、アメリカ兵に売れるぞとそそのかす。幸夫と浮浪児たちは宮島の昔の防空壕の中に入って人の頭蓋骨を掘りだして売りものにする。頭蓋骨には英文で最初の原爆の犠牲者になった人たちの栄光を称えた文章を書いた紙が貼り付けられていた。幸夫は警察につかまってしまい、幸夫のもっていた手紙から北川が呼び出される。幸夫はなぜ工場をやめてしまったかを話す。工場がある日砲弾を作り始めたのだ。また戦争が始まるのだろうかと言う幸夫。北川に連れられて警察を出てきた幸夫を生徒たちが励ましいっしょに歩いて行く。
また8月6日が来る。人々は慰霊の行事をする。そして、あの日、街や川や瓦礫の下で死んだ人たちの魂が立ち上がり歩き始める。
宇品のすぐ沖に似島と言う島が有って、そこに陸軍が駐屯していました.この部隊が原爆投下後の広島の救助に当ったので、多くの被爆者が似島に運ばれて亡くなりました.その遺骨がきちんと埋葬されることなく、当時でも防空壕に放置されてままになっていたようです.
『人類の歴史上、最初にしてかつ最大なる栄光、この頭上に輝く.1945年8月6日』
原爆で死亡した被爆者の頭蓋骨の玩具を、アメリカ人(アメリカ兵)が勝利の栄光として買って帰るのを観て、本物の原爆の被爆者の頭蓋骨にこの言葉を貼り付けて売ろうとした.
チャップリンの『殺人狂時代』、『人間を一人殺すと死刑、100万人殺すと英雄』と言う言葉に影響を受けて、作者はアメリカ人を批判しようとしたのでしょうか?.『殺人狂時代』から悪い影響を受けた言葉だと思われます.