帰ってきたヒトラーの紹介:2015年ドイツ映画。二次大戦末期から2014年にタイムスリップしてしまったアドルフ・ヒトラー。誰もがそっくり芸人として彼を扱う中、最新技術でプロパガンダを計る?ティムール・ヴェルメシュのベストセラー小説の実写映画化。独裁者アドルフ・ヒトラーが突如現代に現われ、奇想天外で恐ろしい騒動を起こす。
監督:ダーヴィト・ヴネント 出演:オリヴァー・マスッチ(アドルフ・ヒトラー)、ファビアン・ブッシュ(ファビアン・ザヴァツキ)、クリストフ・マリア・ヘルプスト(クリストフ・ゼンゼンブリンク)、カッチャ・リーマン(カッチャ・ベリーニ)、フランツィスカ・ヴルフ(フランツィスカ・クレマイヤー)、ラース・ルドルフ(キオスクの主人)、ほか
映画「帰ってきたヒトラー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「帰ってきたヒトラー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
帰ってきたヒトラーの予告編 動画
映画「帰ってきたヒトラー」解説
この解説記事には映画「帰ってきたヒトラー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
帰ってきたヒトラーのネタバレあらすじ:運命か?21世紀にやって来たヒトラー
ベルリンのとある公園に煙とともに現れたアドルフ・ヒトラー。サッカーをする子供たちに道を聞くが相手にされない。ブランデンブルク門前は観光客で賑わい、それがアドルフ・ヒトラーのそっくりさんだと思った人々が記念写真を撮る始末。そして瓦礫だったはずのベルリンが真新しくなっていることに違和感を覚えたヒトラーは、キオスクで新聞を購入、今が2014年である事を知った。
キオスクで新聞を読みあさり、現代ドイツの状況が芳しくない事やドイツの政治の状況、自分がいたはずの1945年から現在に至るまで何があったか、彼の足跡を辿る映画が作製された事や、ドイツという国が東西に分かれ、再び統一された事などを知る。キオスクの店主は、ヒトラーをただのそっくりさんだと思い、ガソリン臭いと言って、服をクリーニングに出すように言いつける。
とあるテレビ局では、新しい局長にベリーニが選ばれる。ひそかに局長を狙っていたゼンゼンブリンクは副局長になり、経費削減のためザヴァツキを解雇した。ザヴァツキは再びテレビ局で働くため、特ダネを探していると、自分が撮った動画の後ろに、ヒトラーらしき人物がいるのを、母が発見する。
帰ってきたヒトラーのネタバレあらすじ:ヒトラー21世紀のドイツを憂う
ザヴァツキはこれは特ダネだと、ヒトラーに話しを持ちかける。連れて行かれたホテルの一室でテレビを見たヒトラーは、プロパガンダには最適なツールであるのに、下らない料理番組やバラエティに愕然、ザヴァツキは彼を連れてドイツ全土を回り、政治についてドイツ国民の意見を聞いて回る動画を撮り始めた。
序盤に行った犬のブリーダーの所で、ヒトラーは犬の異種交配によって失われた血統は戻らないという趣旨の話をした。その犬の農場で噛みついた犬を、うっかり射殺してしまった。ザヴァツキは拳銃を回収し、旅を再開。南部では、移民問題が深刻化していて、ヒトラーはかつて自分が理想としていた強いドイツとはかけ離れてしまった事を嘆いた。
ザヴァツキは彼と撮った動画をクビにされたテレビ局に売り込みに行き、ベリーニ局長のもと、彼はそっくり芸人として採用される事になった。現代の機器について詳しくないヒトラーは、ザヴァツキが思いを寄せている受付係の彼女にパソコンの使い方を教えてもらい、ネットの使い方を覚えた。ベリーニ女史から、ユダヤの問題については触れるなと釘を刺されると、ヒトラーは了承した。
帰ってきたヒトラーのネタバレあらすじ:現代のプロパガンダツール
ヒトラーが始めて出演したのは、オバマ大統領のそっくり芸人が出るバラエティ番組だった。その番組に出演したヒトラーは沈黙の後、現代のドイツ社会に関して嘆くべく点を語り、ドイツ国民の賛同を大いに受け、視聴率はうなぎのぼり。他の番組にも呼ばれて人気を博し、ついにフェイスブックで親衛隊を募集するまでに至った。
それが面白くない副局長のゼンゼンブリングは、レギュラーの番組中に、以前ザヴァツキと動画を取っていた時にうっかり犬を撃ち殺してしまった動画をわざと流した。動物を射殺するなど言語道断と、局には抗議の電話が殺到。ヒトラーと番組を下ろされ、ベリーニは責任を取って局長の座を退き、ゼンゼンブリングがその椅子に納まった。
局を追い出されたザヴァツキは、ヒトラーを家に招いて謝った。するとヒトラーは、テレビを下ろされたのならと、その時間で本の執筆を始めた。それは彼が現代に来てからの物語だった。ベストセラーになったそれを映画化しようとベリーニが持ちかけると、ザヴァツキは監督を申し出た。
一方、ヒトラーのいなくなった番組の視聴率はさがり、局の存亡に関わるまでになっていた。
帰ってきたヒトラーの結末:気づいてしまったザヴァツキ
ザヴァツキはテレビ局の受付嬢の家に招き、恋人だとヒトラーに紹介した。しかし、同席していた認知症の老女がヒトラーの顔を見るなり、家族が殺されたと激昂。ヒトラーがイギリスの爆撃から市民を守れなかった事を謝ると、そうではなく、収容所のガス室で皆殺しにされたと訴えた。もちろんディナーはお開きとなった。
帰りの車中で、ヒトラーはザヴァツキに、彼女にユダヤの血が流れている事は残念だと語った。それに違和感を覚えた彼は、始めにヒトラーが出現した公園の一画に足を運んだ。そこはかつての総統本部で、焼身自殺を図ったヒトラーのせいか、彼が倒れていた場所には燃えたような痕跡があった。
ヒトラーがそっくりさんではなく、本物だと気づいたザヴァツキは、ネオナチ(ナチスの思想を信奉する人物や団体の政治運動のことや、ナチズムに傾倒して反社会的行動をとる人)に襲われて怪我をしたヒトラーの元を訪れ、彼は本物のヒトラーだとわめき散らし、病院スタッフに取り押さえられた。
とあるビルの屋上で対峙するヒトラーとザヴァツキは、追い詰めたヒトラーを撃ち落とした。しかし、気がつくと後ろに立っているヒトラー。彼の存在は国民の総意であり、消える存在ではなかった。という、幕切れで映画の撮影は終わった。映画のクランクアップの祝杯をする面々の中、ヒトラーはここにザヴァツキがいない事を残念に思った。彼は、精神異常者として、精神病棟に隔離されていたのだった。
以上、映画 帰ってきたヒトラーのあらすじと結末でした。
帰ってきたヒトラーのレビュー・考察:奇妙にリンクする過去と現在。
フィクションというには、世界情勢やドイツの置かれた状況が、あまりにもヒトラーが台頭してきた時代に告示している。皮肉にも作製された2015年はテロから始まり、テロに終わった隣国のフランスはいまだ非常事態宣言を出したまま(2017年10月31日まで)、ドイツには難民が押し寄せている。製作側もこのような状況まで予測はしなかったと思う。
しかし、フィクション・娯楽作品と言う目で見れば、映画好きなら見ているだろう過去作品へのオマージュ、もし戦前の人物がこの世界に来たら何に驚き、どういう反応を示すのか、ヒトラーがテレビやインターネットに驚きつつ、使いこなしていく様は面白いと思う。
「帰ってきたヒトラー」感想・レビュー
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この映画の一番のすごいところは、ただのコメディ映画ではなく半分はドキュメンタリーの部分があるということです。街行く人々に街頭インタビューのように政治への不満について述べさせています。ちょうどこの撮影の時期は、ドイツだけでなくヨーロッパ中でイスラム系難民の問題で持ち切りの頃だったこともあり、その不満をストレートに吐いていました。
映画の後半にかけてヒトラーが次第に人気を上げていくところは、史実でナチスが政権を取った部分とも似ています。手法が変わっても、民衆からの人気を手玉に取る様は、80年前と同じです。
そして、個人的に印象に残ったセリフが終盤のヒトラーのセリフ
「もし私が悪魔だというならば、私を選んだドイツ国民も悪魔ということになるのではないか」
民主主義という政治体制についても考えさせられます。全体を通してただ笑えるだけではなく、考えさせられる映画でした。
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ヒトラーに扮したオリヴァー・マスッチに、一般の人々にインタビューさせるドキュメンタリーの部分が入っています。そのため、どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか、どこまでが映画でどこからが現実なのか、観ているうちにすべての境が曖昧になってきます。
現実のヒトラーは、あくまで民主主義の手続きにのっとり、合法的に権力者となったことを、改めて痛感させられました。そしてヒトラーが「本物」だということに気づいたザヴァツキが、精神に異常をきたしていると見なされてしまったというラストに、恐ろしさを感じました。 -
>千尋さん
ラストの本当に恐ろしい所は
ヒトラーだからといって襲うザヴァツキの方だと思うこの作品を一通り見たら分かる通りヒトラーは純粋にドイツの事を思って行動してるのに
それをヒトラーと言うだけでヒトラー=悪と決めつけてる方がユダヤに洗脳されてると思う
ラストの帝国を作りたい訳では無いというセリフがこの作品の本質
ヒトラーを出したのは純粋にドイツのためでありナチスの様な帝国を作りたい訳では無いとちゃんと明言してる
ヒトラー≠ナチス帝国
ナチスは批判されるべきだが
ヒトラーは別に普通
ヒトラーが恐ろしいのでは無く
ナチスの軍事システムが恐ろしいだけの事 -
これは
ヒトラー≠ナチス
という観点で見るべき
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この映画見終わってやばいと思ったは、そっくり芸人(だと認知された)ヒトラーの言動の一つ一つに納得してしまうところ。戸惑いながらもすぐに現代に馴染み、国の問題点を冷静に分析して、人々を取り込んでいく姿。どう転んでも最終的に成功していく本物のカリスマ性にはゾッとする。
自身を本物だと看破したサヴァツキ、映画の撮影が終わり盛り上がっているスタッフを鎮め「個々に居ないものを悼もう」とした彼の本心は「世話になった者」への哀悼なのか、それとも「いずれ邪魔になるだろう」人間が自滅したことへの演技なのか・・・。
いづれにしても彼は結局は負けていく男。現代に蘇ったヒトラーも結局は「同じ事を」繰り返すのでしょう。そうなるのが彼の「運命」ですから。
ヒトラーが現代社会に翻弄される滑稽味に笑い、これは単なるコメディなのかと思いきや、次第にヒトラーが現代社会を翻弄し始めると、一転してドキドキハラハラのサスペンスとなる、その展開の巧みさに引き込まれました。
また、この映画はドキュメンタリーの側面もあります。一部のシーンには、演技ではなく実際にヒトラーに扮した男にインタビューを受け、戸惑いつつも本音を吐露するドイツ国民のありのままの姿が収められているのです。
このフィクションとノンフィクションの中間のような作りが絶妙で、鑑賞する人次第で色々な見かたができ、また、どのように見ても楽しめる作りになっています。
個人的には、これぞ映画の真髄ともいえる傑作だと思いました。