ジョニーは戦場へ行ったの紹介:1971年アメリカ映画。第一次世界大戦の戦場で、両手足と顔を失った1人の青年の「生」を描く。肉塊となった青年ジョーは己の内面と向き合い、戦争とは何か、生きるとは何かを自問する。戦争の残酷さと人間の尊厳を鮮烈に表現した戦争映画の名作。カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを始め、数々の映画賞に輝いた。1939年監督自身が発表した小説「ジョニーは銃をとった」の映画化。
監督:ドルトン・トランボ 出演:ジョー・ボーナム(ティモシー・ボトムズ) カリーン(キャシー・フィールズ) ジョーの母親(マーシャ・ハント) ジョーの父親(ジェイソン・ロバーズ) キリストと呼ばれる男(ドナルド・サザーランド) 看護婦(ダイアン・ヴァーシ) テイラリー軍医(エドワード・フランツ) 少年時代のジョー(ケリー・マクレーン)ほか
映画「ジョニーは戦場へ行った」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ジョニーは戦場へ行った」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ジョニーは戦場へ行ったの予告編 動画
映画「ジョニーは戦場へ行った」解説
この解説記事には映画「ジョニーは戦場へ行った」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ジョニーは戦場へ行ったのネタバレあらすじ:生ける肉塊
舞台は第一次世界大戦下のアメリカ。陸軍医療隊ティラリー大佐の元に大怪我を負ったアメリカ兵が運ばれて来ました。軍医達は深く抉れた顔を縫合し、負傷した両手足を切断。胸と腹部、そして脳髄だけが無傷でした。つまりこの負傷兵はまだ生きているのです。ティラリー大佐達は彼を負傷兵47番と称し軍で所有することにします。意識の無い生ける肉塊である負傷兵47番は、他の負傷兵を救うための恰好の研究材料でした。
彼が激しく執拗な身体的運動を続ける時は反射性の筋肉痙攣とみなし、鎮静剤を打つようにと看護師達に指示が出されます。関係者のほとんどが47番を人間扱いしませんでしたが、彼は少しずつ意識を取り戻していました。彼の名はジョー・ボナム。ジョーは恋人カリーンのことを思い出します。戦わず逃げて欲しいと何度も頼んでいたカリーン。しかしジョーはカリーンの願いを振り切り戦場に赴いた結果、爆撃を受け負傷してしまったのです。
ジョニーは戦場へ行ったのネタバレあらすじ:夢か現か
サンクルールの占領軍第3基地病院へ搬送されたジョー。意識は取り戻したものの、何も見えず何も聞こえない状況に困惑します。ジョーは様々なことを思い出しました。カリーンとの愛、釣り竿を大切にしていた父親、そしてその父が死亡した夜のこと。時間の経過すら曖昧なジョーは現実を「ただの夢かも」と考えるようになります。
ところがある日、両手足を失っている事実に気付いてしまいます。あまりのショックに叫びますが、ジョーには声を出す手段もありません。舌も歯も目も無いことを感覚で悟ったジョーは嘆きました。彼は収納庫に移動させられ、鎧戸と鍵のある部屋で看護されることになります。夢の中で「神様だけが唯一の現実」と教える母の声が響きました。
ジョニーは戦場へ行ったのネタバレあらすじ:若者は戦争へ行く
ジョーは首を振る程度のことは可能でしたが、その行動も痙攣と判断され鎮静剤を投与されてしまいます。ジョーは幼い頃の父との会話を思い出していました。若者は戦争に行かなければならないと考える父は、「民主主義のために一人息子を捧げる」と呟きます。納得出来ないジョーはその場から走り去りました。
首を振っては鎮静剤を投与される日々が続いていました。ジョーは夢と現実の区別がつかなくなります。夢の中でキリストと呼ばれる男に苦悩を相談しますが、救いも奇跡もありませんでした。
ジョニーは戦場へ行ったのネタバレあらすじ:優しい手
ある日、看護師長がジョーの病室にやって来ました。彼女は鎧戸を開け日光を入れます。ジョーは感じた温もりに「これは太陽だ!」と喜びます。ジョーの世界に昼と夜の区別が生まれました。20歳の時夜の戦場で爆撃を受けたジョーは時間の経過を気にし始めます。別の日、新顔の看護師が病室に入って来ました。彼女は涙を流しながらジョーに触れます。優しい手にカリーンを思い出すジョー。夢の中の彼女に出征して何年経ったのかを訪ねますが答えてくれませんでした。
時は流れクリスマスの夜。優しい手の看護師は、ジョーの胸に「MERRY CHRISTMAS」と指を滑らせました。ジョーはクリスマスから日数を数えれば季節が分かると喜びます。ジョーは製パン工場でクリスマスパーティーが催される夢を見ました。社長が従業員に向かって戦争が迫ってきたことを告げます。後退りするジョーがドアを開けると、外の森には父がいました。響くカリーンの声に彼女を追いかけますが、どうしても追いつけず倒れこむジョー。父は「救ってほしいか?」と尋ねます。しかし救いを求める手段すら持たないジョーに、父は「頭を使え」とアドバイスしました。そこでジョーは、頭を動かしてモールス信号を出してみることにします。
ジョニーは戦場へ行ったの結末:最後の願い
ジョーの行動に気付いた看護師が人を呼び、軍人や神父が病室にやって来ます。ジョーに意識があること、そして話しかけていることに驚愕する軍人達。何が望みかとモールス信号で問われたジョーは、外に出たい、ありのままの姿を皆に見て欲しいと伝えます。それが無理ならいっそ殺して欲しいと。軍人は箝口令を敷き、ジョーの存在を隠すことにしました。
繰り返し「殺せ」と伝えるジョーと看護師を残し、軍人達は部屋を出て行きます。優しい看護師は神に祈りながらジョーの酸素の管を鉗子で挟みました。ところがそこへ上官が戻って来て鉗子を外してしまいます。ジョーは死ぬことすら許されませんでした。逃げることも自殺することも、助けを呼ぶ声すら出せないジョー。彼は心の中で「助けてくれ」と呟き続けます。ジョーの声が次第に途切れ途切れになり、この映画も終わりを迎えます。
以上、映画ジョニーは戦場へ行ったのあらすじと結末でした。
「ジョニーは戦場へ行った」感想・レビュー
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監督及び脚本のドルトン・トランボはマッカーシーによる赤狩りに抵抗した人物で、あの「ローマの休日」の原案脚本を別人名義で発表せざるを得なかったいわくつきの人。ある意味、自身が偏見や無理解と戦った人物だけに、ジョニーの何も語れないもどかしさや無力感をリアルに描けたのかもしれません。それにしても実際に意思表示できないものの、意識ははっきりしている患者というのはいるわけで、その孤独はいかばかりだろうか。
戦争の悲惨さと、主人公の『絶望』に慟哭します。