信仰と冒涜の狭間の紹介:2014年アメリカ映画。敬虔なクリスチャン家庭で育ったレイチェル。大学進学をきっかけに親元を離れたレイチェルは、生物学の授業を受講してから自身の信仰に疑問を抱いていた。それを知った父親のスティーブンは娘の信仰心をなくさせまいと生物学の教授の元を訪問し、進化論を教えていることに疑問を呈する。進化論者である教授はクリスチャンの父親に創造論と進化論について互いの意見を討論会で展開しようと強制的に約束をしてしまう。
監督:リッチ・クリスティアーノ 出演者:ヨルダン・トロヴィリォン(レイチェル・ウィタカー)、ジェイ・ピケット(スティーブン・ウィタカー)、ハリー・アンダーソン(ケイマン教授)クラレンス・ギルヤード・Jr(ポートランド教授)、バレット・ナハン(タイラー)、ほか
映画「信仰と冒涜の狭間」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「信仰と冒涜の狭間」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
信仰と冒涜の狭間の予告編 動画
映画「信仰と冒涜の狭間」解説
この解説記事には映画「信仰と冒涜の狭間」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
信仰と冒涜の狭間のネタバレあらすじ:起
キリスト教徒の両親のもとに生まれたレイチェルは、大学進学をきっかけに実家を離れる準備に追われていました。父のスティーブンは一人娘が家から離れてしまう不安を隠し切れません。家を離れる直前、こっそりと娘の愛用している聖書にドル紙幣をしのばせます。
そんな心配とは裏腹に、レイチェルは充実した大学生活のスタートを切っていました。寄宿舎でのルームメイトとも仲良くなり、人気の高いケイマン教授の授業をきっかけに生物学を専攻に決めます。
ある日、ケイマンは生物学の授業で生命の起源を考えたとき「鶏が先か、卵が先か」と生徒たちに問いかけます。卵が先だという意見が大多数で、鶏が先だと考えている生徒はレイチェルはじめ数名の生徒だけでした。
ケイマンは卵が先であること、それは進化論において科学的な根拠に基いているのだと教えます。クリスチャンのレイチェルにとって、それは同意しがたいことでした。
これまで信じてきたものとの齟齬を感じつつも、レイチェルは大学生活を楽しんでいました。
信仰と冒涜の狭間のネタバレあらすじ:承
休日、レイチェルは久しぶりに両親のもとへ帰省していました。スティーブンは娘の大学の様子を聞き、まだ新しい教会を見つけていないことに気づきます。レイチェルは大学生になってからクリスチャンとしての生活を怠っていたのです。
気がかりなスティーブンは面白い授業だと語っていたケイマンについて調べます。するとケイマンは聖書に記された創造論ではなく、進化論を大学で教えていたことが判明します。
一方、レイチェルは進化論をとなえるケイマンの授業を熱心に受講していました。熱心に授業に取り組むレイチェルは、偶然図書館で出会ったジャーナリズム部のエバンから「ケイマンは正しくない」と忠告されます。
後日、スティーブンは妻と一緒にレイチェルを訪問します。表面上は家族そろってディナーに向かうためでしたが、実はレイチェルを実家に連れ戻し、ケイマンの真意を伺うことが目的だったのです。
ケイマン教授の研究室に乗り込んだスティーブンは、授業で創造論も教えるよう直談判します。しかしケイマンは科学的な根拠に基づいた進化論のみ教える姿勢を変えるつもりは無いと主張します。さらに10月に行われる討論会でこの議論について討論を持ちかけます。無理やりスティーブンを言いくるめ、討論会で議論の決着をつけることを約束しました。
信仰と冒涜の狭間のネタバレあらすじ:転
レイチェルは父の無謀さや恥ずかしさのあまり、討論会への出演をやめるよう懇願します。しかし信仰者として譲れない矜持もあり、スティーブンの決意は揺るぎません。
ケイマンは討論会のテーマが決まったと主催のジャーナリズム部に報告し、授業でも討論会に授業の一環として出席するよう宣伝していました。
討論会のテーマはジャーナリズム部のエバンの耳にも届いていました。討論会にちなみ、エバンは討論に参加するスティーブンについて調査を依頼されます。準備を進めていると、知り合いの学生が昔の新聞記事を提供します。その記事は、12年前ケイマンが同じような議論でポートランドという教授を退職に追いやったという内容でした。
エバンはスティーブンのもとを訪れ、調査の後ポートランドの連絡先を提供します。エバンもクリスチャンであり、不利な状況にあるスティーブンを支援したいと考えていました。早速スティーブンはポートランドに連絡しますが、ケイマンの名を出したとたん断られてしまいます。
討論会が決まってからというものの、レイチェルは憂鬱な日々を過ごしていました。さらにエバンがスティーブンを支援していることを知り、エバンに父の支援をやめるよう懇願します。しかしエバンはクリスチャンとして立派に勤めを果たそうとしていると諭します。
信仰と冒涜の狭間の結末
討論会が迫り、レイチェルは日々苛立ちを募らせます。見かねたエバンは寄宿舎の談話室でレイチェルに考えを改めるよう説得します。
ケイマンは進化論を教え神や信仰に対して疑問を抱かせており、それに対抗しようとするスティーブンの姿勢は正しいというのです。父親に議論をやめさせたいレイチェルは反発しますが、エバンはキリスト教徒として冷静に考えるべきだと諭し、さらにボーイフレンドのタイラーにだまされていることも伝えます。混乱するレイチェルは、もう一度キリスト教の教えに生活をささげ、父親の行動を支援することを決意しました。
討論会の当日、会場はたくさんの聴衆で埋め尽くされていました。しかしそのほとんどがケイマンを支持しており、不利な状況に変わりはありませんでした。
討論会では先にスティーブンが持論を展開します。生命は無菌室で再生産されたものでも観察されたものでもなく、いかに創られたか知ることができるのは聖書だと主張します。生命は神に基づくと考えれば、他のさまざまな事象も納得できるというのがスティーブンの意見でした。
ケイマンはその姿勢を褒める一方、否定的な意見を取ります。神の創造こそが最初の起源である証明に値するものをみせろというのです。その反面、進化論は科学に基づき、進化の過程を証明してきたと言います。さらにフロイドの意見を採用し人が神を作ったのであり、聖書は物語であると強い口調で非難します。創造論の証明を迫るケイマンに対し、スティーブンは答えに窮していました。
そんな時、「フロイドは間違っていた」と観客席から声が上がります。声を上げたのはかつてケイマンと同様の議論をし、退職したポートランド教授でした。
ポートランドは、不幸や理不尽な状況に陥ると、宗教的な人も非宗教的な人も必然的に神を非難すると語ります
。もし人間が神を信じず、何でもできる存在なのであれば神を非難することすらないというのです。進化論についても、犬が進化するのは新種の犬であり、犬から猫やカンガルーにはならないと語ります。進化の過程がその種類の範囲でとどまっていることこそ、神の采配によるものだと語ります。
さらにケイマンの科学的に証明できるものが真実だという意見にも疑問を呈します。科学的に証明できるものが正しいという証明は、神がこの世を創造したことを証明することができないようなものであり、進化論・創造論の議論は信仰の問題でもあること、どちらの観点も過ちではなかったのだと語りました。ポートランドの論にケイマンは反論の余地もなく、討論会は幕を閉じます。
後日、レイチェルはエバンにお礼とこれまでの振る舞いをわび、2人でランチに向かいました。討論会をきっかけにクリスチャンとしての信仰を取り戻したのです。
以上、映画「信仰と冒涜の狭間」のあらすじと結末でした。
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