スリーピーホロウの紹介:1999年アメリカ映画。ワシントン・アービングの小説「スリーピー・ホロウ(首なし騎士)の伝説」を元に映画化。最新の科学技術で猟奇的連続殺人事件を解決しようとやってきたニューヨークの捜査官が、排他的な村で首なし騎士と対決する。
監督:ティム・バートン 出演者: ジョニー・デップ(イカボッド・クレーン)、クリスティナ・リッチ(カトリーナ・ヴァン・タッセル)、ミランダ・リチャードソン(ヴァン・タッセル夫人)、マイケル・ガンボン(バルタス・ヴァン・タッセル)、キャスパー・ヴァン・ディーン(ブロム・ヴァン・ブラント)ほか
映画「スリーピー・ホロウ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「スリーピー・ホロウ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「スリーピー・ホロウ」解説
この解説記事には映画「スリーピー・ホロウ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
スリーピー・ホロウのネタバレあらすじ:起
1799年、ニューヨーク。犯罪捜査は無いに等しく、いまだ裁判は拷問が頼り、遺体は死因を調べることなく葬られていた。そんな状況にニューヨーク市警の捜査官イカボッド(ジョニー・デップ)は目前に最新の科学技術を用いて真実を追及すべきと市長に提言するが、不興を買い、あげく片田舎で起きた連続殺人事件でその持論を試して来いと命じられる。
ニューヨークから馬車で2日の距離にあるその村”スリーピー・ホロウ”は、オランダからの移民で作られた排他的な村で、そこで最近3人が首を斬られて殺害される事件が起きていた。
村に着いたイカボッドは滞在先である地主のヴァン・タッセル家を尋ね、主のバルタス(マイケル・ガンボン)からランカスター医師、スティーンウィック牧師、フィリップス判事、公証人のハーデンブルックを紹介される。
殺されたのは村長のピーター・ヴァン・ギャレットと、その息子ダーク、ウィンシップ未亡人の3人で、イカボッドから容疑者のあてを問われた面々は、”首なし騎士<ホースマン>”によるもので、首は彼が地獄へ持ち帰ったのだと答える。
”ホースマン”は米独立戦争時にドイツから送り込まれた傭兵で、他の者が金目当てだったのに対し彼は純粋に殺戮を楽しんでいた。しかし、そんな彼も村に近い西の森で敵に追い詰められて最期を迎え、己の剣で首を刎ねられて埋められたのだった。
それから20年が経った今、ホースマンが蘇り、見境なく復讐を遂げているのだという。
話を聞いたイカボッドは薄気味悪さに身震いしながらも、亡霊説を否定し、これは生身の人間の仕業で、必ず自分が捕らえると皆に宣言する。
スリーピー・ホロウのネタバレあらすじ:承
翌朝、森の中でタッセル家の下働きの男が、同じく首なし遺体で発見される。その男の葬儀でフィリップス判事から「被害者は4人ではなく5人、5人が4つの墓に入っている」と耳打ちされたイカボッドは、父の仇を討ちたいという男の息子マスベスにも手伝わせて、被害者の遺体を掘り起こす。
それぞれの遺体を調べていたイカボッドは、ウィンシップ未亡人の腹にある刺し傷を見つけ、不審に思って初の解剖を試みる。その結果、未亡人は妊娠していたことが判明する。
その晩、寝付けず部屋を出たイカボッドは、バルタスの娘カトリーナ(クリスティナ・リッチ)と鉢合わせする。家計図を見てヴァン・タッセル家がヴァン・ギャレット家の血縁と知った彼がそのことを告げると、カトリーナは、幼いころ一家で移住してきたときにヴァン・ギャレットから今の土地を譲られたこと、実母は2年前に病死しその時の看護師が後妻になったのだと話す。
そしてお守りになるから心臓から離さず身に着けるようにと、母の形見である”霊界と呪文”の本をイカボッドに渡す。どこか亡き母を彷彿させる美しいカトリーナに、イカボッドは惹かれ始める。
ある晩、フィリップス判事が慌てた様子でどこかへ出かけるのを目撃したイカボッドは判事を追いかけ、ウィンシップ未亡人の子どもの父親は誰かと問い詰める。しかしその時、ホースマンが現れ判事の首を刎ねて持ち去り、目の前で起きた恐怖の惨劇にイカボッドはショックで寝込んでしまう。
すっかり怯えてしまったイカボッドに、村人たちは市警に新たな捜査官を要請することを検討するが、幼い頃の母の夢を見て目覚めたイカボッドは気を取り直し、マスベスとともにホースマンの謎を解くため、彼を埋めたという西の森へ向かうことにする。
その道中、彼はマスベスからヴァン・ギャレット父子が生前に口論しており、その後、マスベスの父がピーターに呼ばれて行ったことを聞かされる。
スリーピー・ホロウのネタバレあらすじ:転
西の森に入った2人は洞窟を発見、中にいた魔女らしき人物にホースマンの居場所を尋ねると、”死人の木”を探して登ればそこがねぐらだと告げられる。
言われた通り西に進んでいった2人は、追ってきたカトリーナと合流し、やがて血を滴らせる”死人の木”を発見する。イカボッドが斧を入れると、そこには犠牲者の首が詰まっており、その場を登り剣の刺さった土を掘り起こすと、頭の部分が消えたホースマンの遺骸があった。
それを見たイカボッドは、何者かが頭蓋骨を盗み出し、頭を取り戻そうとする彼を操って人を殺させていると確信する。
その時、突如木の中からホースマンが現れる。村に向かう彼の後をイカボッドは慌てて追うが間に合わず、ホースマンは助産師の一家3人の首を奪う。騒ぎに気づいた村の若者ブロム(キャスパー・ヴァン・ディーン)と共にホースマンに立ち向かうがブロムは無残に殺され、イカボッドは肩を刺される。
不思議と傷の回復が早かったものの高熱を出したイカボッドは、カトリーナの献身的な看護でほどなく回復、再び捜査に乗り出す。事件に遺産相続がからんでいると睨んだ彼は、公証人のもとを尋ね、ピーター・ヴァン・ギャレットの遺言について問い質す。
そこでイカボッドは、ヴァン・ギャレットがウィンシップ未亡人の子どもの父親で、未亡人と結婚して全財産を未亡人に譲ることになっていたことを知る。
被害者がヴァン・ギャレットの遺産相続人とそれを知る人間だったことから、イカボッドは、残る血縁であるバルタスによる犯行と推察、遺言書とマスベスの父が証人として署名したピーターと未亡人との結婚証明書を証拠として持ち帰るが、父に疑いを掛けられていると知ったカトリーナは証拠書類を盗み出し燃やしてしまう。
スリーピー・ホロウの結末
翌日、公証人が首つり自殺し、スティーンウィック牧師が教会で集会を開くことになるが、皆が集まる中、妻がホースマンにやられたと言ってバルタスが駆け込んでくる。
教会の敷地内には入ってこれない様子のホースマンに、イカボッドは皆に落ち着くよう諭すが、恐怖にかられ黒幕の正体を明かそうとしたランカスター医師をスティーンウィック牧師が撲殺、その行動に驚いたバルタスがとっさに牧師を射殺する。
そしてパニック状態になったバルタスをホースマンの放った杭が貫き、窓から外に引き出された彼はホースマンに首を斬られる。
教会内からその様子を見ていたカトリーナは気を失い、イカボッドは教会の床にカトリーナが書いた魔法陣を見て愕然とする。それは自分のベッドの下にも書かれていた”悪魔の目”と呼ばれる呪いの魔法陣だった。
全ての黒幕は魔女であるカトリーナだと悟ったイカボッドは、黙って村を去ることにする。しかし、馬車の中で彼女から渡された本を何気なく開いた彼は、カトリーナが書いた魔法陣が”愛する人を守る”ものであったことを知り、慌てて村へもどる。
そしてヴァン・タッセル夫人の遺体を調べた彼は、それが別人のものであることに気づく。
その頃、ヴァン・タッセル夫人はカトリーナを西の森の洞窟に連れ込み、ホースマンに襲わせようとしていた。夫人は幼い頃、家族で村に住んでいたが、父親が亡くなるとヴァン・ギャレットに土地を取り上げられ、西の森に追い払われたのだった。それを恨み、ホースマンを使ってヴァン・ギャレットの遺産を手に入れることで、復讐を果たそうとしていたのだった。
カトリーナは跡をつけてきたマスベスとともに洞窟を逃げ出し、助けに戻ったイカボッドとともにホースマンから必死に逃れようと馬を走らせる。
”死人の木”にたどり着くと、そこにには夫人が先回りしていた。彼女はカトリーナをとらえるとホースマンに首を斬らせようとするが、イカボッドが夫人から頭蓋骨を奪いホースマンに投げ渡す。すると頭を取り戻し、もとの姿となったホースマンは夫人を抱きかかえ、そのまま”死人の木”に飛び込んで地獄へと帰って行った。
事件が解決し、イカボッドはカトリーナとマスベスを連れてニューヨークへ戻るのだった。
以上、映画「スリーピー・ホロウ」のあらすじと結末でした。
「スリーピー・ホロウ」感想・レビュー
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この映画「スリーピー・ホロウ」は、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールド全開のゴシック・ホラーの大傑作だ。
とにかく、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールドに魅せられる素敵な映画です。
この「スリーピー・ホロウ」は、ワシントン・アーヴィング原作の「スリーピー・ホローの伝説」の映画化作品で、ティム・バートンが当時、「シザー・ハンズ」、「エド・ウッド」に引き続き、盟友のジョニー・デップとタッグを組んだゴシック・ホラーです。
ジョニー・デップはティム・バートン監督の思わずニヤリとしてしまう、ちょっとばかりズレたユーモアと余程、相性が合うのだと思います。
実際この映画を観てみると、シリアスでありながら、どこかピントのずれている主人公のキャラクターは、もうデップ以外には考えられません。
デップも共演のクリスティーナ・リッチも一応、美男美女の部類に入るとは思いますが、いわゆる正統派の美形には見えず、こういうところもバートン監督の好みだろうと思われ、とにかく、デップとリッチは古色蒼然たるこのゴシック・ホラーにはぴったりの配役だと感心してしまいます。
18世紀のニューヨーク郊外の村、スリーピー・ホロウでは夜な夜な馬に乗って現われては住人の首を掻き切る”首なし騎士”が人々を恐怖のどん底に陥れていました——。
斧を振りかざした”首なし騎士”が、漆黒の馬にまたがり、闇夜を疾走する場面の”絵”になる事といったらありません。
村を丸ごと作ってしまったというセットも素晴らしい雰囲気を醸し出していますし、霧が立ち込める不気味な夜は、色彩も美しく、優れて絵画的でもあります。つまり、この映画はまさしく、現代の映画作家の中で、最も寓話的な作家であるティム・バートン監督による”ファンタジーな絵本”の世界を映像化したものだと思います。
そして、これらの幻想的でダークな、鳥肌が立つくらいに綺麗で美しい映像を撮影しているのが、何と「ゼロ・グラビティ」、「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、「レヴェナント:蘇えりし者」で3年連続でアカデミー賞の最優秀撮影賞を受賞という快挙を成し遂げた、メキシコ出身の天才撮影監督のエマニュエル・ルベツキ。
初めてこの映画を観た時、この撮影は何と凄いのだろうと衝撃を受けた時の記憶が甦り、当時からルベツキの撮影技術が素晴らしかったという事がわかります。
バートン監督はこの映画の前に撮った「マーズ・アタック!」で、SF映画をおもちゃの世界にして楽しませてくれ、今回はゴシック・ホラーの世界で魅せてくれました。
この既成概念にとらわれたホラーというジャンルを手玉に取って、自らの作家性で塗り潰してしまう語り口は、紛れもなくバートンワールドそのものです。
また、この映画にはかつて、バートン監督が偏愛した1960年代のハマー・フィルム社の”怪奇映画”に対するバートン監督のリスペクト、オマージュに満ち溢れています。
バートン監督は、「当時の怪奇映画は映像的には美しかったが、スタジオ撮影のシーンとロケ撮影のシーンとの間に大きな隔たりがあった。
その隔たりを埋めようとして、セットはもっと現実っぽく、実際の風景は作り物っぽくなるようにした」と語っていて、バートン監督のこの狙いが見事に成功していると思います。更に、”首なし騎士”の造形に見られるように、バートン監督が、「シザーハンズ」、「バットマン」、「バットマン・リターンズ」で描いてきた”異形の者”への偏愛も健在で、それまでに磨いてきた映像テクニックを縦横無尽に使い分け、自分の創造性を”さらり”と表現してみせる技を習得した彼は、まさに円熟の境地に達した感があります。
そして、この映画の最大の見どころはやはり、ヘンテコで奇妙な器具をこねくり回して、頑固な程に科学的な捜査を試みるジョニー・デップと村の迷信的な存在である”首なし騎士”との対決です。
科学的な合理性と超自然的な怪談の激突を、”頭でっかちな男VS首なし騎士”の対決として象徴的に描いているのが面白くてたまりません。
この”首なし騎士”を演じるクリストファー・ウォーケンの唸り声以外、セリフが全くないにもかかわらず、あの”美しくも怖い顔”で、我々観る者を恐怖のどん底に落とし込む程、怖がらせてくれて見事の一語に尽きます。
本当にクリストファー・ウォーケンは「ディア・ハンター」での演技がそうであったように、エキセントリックな役がよく似合う、本当に凄い役者だなといつも思います。
デップが古い伝説的な迷信にとり憑かれた村人に囲まれて、ひとり大真面目に捜査を行なう様子はいささか滑稽で、いざという時に臆病風邪を吹かせてしまうというキャラクターにも愛着が持てます。
そして、バートン監督は、我々観る者に謎解きという知的ゲームを与えておきながら、全く考える余裕すら与えない程に衝撃的な首切り殺人や戦慄の映像を畳みかけ、観ている側を完全にパニック状態に陥らせてしまいます。
そして、苦悩する主人公のデップと同様に、我々観る者の、理性を保とうとする機能までも破綻させてしまいます。
この演出技法には全くお手上げで、本当に心憎い監督です、ティム・バートンは——。映画の終盤には、西部劇ばりのワクワクするような、血沸き肉躍る、騎馬チェイスが用意されていて、エンターテインメント性にも満ち溢れていて、カルト的なのに大娯楽映画。
これこそが、まさにバートン監督映画の魅力であり、彼のように鮮やかに自分の趣味とビジネスを両立させている監督は、長いハリウッド映画の歴史の中でも、極めて稀な存在だと思います。
ダークファンタジーの雰囲気がとても好みの映画でした。開拓時代の名残を残す北アメリカの暗い森、陰鬱な村、登場人物のすべてが恐さと同時に美しさを持っていて、幻想的なホラーの世界にがっつりと浸かれます。グロいシーンもあるのですが、恐怖の根源がファンタジックな怪物(首無し騎士)にあるので、人間同士の殺し合いを見るよりも後味よく純粋にホラーを楽しめました。恐すぎないホラーを見たい人におすすめだと思います。