ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還の紹介:2003年アメリカ・ニュージーランド映画。J・R・R・トールキン原作の小説『指輪物語』を実写映画化したファンタジー超大作シリーズ三部作の第3弾にして完結編です。悪の冥王サウロンの指輪を破壊するため、壮絶な冒険を繰り広げてきたフロドら旅の仲間たちは最後の決戦に挑みます。
監督:ピーター・ジャクソン 出演者:イライジャ・ウッド(フロド・バギンズ)、ショーン・アスティン(サムワイズ・“サム”・ギャムジー)、イアン・マッケラン(ガンダルフ)、ヴィゴ・モーテンセン(アラゴルン)、オーランド・ブルーム(レゴラス)、アンディ・サーキス(ゴラム)ほか
映画「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還の予告編 動画
映画「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」解説
この解説記事には映画「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ロードオブザリング王の帰還のネタバレあらすじ:起
悪の冥王サウロンの指輪を破壊するため、フロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)はゴラム(アンディ・サーキス)と共に“滅びの山”へと向かっていました。指輪をもう一度我が物にせんと目論むゴラムはわざとフロドとサムの仲を引き裂き、二人はそれぞれ別々に行動することとなります。一方、アラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)、ガンダルフ(イアン・マッケラン)、レゴラン(オーランド・ブルーム)、ギムリ(ジョン・リス=デイヴィス)は、無事ピピン(ビリー・ボイド)やメリー(ドミニク・モナハン)と再会を果たしました。ガンダルフらは、闇の魔法使いサルマンが使っていた透視石パランティーアを見つけ、サウロンの軍勢がゴンドールを狙っていることを知ります。
ロードオブザリング王の帰還のネタバレあらすじ:承
ゴンドールの都ミナス・ティリスに着いたガンダルフとピピンは、ゴンドールの執政デネソール(ジョン・ノーブル)に会い、ローハンへ援軍を要請しますが、デネソールはアラゴルンに対して不快感を示しており応じませんでした。その頃、デネソールの息子ファラミア(デビッド・ウェナム)は闇のオーク軍に破れてミナス・ティリスに撤退、デネソールはファラミアに対して再び拠点を奪回するよう命じて突き放します。一方、ローハンでは、アラゴルンとセオデン(バーナード・ヒル)が兵を集めているところへエルロンド(ヒューゴ・ウィーヴィング)が現れ、王の証である伝説の剣“アンドゥリル”をアルゴルンに手渡します。その剣を使いこなせる者は“死者の軍団”を操ることができると聞いたアルゴルンはレゴラスとギムリと共に死者の道に向かい、アンドゥリルを振りかざして自らに従うよう死者たちに呼びかけます。
ロードオブザリング王の帰還のネタバレあらすじ:転
オーク軍に敗れ去ったファラミアは瀕死の状態でミナス・ティリスに引き上げ、息子が死んだと勘違いしたデネソールは錯乱状態に陥ります。ガンダルフはデネソールに代わって指揮を執り、ローハン軍もミナス・ティリスに急ぎ、サウロンの軍団と遭遇し交戦します。デネソールはファラミアもろとも自らに火をつけて自害を図りますが、ガンダルフはまだ息のあるファラミアを助け、デネソールは塔から身を投げて絶命します。その頃、ゴラムの企みに気づいたサムはフロドの元に戻り、ゴラムの罠に嵌って大蜘蛛シェロブに襲われたフロドを助け出します。一方、死者の軍団を味方につけたアルゴルンらはオーク軍を蹴散らしながらゴンドールに進軍、ゴンドールを勝利に導くと、再び滅びの山を目指し始めたフロドとサムをアシストするためモンドールに向かいます。
ロードオブザリング王の帰還の結末
遂にフロドとサムは滅びの山へと辿り着きました。アラゴルンの軍はサウロンの大軍と対峙して時間を稼ぐなか、遂に火口へと着いたフロドは指輪を投げ入れようとしたその時、ゴラムが指輪を奪おうと襲い掛かってきました。魔力によりかなりのダメージを受けていたフロドは最後の力を振り絞ってゴラムごと指輪を火口に投げ捨て、指輪はゴラムごと見事に破壊され、サウロンの魂も軍団も完全に消滅しました。使命を終えたフロドとサムは喜びを分かち合い、ガンダルフらに救出されます。アラゴルンはゴンドールの国王に即位し、戴冠式にフロドら旅の仲間を招いて感謝の意を伝えました。フロドらホビット4人は13ヶ月ぶりにホビット庄に帰還、中つ国の第4世紀が始まりました。サムは結婚し、フロドはビルボ(イアン・ホルム)が書いていた「ホビットの冒険」に新たに「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」を付け加えます。しかし、闇の魔力に蝕まれたフロドの傷は重く、全ての使命を終えたフロドは書をサムに託し、メリーやピピンに別れを告げ、ビルボやガンダルフ、エルフたちと共に神の国ヴァリノールへと旅立っていきました。
以上、映画ロードオブザリング王の帰還のあらすじと結末でした。
ホビットシリーズ・ロードオブザリングシリーズのネタバレあらすじ一覧
2012年:「ホビット 思いがけない冒険」ネタバレあらすじ
2013年:「ホビット 竜に奪われた王国」ネタバレあらすじ
2014年:「ホビット 決戦のゆくえ」ネタバレあらすじ
2001年:「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」ネタバレあらすじ
2002年:「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」ネタバレあらすじ
2003年:「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」ネタバレあらすじ
「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」感想・レビュー
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「ロード・オブ・ザ・リング」も、この第三部で遂に完結の時を迎えました。
フロドは滅びの山に指輪を捨てることが出来るのか? アラゴルンらは冥王サウロンの軍勢からゴンドール王国を守ることが出来るのか? という、この「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」は、ファンタジー映画の最高峰だと言えると思います。
このシリーズで私が最も好きな「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」について、その思いを下記に書いてみたいと思います。
全てのドラマは結末に向かって、疾走していく。
七層建築の白亜の城塞都市ミナス・ティリス、巨獣オリファントの群れと二十万余の兵が、ペレンノールの野で激突する”中つ国”最大の戦闘など、最初から最後までがまさにクライマックスという、壮大な巨編のフィナーレに立ち会えた興奮と感動は、一生忘れることがないほどのインパクトを、私に与えてくれました。この映画を観終わった時に覚えた、本当に長い旅を終えたかのような疲労感と安堵感、そして、もう旅に出ることはないという寂寥感は、何とも言葉に出来ないものがありました。
あらためて、このシリーズを観続けた私も、彼ら、旅の仲間と共に果てしない旅を続け、そして、終えたんだ、という実感がこみ上げてきます。この映画の作劇面に関して言うと、まずは冒頭に、ゴラムがまだスメアゴル(アンディ・サーキス)であった頃、指輪を手に入れて、身も心も変貌するほどの過程を挿入した点が良かったと思います。
下手なダイジェストを流すよりも、よほどこの苛酷な旅の意義が鮮明になります。もちろん、第二部同様、この第三部でも主人公たちのグループを三つに分け、各々の空間を巧みに交錯させていくストーリー・テリングこそが、3時間23分もの長さの上映時間を全く感じさせない最大の要因であることは、言うまでもありません。
この三つのグループとは、セオデン王を中心にアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)とレゴラス(オーランド・ブルーム)、ギムリ(ジョン・リス・デイヴィス)にメリー(ドミニク・モナハン)が加わったローハン国の軍勢、モルドールとの決戦に備えるべく、ゴンドール国へ説得に向かったガンダルフ(イアン・マッケラン)とピピン(ビリー・ボイド)、そして、ゴラムを道先案内人として、敵国モルドールへと潜入したフロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)です。
このように離れた場所を舞台にしながら、この作品が一本筋の通ったドラマとしてブレを感じさせないのは、彼らの決死行は全て、フロドという小さなキャラクターが指輪を捨てるという使命を達成するためのものであり、その使命のためには何ら自己犠牲をいとわないという固い結束が、徹底して描き込まれているからだと思います。
この物語は、弱気が強気をくじくことの”カタルシス”と、あらゆる誠心の中で、「自己犠牲」の精神こそが、最も感動的であることをよく知っていて、とことんそこにこだわってみせるのです。
そして、この第三部を牽引するのは、極めてシンプルなエモーションなのだと思います。
サムが自分を見失いかけたフロドを励ますために、故郷のホビット庄を語り、遂にはフロドを背負って歩き出す場面は、”永遠の名場面”として長く語り継がれることになると思います。ビジュアル面について言えば、戦争シーンが前作にも増して素晴らしく、様々なアイディアに溢れています。
クリーチャーの怪物たちのリアルな動きからは、一時も目が離せず、自然と身を乗り出してしまいます。この映画の視覚スペクタクルの偉大な点は、登場人物たちがとてつもない危機に立たされているという状況を、ロングショット一発で知らしめるところだと思います。
モンドールの黒門の前で、四面楚歌に追いやられた様を、俯瞰で捉えたショットが、その典型です。そして、私が最も感動したのは、王の戴冠式で、小さき者、ホビットが王から最敬礼をもって迎えられる場面です。
更には、彼らが帰り着いたホビット庄の変らぬ美しさだ。
やはり、この物語はホビットたちの物語だったのだ、と。
彼らこそが真の英雄なのだとあらためて思います。因みに、「指輪物語」の原作には、フロドたちがホビット庄に帰ると、村はサルマンに支配されていて、フロドたちの活躍で村を荒廃から救うというエピソードがあります。
しかし、個人的には、映画版ではホビット庄に帰ってからのサルマンとの闘いは必要なかったと思います。長い長い三部作の道程を経て、フロドが指輪を捨て、アラゴルンが王位について、遂に大団円と思った矢先に、まだ何らかのエピソードがあると、普通の感覚の人間ならげんなりすると思うからです。
小説ならば、ちょっとずつ読み進めていったりする手があるが、映画のように長時間観ている分にはそうもいきません。
それだけに、ピーター・ジャクソン監督の大英断には心から拍手を送りたいと思います。映画を観終えて、あらためて思うことは、ホビットたちこそが真の英雄であると思うのですが、しかし、この映画は単純な英雄譚ではないとも思います。
このドラマは、勝利の果てにある”喪失”を描いていて、どこか”深遠な哀しみ”をたたえていると思います。指輪戦争の終結と共に、世界から魔法は消え去りますが、同時に”中つ国”の一つの時代は終わりを告げるのです。
フロドたちの顔には会心の笑顔などなく、戸惑いの表情が浮かんでいる——–。何一つ変わっていないはずのホビット庄の景色も、彼らにはどこか違って映っているような気がします。
それはつまり、彼らが大きなものを得た代わりに、大きなものを背負ったことを物語っているのだと思います。
そして、それは少年が大人に成長していく時の感覚に似ているのかも知れません。だからこそ、ドラマの悲劇性とは裏腹に不思議と暗さはないのだ。
一人前の男になるための通過儀礼を経たフロドたちに、どこか共感を覚えるためなのかも知れません。
こうして訪れる新たな旅立ち。灰色港の別れの場面でフロドが浮かべる万感の笑顔を見て、やっと私も幸福な涙を流すことが出来たのです。1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を越えるSF映画が、それから55年たった現在でも現われていないように、この「ロード・オブ・ザ・リング」三部作も、ファンタジー映画の金字塔として、恐らく今後、数十年は君臨するのではないかと思います。
全くタイプの異なる「2001年宇宙の旅」と「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズですが、共通する部分があるとすれば、スタンリー・キューブリックとピーター・ジャクソンという二人の監督が、映像、音楽、とりわけ美術に対して、微塵の妥協も許さぬ”完璧主義”を貫いた点、原作が普遍的な輝きを放っている点ではないかと思います。
この二点が、映画が時代を超越するための必要十分条件なのかも知れません。
あらためて、映画というものが、”総合芸術”であるということを、この映画を観て、強く実感しましたね。そもそも、考えてみれば、J・J・R・トールキンの壮大な長編を、15カ月かけて一気に撮影し、1年おきにリリースしていくなんて、こんなクレイジーな企画がよくも実現したものだと感心してしまいます。
しかも、3億ドルの総製作費を任せるのは、ニュージーランドの辺境にいた一介のホラー映画監督なのだ。
紛れもなく、伝説の序章は、製作スタジオのニューライン・シネマの勇気ある決断にあったと思います。そして、この映画は第76回アカデミー賞にて、作品賞、監督賞を含むノミネート11部門の全てでオスカーを獲得するという、映画史に燦然と輝く快挙を成し遂げました。
そして、ピーター・ジャクソン監督は真の王者になったのだと思います。
もどかしい!と思いながらもシリーズ全話見てしまいました。完結編の今作は見ごたえたっぷり。やっぱりそうなるよねと意外性こそないものの映像の美しさやじれったさが尾を引く面白さでした。それにしてもスメアゴルの邪魔さ加減は毎度のことながらイライラしっぱなし(笑