ミリキタニの猫の紹介:2006年アメリカ映画。ニューヨークの路上で絵を描き続ける反骨の芸術家、ジミー・ミリキタニの人生を描くドキュメンタリー。映画監督リンダ・ハッテンドーフは、ソーホーで路上生活をしている老画家ジミーの絵を買ったことがきっかけで彼を撮影するようになった。9.11同時多発テロ以降、ジミーを自宅に招いた彼女は、撮影を通してその数奇な人生を垣間見る。日系アメリカ人でありながら強制収容所に入れられていたこと。アメリカへの怒り、そして芸術へのプライド。リンダは様々な手を尽くし、ジミーのサポートを続ける。
監督:リンダ・ハッテンドーフ 出演者:ジミー・ツトム・ミリキタニ、ジャニス・ミリキタニ、ロジャー・シモムラ、カズコ・ナガイ、リンダ・ハッテンドーフほか
映画「ミリキタニの猫」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ミリキタニの猫」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ミリキタニの猫の予告編 動画
映画「ミリキタニの猫」解説
この解説記事には映画「ミリキタニの猫」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ミリキタニの猫のネタバレあらすじ:老画家
舞台は2001年6月、アメリカのニューヨーク。ソーホーで路上生活をしながら絵を描いている老人がいました。彼の名前はジミー・ツトム・ミリキタニ。カリフォルニア州サクラメント生れの日系アメリカ人で、80歳になります。彼は様々な題材の絵を描きますが、特に猫の絵を多く描いていました。
ある日、映画監督のリンダ・ハッテンドーフが彼の絵を購入したことで交流が生まれます。リンダが撮影の許可を求めると、ジミーはすんなり了承しました。ジミーに頼まれ、カンザス大学の名誉教授ロジャー・シモムラに絵を送ります。彼はワシントンスクエア公園でジミーと出会い、互いに収容所の絵を描いていたことからすぐに打ち解けました。
ジミーは3歳の時母に連れられて日本へ行き、広島で育ったそうです。18歳の時海軍兵学校への入学を拒否して父親と喧嘩し、アメリカに戻ってきました。ところが25歳の時、第二次世界大戦下の大統領令によってツールレイク強制収容所へ。そこで3年半もの間過ごしました。「我々12万人は違法に収容された」と非難演説するジミーは、アメリカという国に強い怒りを抱いています。
ミリキタニの猫のネタバレあらすじ:憎しみの連鎖
2001年8月。ジミーは広島に投下された原子爆弾を、それがもたらした地獄を描いています。しかしアメリカ人であるリンダは原子爆弾が投下された日付すら知りませんでした。そして9月11日、アメリカ同時多発テロが発生。世界貿易センタービル崩壊後、周囲は有毒な雲で覆われました。夜の路上で1人咳き込むジミーを見かねたリンダは、彼を自宅へ連れて行くことにします。テレビは連日テロとその報復について報道していました。ジミーは「戦争はいかん」と呟きます。
ある日、リンダはジミーにニューヨーク・タイムズ紙を見せました。そこには「過去を思い出す日系人」と題し、サンフランシスコ在住の詩人ジャニス・ミリキタニの寄稿文が掲載されています。彼女も乳児の時、日系人の強制収容所にいたそうです。そしてアラブ系アメリカ人が自分達と同じ目に遭わないかと心配していました。ジミーはリンダに頼み、ジャニスと連絡を取ってみることにします。テレビは真珠湾攻撃とその余波について解説していました。現在のアメリカの世論は、その時と非常に似ていると。多くの人が収容所へ送られ、そこで死亡しました。
しばらくして、ジャニスから手紙と著書が届きます。彼女はジミーの従兄弟の子どもでした。著書には収容所の詩もあります。ジミーは収容所の出来事を振り返り、いつも後ろをついてきた男の子の話をしました。彼は猫が好きで、よく描いてやったそうです。しかし彼も収容所で死亡してしまいました。
ミリキタニの猫のネタバレあらすじ:ジミーの足跡
ジミーは若い頃料理人でした。雇い主のマンションに住み込みで働いていましたが、彼が死亡して以来25年も近寄っていません。パーク・アベニューへ行ってみると、古い顔なじみの男性ルイと再会しました。ジミーは絵をプレゼントし、嬉しそうに笑います。リンダは社会保障事務所に連絡し、ジミーがきちんと社会保障を受けられるようにしようと考えました。しかしアメリカに怒りを抱くジミーは、この国の保障など要らないの一点張りです。ジミーは戦争の際、旅券等全て没収されました。ワシントンからやって来た役人は市民権を放棄するよう促し、ジミーは言われるがまま従ってしまったそうです。
市民権が無いので戦争が終わっても解放して貰えず、1947年にニュージャージー州のシーブルック農場へ移送されました。そこで2年の過酷な労働を耐え抜きます。リンダが調べてみると、米国司法省はジミーの市民権放棄には法的な根拠が無いとして無効という結論を出していました。しかしジミーのもとにその知らせは届かなかったのです。そして1952年、日本が美術大国であることを知らしめるためにニューヨークにやってきました。
ミリキタニの猫のネタバレあらすじ:リンダの尽力
ある日、思いがけない吉報が飛び込んできます。50年前に生き別れた姉カズコが、シアトルで見つかったそうなのです。早速姉弟は電話で互いの無事を喜びました。兄弟で戦争を生き延びたのは、カズコとジミーだけです。2人は近い内の再会を約束しました。
一方、リンダが手続きを進めたおかげでジミーは社会保障を受けられるようになります。更に高齢者用マンションに移り住むことも出来ました。2002年6月、誕生日を迎えたジミーを、たくさんの人が祝福します。
ミリキタニの猫の結末:怒りは思い出へ
2002年7月。ジミーは招待を受け、ツールレイク巡礼ツアーに参加することになりました。バスに揺られてツールレイクに到着したジミーは、あの頃と同じように風景を描き始めます。猫好きの男の子のために花を供えるジミー。男の子は昨晩夢に現れ、「さよなら」と言っていたそうです。収容所の壁には「教えてくれ 家に帰る道を」と書かれていました。
ジミーはツアーで全てを話し、皆も分かってくれたと言います。彼の怒りは思い出へと昇華されました。その後ジミーは無事カズコ達と再会。ミリキタニの一族が笑顔を浮かべ、この映画は終わりを迎えます。
以上、映画「ミリキタニの猫」のあらすじと結末でした。
『ミリキタニの猫』。NYのソーホーで路上生活をしていた、とある日系人画家の生活と秘められた過去や思いにせまる作品。 ジミー・ツトム・ミリキタニ(三力谷)、米国サクラメント生まれ広島育ち。2001年の初頭にリンダ監督が猫を描く彼に話しかけたのが事の発端。あの911の直後、淀んだ空気の中でも咳き込みながら絵を描いていたジミー爺ちゃんを思わず家へ招き入れた事により、リンダさん彼の摩訶不思議な人生に否応もなく巻き込まれる事となる。幼児の頃両親と広島に渡り日本の教育を受けたものの、海兵隊学校へ行きたくない為にアメリカへ戻り、そこで第2次世界大戦勃発、日系人強制収容所生活を余儀なくされる。戦後、漸く自由の身になった後にNYへ向かう。長年料理人をしながら絵を描き続けたものの、最後の雇い主が亡くなった為に路上生活者となる。日本と米国、2つの国の歴史の闇と法の狭間に落ちてしまった、ジミー爺ちゃんの半生が解き明かされてゆく。荒れ狂う激しいタッチで原爆ドームを描くかと思えば、優しいほのぼのタッチの猫を描き、道行く人を時に惹きつけていた晩年の日々。リンダ監督や福祉事務所の尽力により、市民権回復が確認されてケア付アパートに住めるようになり、数年前に天に召される迄愛猫ミコと暮らしていた、というドキュメンタリー作品。そこに至るまでの彼の生活の変化や日本人にも知られていない歴史的な事だけでなく、長年閉ざしていた心の扉が徐々に開かれてゆくにつれ、爺ちゃんの性格や表情、画風までが穏やかに変わっていく様が映し出されてゆく。スタッフロール時の画面では、撮影中に偶然親戚と判明した日系3世詩人ジャニス・ミリキタニさんと「ミリキタニ・パワー!」と叫びながらピースサイン。人はいくつになっても変われるし、長いトンネルの先にはきっと光がある。闇をそっと照らすともしびを心に感じる作品。
この映画を観られるチャンスはなかなか無いのだけれど、東京でも年に2回ほど開催される、ジミー・ミリキタニ絵画展開催時に上映されるので(時に地方公演もあり)、猫好きの皆さん是非お立ち寄りを。また鮮やかな朱色の広島の柿や鯉、ツールレイク収容所の風景画等、間近で鑑賞しては如何。ビバ、ミリキタニ・パワー!