バス停留所の紹介:1956年アメリカ映画。マリリン・モンローがニューヨークのアクターズ・スタジオで演技のレッスンを受けた後のハリウッド復帰作。彼女が演技に開眼した作品とされる。無礼で田舎者だけれど純心なカウボーイのドン・マレーがアカデミー賞にノミネートされている。
監督:ジョシュア・ローガン 出演者:マリリン・モンロー(シェリー)、ドン・マレー(ボー・デッカー)、アーサー・オコンネル(ヴァージ)、ベティ・フィールド(グレース)、アイリーン・ヘッカート(ヴェラ)、ロバート・ブレイ(カール)、ホープ・ラング(エルマ)その他
映画「バス停留所」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「バス停留所」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「バス停留所」解説
この解説記事には映画「バス停留所」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
バス停留所のネタバレあらすじ:初めてのバス旅行
モンタナ州の牧場で育った21歳のボー(ドン・マレー)はアリゾナ州フェニックスで行なわれるロデオ競技会に参加しようとしていた。親代わりのヴァージ(アーサー・オコンネル)が彼に同伴する。都会に出るのはボーにとって初めてだった。バス停まで行く道すがら、ヴァージに「女を知る時だ」と言われる。バスの中でボーは「女のことは何も知らないが天使を探す」と宣言する。ヴァージはボーの高望みに心配する。
雪深い山間の道を通るバスは停留所であるグレース(ベティ・フィールド)の店に停まる。運転手のカール(ロバート・ブレイ)や乗客が腹ごしらえをした後、グレースの店ではたらくエルマ(ホープ・ラング)を客として乗せて再び走り出す。
バス停留所のネタバレあらすじ:天使をみつける
バスはやがて砂漠の中の道に入り、フェニックスでボーとヴァージが下りる。ホテルでボーが入浴している間に、ブルー・ドラゴンという店の窓辺にたたずむ美女を見て気になりヴァージは遊びに出る。美女の名はシェリー(マリリン・モンロー)。ブルー・ドラゴンで歌っているが下品な客を相手にするこの店の仕事にはうんざりしている。でもウェイトレスのヴェラ(アイリーン・ヘッカート)を相手にハリウッドに行って映画に出る夢を語る。
シェリーは一番いい人そうな客のヴァージのテーブルに来る。ヴァージに彼女のウィスキーをおごらせる。そのウィスキーは実は紅茶であるというインチキにヴァージが気づいて怒りだしたところで店の主人は彼女に歌を歌わせる。彼女が歌いだしたところに現れたボーは彼女こそ「天使」と確信。ろくに歌を聴かない客たちを静かにさせショーを盛り上げる。店の外にシェリーを連れ出したボーは「外見に魅かれる」と言われて喜んで彼女に熱いキスをする。ところがロデオ大会で結婚式をすると言い出してシェリーもヴァージも弱る。
バス停留所のネタバレあらすじ:逃げる花嫁
翌日ボーは下宿で寝ているシェリーを起こしてロデオにひっぱって行く。ボーは各種目で妙技を見せ、そのたびに観客席のシェリーの名を呼ぶので、シェリーは赤面のし通し。ボーがいつの間にか結婚式の準備をすっかりしているのに気づいてシェリーはロデオ会場から逃げ出す。
ボーが競技を続けているうちにシェリーはブルー・ドラゴンでヴェラやヴァージと、ボーから逃げる相談をする。ヴァージはシェリーがいい娘であることがわかってくる。賞金をもって店に現れたボーに対してシェリーはうまく嘘がつけない。楽屋の窓からステージ衣装のまま逃げてバス・ステーションでロサンゼルス行きの切符を買うが、結局ボーにつかまり、モンタナ行きのバスに乗せられてしまう。
バス停留所のネタバレあらすじ:雪の中のバス停留所
バスの中でシェリーはエルマにグレースの店で逃げるように勧められる。ボーたちが眠っているうちにバスが停留所を出発してくれればよかったのだが、豪雪でハイウェイが通行止めになり、グレースの店の前でバスは立ち往生することになる。
やがてボーとヴァージが目をさましグレースの店に入る。牧師をたたき起こして結婚すると言って、ボーが嫌がるシェリーを乱暴にももち上げて外に出ようとするのに腹を立てて、彼の前に運転手のカールとヴァージが立ちはだかる。外に出て雪の降る中カールとボーが戦って決着をつけることにする。グレースが観戦を楽しみ、シェリーが心配して見つめる。強がっていたボーだったがカールに負かされ謝罪を約束する。
バス停留所の結末:入れ替わる乗客
朝になる。ヴァージに促されてボーはグレース、エルマ、そしてシェリーに謝罪する。通行止めが解除され、バスが出発することになる。
シェリーはボーに声をかけ、たくさん男がいた自分はあなたの理想の女じゃないと言ってボーをなぐさめる。ボーはサヨナラのキスをシェリーに願って許される。でも最後に、今のままの君が好きだ、自分の牧場に来てほしいと言うボーにシェリーの心が動かされる。ボーの行くところならどこへでもついて行くと言う。一方、シェリーがいれば自分はもうボーには必要ないと言ってヴァージはバス停留所に残るのだった。
アメリカ人と言えど、その全てが裕福な生活をしているのではないのだと、最初にわたしに教えてくれた映画でした。この映画に出演した頃マリリン・モンローは30歳。女盛りでした。この一作でハリウッド復帰が叶ったので彼女にとって記念すべき作品だと言えます。物語は純粋過ぎる牧場暮らしの青年が始めて大きな町を訪れ、そこの酒場で出会った女性に一目ぼれをする、という単純明快な話です。多くの観客が奇行とも言える青年の強引な愛の表現に呆れたと思いますが、最後でめでたく二人の恋が成就する、という結末に満足したのではないか。名作と呼ばれる物は案外単純な世界観で構成されている。例えば『シェーン』や『荒野の七人』のように。私はこう思うのですけれど。前述したように、基本的に人柄が良いといったこと以外にこれといった長所の無い青年は、大人になった幼児そのものでした。おそらく社交的な場所へ初めて行った際に口にしたアルコールの回りが早く、美人だけれども問題を抱え込んだままの安酒場の女給が理想の女性のように思い込んでしまったようで、呆れるような数々の愚行を巻起こし、周囲を唖然とさせるのです。それが偽りの無い愛の姿だとは誰も認めるのですが、少なくとも成人男子のすることではないですね。もちろん彼女も一方的な愛の要求を拒絶し続けるのですが。この映画の不思議な点は、その粗野な青年に誰しもが好感を抱いてしまうところにあるようです。確かに青年の行為は直接的過ぎて理解に苦しむでしょう。まあ大自然の真ん中で日々物言わぬ家畜達を相手に奮戦する日常では、俗世間の事情に疎くなることは理解できるのですけれどね。あれこれあって青年もようやく自分の行動が彼女に受け入れないことを悟りました。私はこの時ほど青年の無垢な心情を感じたことはありません。そして別れの間際に本当の告白をすると…。頑なだった彼女の心も彼の愛情を受け入れることを決意し、ハッピーエンドとなりました。泣けてくる話ですな。でも青年の父親代わりの牧童は、彼のこれからの人生にもう自分は不要だと悟り、二人の前から去る決意を告げました。一緒に楽しく暮らせばいいのに。これも父性愛の一つの形なのですよね。青年は自分達と牧場へ戻るように強要はしたものの、彼女の説得もあり、別れを受け入れる決意をしました。正しく出会いと別れは一つということでした。愛と出会えたことで青年は成人となった。現在と違って、アメリカがあらゆる点と意味で力で満ちていた時代を象徴する名作ですね。