水の中のナイフの紹介:1962年ポーランド映画。裕福な夫婦がヒッチハイクで出会った若者を伴って湖でのヨットクルーズに出たことで、その一夜の出来事のために夫は究極の選択を強いられることになる。
監督:ロマン・ポランスキー 出演:レオン・ニェムチック、ヨランタ・ウメッカ、ジグムント・マラノヴィチ、ほか
映画「水の中のナイフ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「水の中のナイフ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「水の中のナイフ」解説
この解説記事には映画「水の中のナイフ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
水の中のナイフのネタバレあらすじ:起・若者とナイフ
物書きで裕福な夫婦アンジェイとクリスティーナは休日を船遊びで過ごすため湖のヨットハーバーに車で向かっていた。途中、強引に車を止めたヒッチハイカーの若者をしぶしぶ車に乗せてヨットハーバーへ向かい、荷物運びの手伝いをして去ろうとする彼に、アンジェイは一緒にこないかと誘う。
こうして3人を乗せてヨットは湖面を滑り出す。しかし若く貧しい彼に対する優越感からかアンジェイは船長気取りの命令口調で彼にあれこれと指示し、それに対して腹を立てた彼は生意気な態度をとり、アンジェイを苛立たせる。ただ、若者が自慢げに見せる飛び出しナイフだけが唯一アンジェイが自分にはないもので羨望するものだった。
水の中のナイフのネタバレあらすじ:承・嫉妬の結果
途中、嵐に遭い船を停泊させて夜を過ごすことになる。翌朝まだ暗い中、気配で目覚めたアンジェイが若者のナイフをポケットにしまいこみ甲板に出ると、クリスティーナと若者が船の修理に当たっていた。仲の良さげな2人の様子に嫉妬したアンジェイは若者に甲板掃除を命じてこき使う。嫌気が差した若者は船を降りようと身支度を始めるがナイフがないことに気づき、返せと詰め寄ると、からかいながらアンジェイが放ったナイフが水の中に落ちてしまう。激怒し、取って来いと食って掛かる若者をアンジェイが殴った拍子に彼はヨットから転落する。クリスティーナは彼が泳げないと言っていたことからアンジェイに助けるよう言うが、どうせウソだと取り合わない。クリスティーナは飛び込んで彼を探し始め、アンジェイもしかたなく水の中を探すが見つからない。
水の中のナイフのネタバレあらすじ:転・妻の秘密
船に戻り、アンジェイは若者の荷物も捨てようとするがクリスティーナが止め、人殺しだとなじり、これまでの不満が爆発したかのように彼を罵り、激しい言い争いとなったあげく、アンジェイは泳いで岸へと向かい始める。
クリスティーナが船でひとり途方に暮れていると、ブイに隠れて様子をうかがっていた若者が船に泳ぎ着く。ウソをついていた若者を殴り、アンジェイを呼び戻そうと叫ぶが既に声は届かない。若者は子供扱いするクリスティーナに怒り、裕福な夫婦に腹を立てるが、彼女は昔は自分たちも若者と同じ暮らしをしていたことを話して聞かせ、2人は流れのままに体を重ねる。
水の中のナイフの結末:夫の決断
岸の近くで若者を船から降ろしたクリスティーナが船着場に到着するとアンジェイが待っていた。警察に行くというアンジェイにクリスティーナは彼は実は生きていたと話すがアンジェイは信じようとしない。その証拠に彼と寝たというクリスティーナの言葉にアンジェイは選択を迫られる。彼女の話を信じるなら自分に罪はなく、妻の不貞を認めることに、信じないなら妻の浮気はないが自分が若者を死なせたことになる。
警察へ向かう分かれ道で車を止めたアンジェイは果たしてどちらに向かうのか。
このポーランド映画「水の中のナイフ」は、鬼才ロマン・ポランスキー監督の名を世界に知らしめた長編デビュー作だ。
裕福な生活を楽しむ中年の夫婦が、湖へバカンスに行く途中で、貧しげなヒッチハイクの青年を車に乗せたところから、この奇妙な物語は始まります。
このたった三人の登場人物を駆使して、一見、何事もないような平和な生活の底に淀んでいる頽廃を、水もしたたるような鮮やかな手法で、現代における世代間、階層間の埋めようもないギャップや断絶を描いた、心理劇の秀作だと思います。
スポーツ評論家だという中年の男とその妻が、ある日曜日に、高級車を飛ばして、ヨット遊びをするために湖へ急いでいる。
その途中、ヒッチ・ハイクの青年が車の前に立ち塞がるのだが、この時、この中年の男は、この生意気な小僧めと怒るが、妻はいいじゃない、乗せてやったらみたいな表情を見せ、青年はこの金持ちの中年男の傲慢さに強い反撥を感じながらも、うわべでは、どうせ住む世界が違うんだからみたいな顔をしているというように、三者三様の思惑を垣間見せながら、男はこの青年を乗せてやることにする。
この映画の冒頭のシーンは、三人がそれぞれに心の中に持っている鬱屈した感情が、ズバリと表現されている、実に印象的なシーンだと思います。
妻にとっては、夫の嫌味なエゴイストぶりは決して愉しいものではなさそうで、どうせこういう人だから仕方がないというような、なかば諦めの気持ちが、彼女の無愛想な無表情を包んでいるのだ。
夫にしてみれば、妻がそういうふうに自分を密かに軽蔑していることは百も承知で、だからこそ、いっそう虚栄をはってイライラしているという感じなのだ。
これに対して、青年は金持ちの傲慢さに腹が立ってしょうがないので、妙につっかかるような口の利き方をするのだが、妻はこの子、面白い子ね、みたいな顔をするのが、夫にとってはまた微妙にカンにさわるのだが、俺はこんな若僧のことなど何とも思っていないぞ、という気持ちを誇示するために、青年をヨットに同乗させてしまうことになるのだ——-。
映画はその後、ヨットの上での三者三様の思惑を心の底に秘めながら、壮絶な心理戦が展開していくことになるのです。
そして、夫と青年の心理的な葛藤が頂点に達し、夫は青年を海に突き落とします。
妻は夫を卑怯者と罵って、青年を助けようとします。
夫もさすがに後悔して警察に知らせに行こうとする。
その間に青年がひとりで無事にヨットに上がって来るのです。
妻は青年が泳げないと嘘を言っていたことをなじってぶつが、ただ、大人に八つ当たりするばかりじゃいつまでも子供だと言って、彼に自分の体を許すのだ。
そして、岸について青年を降ろしてやり、夫に対して、この青年に肌を与えたわと言う。
夫は、自分を助けようと思って嘘を言うのだろうと言って、信じようともしない。
いや、信じたくないのだ——-。
このヨットの上での一日の出来事の中で、映画の冒頭で提示された三人三様の心のもつれが、徐々に救いようもない根深い葛藤の様相を、散らつかせてくる”心理的な緊張感”が、この映画の最大の見せ場になっているのだ。
そして、この心のもつれの中には、恐らく、三つの要素があるように思う。
まず、夫と妻の間の微妙な”不信感”だ。
次に、ただ惰性のように安定して平和な毎日を送っているに過ぎない中年男が、何者かを求めてギラギラしながら動いている青年に対して感じる”嫉妬”だ。
そして、最後は、貧しい者が富める者に対して感じる”反撥”だ。
そして、この三つの要素は、”現代の憂鬱”という大きなテーマに収斂されるのではないかと思います。
人々は、平和で安定した生活の中でレクリェーションを愉しんでいる。
しかし、その愉しみが本当にレクリェーションとしての機能を果たしているかと言えば、それは単に、憂鬱な日々からの逃避であり、失われた愛情を豊かさの感情で取り繕う行為でしかあり得ないのだと、ポランスキー監督は語っているように思います。
この作品が、どこか”寂寥たる哀しみ”を漂わせているのは、そのためだろうと思うのです。