今宵、フィッツジェラルド劇場での紹介:2006年アメリカ映画。取り壊しの決まったフィッツジェラルド劇場で、今夜最後のショーが行われる。そこに現れた白いコートの謎の女は何者なのか?
監督:ロバート・アルトマン 出演:メリル・ストリープ(ヨランダ・ジョンソン)、リリー・トムリン(ロンダ・ジョンソン)、ギャリソン・キーラー(ギャリソン・キーラー)、ケヴィン・クライン(ガイ・ノワール)、リンジー・ローハン(ローラ・ジョンソン)、ヴァージニア・マドセン(デンジャラス・ウーマン)ほか
映画「今宵、フィッツジェラルド劇場で」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「今宵、フィッツジェラルド劇場で」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「今宵、フィッツジェラルド劇場で」解説
この解説記事には映画「今宵、フィッツジェラルド劇場で」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
今宵、フィッツジェラルド劇場でのネタバレあらすじ:フィッツジェラルド劇場での最後ライブショー
ガイ・ノワールはラジオ保安官として、フィッツジェラルド劇場でラジオ公開ライブショーが行われ放送されるのを今まで見守ってきた。しかしWLT社がラジオ局を手放してしまったことから、劇場は取り壊されて駐車場になることが決まっていた。今日は劇場での最後のショーの日。ダスティとレフティの二人は思い出話に花を咲かせ楽屋にスタッフの呼びかけもいつものように無視。楽器の音あわせも終り舞台に出る時間が迫ってきたのでスタッフで身重の彼女は「陣痛が!」と捨て身の冗談で彼らの無駄話を終わらせ、司会者キーラーの元、最後のライブショーが始まる。ロンダと娘のローラを連れたヨランダも楽屋に到着。二人が化粧台で世間話をしながら身支度をしている間、ローラはノートに死についての詩を書きつけていた。保安官のガイは、謎の女からの電話が劇場にかかってきた事を知らされる。彼にはそれが白いコートの女からだと分かっていた。
今宵、フィッツジェラルド劇場でのネタバレあらすじ:謎の白いコートの女現る
キーラーの司会でライブショーが続く中、白いコートの女が裏口から入ってきた。気がついているのはガイと給仕係のおばあさんだけ。彼女は客席に立ったり舞台のセットの中にいたりするが誰も気づく様子はなかった。舞台ではロンダとヨランダがカントリー調の歌をうたい、娘のローラが楽屋にいると話す。ヨランダは今日でライブショーが終りである事を挨拶しないとと、キーラーに相談するが、彼は大げさにしたくないと言って、舞台袖にて対立。白いコートの女の行方が気になったガイは彼女を見張るが、彼女に触れられても出演者は気づかないし、このライブを放送しているミキサーも気づかない。舞台で歌ってみないかと誘われたローラは自殺の歌しかうたわないと言張るもののアメイジンググレイスならとOKを出した。ダスティとレフティは、卑猥な歌をうたわないでとクレームが来ているとスタッフから注意されているのも無視して、ポニーに乗る歌を披露。かつて恋人同士だったキーラーとヨランダは同じ舞台でホームセンターの商品CMの歌をうたい、ヨランダはテープで浮気は修復できないと口を挟んだ。
今宵、フィッツジェラルド劇場でのネタバレあらすじ:休憩室で息を引き取ったチャック
休憩に入っていた老齢のカントリー歌手の部屋に、入室お断りの札があるにも関わらず給仕のエイブリンが入ってくる。部屋には白いコートの女おり、エイブリンはチャックが椅子に身を預けて域を引き取るのを見守った。チャック死亡の知らせを受けたガイは疑わしい者を探す事と、ショーが終わるまでは通報しない事にした。
局からのお知らせでいったん舞台袖に引っ込んだキーラーは白いコートの女に声をかけられる。彼女はライブショーの生放送を運転中に聞いていて交通事故に遭い死んだ、今は天使として神に召される人を連れに来たのだが、事故の時に聞いていたキーラーのジョークがどうして面白かったのか知りたいと、事故で聞けずじまいのジョークのオチをキーラーから聞き出した。スタッフに声をかけられ再び舞台に上がったキーラーに白いコートの女について示し合わせたガイだったが、彼女は自分を天使アスフォデルだと名乗り「行くわ」と言って消えた。ライブの最中に劇場にやって来たのはラジオ局を売り劇場を駐車場に変えた通称首切り人。ガイは彼を特別席に案内した(ボックス席)。首切り人はライブであることに意味があるショーを録音したがったり、舞台上の歌手を猿みたいだと茶化す始末。ガイは再び現れた白いコートの女に特別室にいる男を追いはらってほしいと頼む。
今宵、フィッツジェラルド劇場でのネタバレあらすじ:最後のショーで生まれた新しいスター
舞台袖ではキーラーとヨランダがチャックの死を受けて追悼するかどうかで再び口論。乗り越えて舞台に立ち、旅立ったチャックに歌をおくった。チャックの控え室では横に付き添うエイブリンが聞いてとチャックに話しかける。しんみりした舞台は、ダスティたちの下品な歌でいつもの調子に。舞台に呼ばれたローラが歌を披露し、新人の誕生だという所でショーは終りへと向かう。特別席来た白いコートの女は首切り人に帰りの車は気をつけてと忠告。しかし、空港へ向かった彼の車は事故で炎上してしまった。首切り人は死んでしまった状況は変わらず、フィッツジェラルド劇場は取り壊しへ向けて解体業者がやってきて、最後まで劇場を守っていたガイもその場を去った。数年後、ドライブインのバーでロンダとヨランダはキーラーとガイにさよならツアーをしたいと持ちかける。華々しくデビューしたと思われたローラはやり手の保険外交員になり母の資産を運用中。そこへダスティたちがカウンターへ座り、白いコートの女が入ってきて、笑う四人と目が合った。フィッツジェラルド劇場でのショーの最後、出演者全員が舞台に立ち歌うシーンで物語は終わる。
今宵、フィッツジェラルド劇場でのレビュー・感想:粋な人間ドラマで「終り」を悲しみで満たさないアルトマン監督の遺作。
フィッツジェラルド劇場の最後のショーの時間、ヨランダはあくまでも最後ということや出演者の急逝を悼むことをラジオの電波に乗せようとする一方で司会者キーラーはあくまでいつもの番組であろうとするこの二人の「終り」に対する向き合い方を筆頭に、いつもと変わらずクレームに屈さないダスティ、楽屋で詩作に耽るローラもまた「死」という終りをノートに書き綴り、劇場には白いコートを着た天使が出演者を連れにやってくる。しかし、「終り」が存在すると同時にスタッフの一人が臨月、ローラの才能の開花と言った「始まり」の要素もはらんでいる。ともすると新しい始まりのための終り、というようにも思える。偶然かなにか、この作品はアルトマン監督の遺作となってしまった。しかし、アルトマン監督が終りを告げる劇場の風景の中に、始まりを示唆する象徴を描いていた事を覚えておきたい。
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