チャンスの紹介:1979年アメリカ映画。ポーランド出身の小説家ジャージ・コジンスキー原作、脚本の作品。愚直な庭師チャンスがひょんなことから英雄として祭り上げられていく様を、現代社会や政治への痛烈な風刺を込めて描いた異色のコメディ映画です。
監督:ハル・アシュビー 出演者:ピーター・セラーズ(チャンス)、シャーリー・マクレーン(イブ・ランド)、メルヴィン・ダグラス(ベンジャミン・ターンブル・ランド)、ジャック・ウォーデン(大統領)、リチャード・ダイサート(ロバート・アレンビー)、ほか
映画「チャンス」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「チャンス」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「チャンス」解説
この解説記事には映画「チャンス」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
チャンスのネタバレあらすじ:起
庭師のチャンスは、長年仕えてきた屋敷の主人が亡くなったことを家政婦のルイーズから知らされます。しかし、死について深く理解できないチャンスは、主人の死にもわずかな反応しか示しません。彼の日常は変わることなく、庭の手入れに励む以外は大好きなテレビを見て過ごすのでした。
やがてルイーズが去っていき、屋敷に一人取り残されたチャンスでしたが、彼には故人との関係を証明できるものがありません。チャンスはまもなく弁護士から立ち退きを迫られてしまうのでした。
チャンスのネタバレあらすじ:承
チャンスは荷物をまとめ、トランク一つを下げて住み慣れた屋敷を後にします。チャンスは庭師の仕事を探すため、あてもなく街を彷徨います。そして街頭のテレビに気を取られていたところを車に挟まれ、脚を痛めてしまいます。
車の持ち主である女性イブに説得され、彼女の住む家で怪我を看てもらうことになります。辿り着いた大邸宅でチャンスは怪我の経過を見るため、1、2日滞在するよう医師のロバートに勧められるのでした。
大邸宅の主人であるランドは身体が不自由であり、チャンスは彼の良い話し相手となります。資産家で財界の大物であるランドは、チャンスの落ち着いた物腰や決してお世辞を言わない実直さを気に入ります。そしてランドは大統領との面会にチャンスを同席させます。
大統領に意見を求められたチャンスでしたが、政治や財政のことなど分らないため、庭や植物について語り始めます。チャンスの的外れの回答は意味の深いアドバイスと受け取られ、大統領も彼の言葉に感心してしまうのでした。
チャンスのネタバレあらすじ:転
イブにとっても心優しいチャンスは心を許せる存在であり、次第に彼を男性として意識し始めます。一方、大統領が会見のスピーチでチャンスの言葉を引用したことから、彼は一躍有名人になります。
ついに憧れだったテレビのトークショーに出演したチャンスでしたが、彼を幼い頃から知るルイーズだけは苦々しい気持ちで画面を見つめているのでした。チャンスの素性を調べていた大統領は、彼が身分証すら持っておらず、何の記録も残っていない謎の人物であることを知ります。
チャンスはイブから猛烈なアプローチを受けるようになりますが、女性への免疫がないため、どう接していいのかわかりません。イブはそんな彼を意志の強い男だと勘違いし、さらに好意を寄せていくのでした。
やがてチャンスはランドの代理として、政治家の集まるパーティーにも出席するようになり、ランドの後継者として世間から認知されていきます。一方、大統領はチャンスを他国のスパイではないかと疑い始めますが、素性が分からないため、それ以上調べようがないのでした。
チャンスの結末
ランドの身体は日を追うごとに弱っていき、彼は死を覚悟します。チャンスが庭師であることを知った医師のロバートは、ランドに彼の素性について話そうと試みます。しかしチャンスのおかげで死を考えるのが楽になったと語るランドに、それ以上何も言うことはできないのでした。
やがて容態の悪化したランドは、チャンスにイブのことを託して死んでいくのでした。ランドの葬儀が取り行われる中、参列者達からはチャンスこそが次期大統領候補にふさわしいと噂されます。しかし葬儀を抜け出したチャンスは森の中を彷徨い始め、やがて深い湖の上を悠然と歩いていくのでした。
以上、映画「チャンス」のあらすじと結末でした。










【可笑しくも哀しい大人達のメルヘン】………〈映画史に燦然と輝く珠玉の名画〉
我欲に囚われず、自己主張をせず、嫌味を言ったり、愚痴や泣き言も言わず、感情的になったり、罵詈雑言を浴びせたりもしない ………
かように「無欲な人間ほど厄介で手ごわいものはない」のである。 …… そしてまた「沈黙は金 雄弁は銀」とも言う。
正にチャンスは寡黙で欲の無い「超人か聖人のような」ピュアで透明な存在なのだ。 まるで「ツァラトゥストラ」のような ……
かつて民俗学者の柳田國男は「7歳までの子供は神である」と言っていた。 柳田 曰く …「七歳までは神のうち」
一介の庭師として閉ざされた空間の中で、ほぼ「無菌状態」で過ごしたチャンスの魂もまた「7歳児の無垢」のままだったのである。
それに引き換え、チャンスを取り巻く人々は …「大富豪のフィクサー」「政財界の大物」「資産家のセレブ」「メディアの大立者」などなど …
いずれも「海千山千」の強者(つわもの)ばかり … 。 権力も財力もある人間は概ね「日常のマンネリズム」には辟易しているものだ。
そこへ「ある日突然サンタクロース」が現れた!…… チャンスは暇を持て余すセレブにとっては ……「聖人のサンタ」か …
はたまた「超人で哲学者のツァラトゥストラ」だったのである。 セレブたちは「多弁で饒舌な俗物」や「狡猾な詐欺師」には「ウンザリ」していたのだ。
この作品が非凡で傑出している点は … 決してチャンスを滑稽な「道化師」としては描かず ……
最後までチャンスを「謎めいた存在」として、セレブたちの「羨望の的/カリスマ」として見事に描いてみせた所にある。
この映画でチャンスを演じた「千両役者のピーター・セラーズ」が本領を発揮して「一世一代の名演」をみせてくれた ……
生粋の英国人としての「端正でノーブル」な佇まいがセラーズの真骨頂。 セラーズがチャンスを演じたことでこの作品が成立しているのだ ……
もしもピーター・セラーズがいなかったなら「チャンス」はきっと「凡作か失敗作」に終わっただろう。
そしてまたシャーリー・マクレーンの功績も大きい。 ハリウッドの数多の傑作・名作映画に出演してきた「最も偉大なる女優」も真価を発揮した。
シャーリーこそは大豪邸が似合う「真にゴージャスな女」なのである。 とびっきり「セクシーで可愛くてコケティッシュ」なシャーリーの魅力がいっぱい!
生来のコメディアンであるシャーリーは、セレブを演じても「嫌味がなく」 女給や娼婦を演じても「下品にならない」………
シャーリーはつねに「シャーリー」なのだ。 映画ファンに「夢をいっぱい与えてくれる」稀有な存在が「シャーリー・マクレーン」なのである。
この作品の素晴らしさは「まだまだいっぱい」… ある。 「ウィットに富んだ大人の会話」や「皮肉/風刺/ブラックユーモア/暗喩」などなど ………
チャンスをめぐって「大きな勘違い」をして … 子供がサンタを信じるように …
疲弊したセレブたちもまた「魔法の夢を叶えようとした!」 これはそう言う「可笑しくも哀しい大人達のメルヘン」なのである。
ラストシーンのチャンス/セラーズの後姿が「神々しく愛しく … 」 これこそは正に〈映画史上屈指〉の【名場面中の名場面】なのである。