カイロの紫のバラの紹介:1985年アメリカ映画。映画が唯一の楽しみな女性に、映画の主人公が恋をしてスクリーンを飛び出したことで大騒動が巻き起こるファンタジック・ラブストーリー。
監督:ウディ・アレン 出演:ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、エドワード・ハーマンほか
映画「カイロの紫のバラ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「カイロの紫のバラ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「カイロの紫のバラ」解説
この解説記事には映画「カイロの紫のバラ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
カイロの紫のバラのネタバレあらすじ:平凡な毎日
30年代のニュージャージー。不況で夫モンクが無職のため妻のセシリアはアルバイトを掛け持ちして生活を支えていたが、モンクは賭け事や浮気の毎日でセシリアを省みない。愛もなく、生活に追われるセシリアの唯一の楽しみが映画で、映画を観ている時だけは現実を忘れることができたのだった。
カイロの紫のバラのネタバレあらすじ:スクリーンの恋人
ある日、お気に入りの映画「カイロの紫のバラ」を何度目かに観ていた時、映画の中の登場人物トムがスクリーンから抜け出し、セシリアと共に逃げ出す。トムはセシリアが何度も観に来ているのを見て、彼女に恋をしたのだと告白する。現実離れしたトムと過ごす日々にセシリアは夢見心地となる。一方、トムが映画を抜け出したことを知った映画関係者は大騒ぎとなる。トムを演じた俳優ギルは「トムが現実世界で問題を起こせば自分のスキャンダルになる」と案じ、ニュージャージーの映画館へ赴く。ギルはトムがセシリアと共にいることを突き止め、トムにスクリーンへ戻るよう説得するが、セシリアを愛するトムは応じようとしない。そこでギルはセシリアの気持ちを自分の方に向かせることで、トムがセシリアを諦めるよう仕向けることを思いつく。ギルはセシリアを誘い食事をしたり、話をしたり、楽器を奏でたりと、2人は互いに楽しい時を過ごす。洗練された、何より現実の存在のギルに心が揺れるセシリア、一方のギルも演技のつもりが心からセシリアとの時間を楽しんでもいた。そしてギルはセシリアに「一緒にハリウッドへ行こう」と誘い、セシリアは現実であるギルを選ぶ。諦めたトムはスクリーンへと戻り、映画は無事元通り再開された。
カイロの紫のバラの結末:夢と現実
そしてセシリアはモンクに別れを告げ、ギルと共に旅立とうと映画館へ戻ると、ギルは既に帰った後だった。騙されたことを知り、呆然とするセシリアの目に映ったのは、新しく上映される映画の看板だった。傷心のままチケットを買い、席に着くと間もなく新しい映画の上映が始まる。泣きながら観始めていたセシリアは、いつしかまた映画の世界に引き込まれ、彼女の顔に笑みが浮かんでいった。
この映画「カイロの紫のバラ」は、人間の孤独な心を優しく、温かいまなざしで見つめる人間凝視の秀作だと思います。
この映画は、ウッディー・アレン監督自身が、自作の中で好きな6本の内の1本として挙げていて、1985年度のゴールデングローブ賞の最優秀脚本賞、ニューヨーク映画批評家協会の最優秀脚本賞、カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞、英国アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀オリジナル脚本賞、フランスのセザール賞の最優秀外国映画賞を受賞している秀作ですね。
映画の舞台は、1930年台の経済不況下のアメリカ・ニュージャージー。
失業中の夫に代わって、ウエートレスをして働くセシリア(ミア・ファロー)にとって唯一の心の支えとなり、淋しい心を癒してくれるのは映画館へ行って、今上映されている「カイロの紫のバラ」という映画を何回も繰り返し観る事でした。
フレッド・アステアの歌う永遠の名曲”ヘヴン”が流れるなか、セシリアが劇場の前でうっとりとした顔でポスターを見つめるという印象的なシーンから映画は始まります。
名画はその冒頭のシーンとラストシーンがいつも素晴らしく、映画ファンの心を虜にし、映画という虚構の世界でひと時の夢を与えてくれます。
1930年台といえば、ハリウッドがまさに”夢の工場”とも言われたミュージカル映画の黄金時代でしたが、当時のアメリカの人々は、大恐慌時代を経て、未だに苦しい生活を強いられており、そういう厳しい現実の生活から逃避出来る唯一の場所は、娯楽としての映画でした。
スティーヴン・スピルバーク監督が、「映画を観るという行為は現実の生活から離れ、ひと時の夢に酔う究極の逃避である」と語った事がありますが、この映画を観るという行為は、いつの時代になっても、究極の逃避であり、特に我々映画ファンと言うのは、元々淋しがり屋で孤独ですので、常に映画という虚構の世界に我が身を置いて、ヒーロー、ヒロインと同じ気持ちになって、厳しい現実の自分から逃避しているのかもしれません。
セシリアは、今日も現実から逃れるようにして、「カイロの紫のバラ」という映画を観ていましたが、これが5回目である事に気付いた映画のヒーロー、トム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)は、劇の途中でスクリーンの中から飛び出して来て、映画の進行は止まり大騒ぎになりますが、そんな事はお構いなしに、映画のヒーロー、トムは何とセシリアに恋をしてしまうという奇想天外なお伽噺の世界が描かれていきます。
困惑した映画会社は、トムを演じるスターのギル・シェパード(ジェフ・ダニエルズ・二役)を動員してトムを映画の中へ連れ戻そうとしますが、そのギルもセシリアを愛してしまい、彼女と駆け落ちしようと言いだします。
全てを捨てて約束の場所で待つセシリア。だがヒーローはその場所へやって来ません。
ヒーローが心変わりしたのか、それとも単なる口先だけの約束だったのか、それとも周囲の陰謀で来る事が出来なかったのか——–。
再びいつもの孤独な生活へと戻っていくセシリア。紫色の夢が破れ、現実の厳しい生活が待っています。
こんなセシリアに対してウッディー・アレン監督は、素敵なラストシーンを用意しています。
哀れなセシリアをほんのひと時、映画の夢の世界に酔わせ微笑みを与えます。
まさしくウッディー・アレン流の優しいダンディズムが遺憾なく発揮されていますね。
傷心のセシリアが観ている映画は、ミュージカル映画の最高傑作と言われる「トップ・ハット」で、彼女は哀しみに沈みながら、映画の中で繰り広げられるフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの華麗な歌とダンスに魅せられて、再び幸福で豊かな気持ちになっていきます。
まさしくこの映画は、主人公のセシリアが映画の魔法の力で、再び生きる希望、勇気を見い出していく、”彼女の人生の再生のドラマ”であると思います。
そして、セシリアを演じるミア・ファローの思わず抱きしめたくなるような、儚い乙女心は実に切なく、人間の孤独感を見事に表現していたと思います。
また、彼女の孤独な心を優しく温かいまなざしで見つめるウッディー・アレン監督の人間凝視の奥深い演出は素晴らしく、彼の最高傑作だと思います。
我々映画ファンは、映画という虚構の世界に憧れ、夢を馳せながら、映画によって自分自身と現実を認識し、映画という魔法の力で明日への生きる活力、希望、勇気を見い出していけるのだと思います。
この映画を深い感動と静かな余韻の中で観終えて思う事は、ウッディー・アレン監督が、この映画で描いた、”悲観と楽観の間をたゆたう絶妙なバランス”は、我々映画ファンに”虚構の世界を楽しく遊ぶ、人生の豊かさを感じさせてくれ、そして、その豊かさの中にこそ本当の人生というものがある”のだという事を教えてくれているように思います。