自由の幻想の紹介:1974年フランス映画。抵抗派が「自由くたばれ」と叫んで処刑されるナポレオン軍占領下のスペインから、物語は一転して現代のパリへ。自由とは幻想=妖怪なのか?ナンセンスで抱腹絶倒、時に倒錯的な挿話がリレー形式で連鎖するこの作品をブニュエル(処刑される捕虜の役で出演もしている)は、『昼顔』等、彼の後期の多くの作品の脚本家であるジャン=クロード・カリエールの全面的な協力で作り上げた。
監督:ルイス・ブニュエル 出演者:ジャン=クロード・ブリアリ(フーコー氏)、モニカ・ヴィッティ(フーコー夫人)、ジャン・ロシュフォール(ルジャンドル氏)、アドリアーナ・アスティ(エステル/マルグリット)、ジュリアン・ベルトー(警視総監)、ミシェル・ピッコリ(警視総監)その他
映画「自由の幻想」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「自由の幻想」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
自由の幻想の予告編 動画
映画「自由の幻想」解説
この解説記事には映画「自由の幻想」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
自由の幻想のネタバレあらすじ:「自由くたばれ」
1808年、スペインの卜レド。ナポレオン軍は抵抗するスペイン人を捕虜にして処刑する。彼らは「自由くたばれ!」と銃殺される前に叫ぶ。
カトリック教会でやりたい放題のナポレオン軍の司令官が、埋葬されている騎士とその妻をモデルにした彫像の妻の方にキスをすると、夫の彫像が彼の頭を殴打し、司令官は気絶する。仕返しに司令官は妻の棺を掘り起こさせるが、彼女の死体は腐敗することなく眠るように横たわっていた。――
現代のパリの公園でフーコー家の家政婦はそんな物語を読んでいた。その公園でフーコー家の少女は、見知らぬ中年男から絵ハガキをもらう。帰宅してその絵ハガキを見たフーコー夫妻は、その卑猥な写真(空に開いた穴のような夕日や、棒状の柱や塔)にショックを受けて、娘をちゃんと見張ってなかった家政婦をクビにする。だが、その夜、フーコー氏は寝室で奇怪な体験をする。翌日、診療所へ行くが、肉体に異常はないと言われる。
自由の幻想のネタバレあらすじ:嵐の夜の宿
その診療所の看護婦が、病気が重い父親を見舞うために医師から休暇を取る。だが、豪雨で父のいるアルジャントンへの道が封鎖されていることがわかり、看護婦は途中の宿屋に自動車を停める。嵐のせいか宿屋は客が多い。やはり豪雨で足止めされた4人の修道士が、看護婦の部屋に病人に奇跡を起こす聖像をもって来て父親のために祈ってくれるが、その後、看護婦とポーカーを始める。
その夜、宿にはさらに、道ならぬ恋で家出した叔母と甥のカップルもチェックイン。甥や看護婦、修道士たちは、別の男女の客の部屋に招かれて酒をふるまわれるが、女が女王様に扮して男の尻を鞭打つのを見せ始めたので、皆逃げ出す。
自由の幻想のネタバレあらすじ:警察へ
翌朝、看護婦は別の男性客を途中まで乗せて行ってあげる。その男は警察官たちに法律を講義する教授なのだが、いい年をしているくせに生徒たちはふざけてばかり。その上、事件があって二人の警官を残して生徒たちは出動。その二人を相手に教授は、風俗の変化の一例として知人の家を訪れた時の体験(椅子の代わりに便器にまたがっておしゃべりをしながら排泄し、食事は一人でトイレの中でする)を話すが、その二人も勤務に出てしまった。
二人の警官がスピード違反で取り締まったルジャンドル氏が、診療所で検診の結果を聞く。ガンかもしれないと言われて医者をぶって帰宅する。そこに学校から娘が消えたという電話がある。妻と学校に行くと、娘は確かに教室にいるが、ルジャンドル夫妻は納得できず、娘を連れて警察に行き、娘の捜索願を出し、署長は巡査部長にパリ中を探すように命令する。
自由の幻想のネタバレあらすじ:狙撃者
その巡査部長が、靴磨きに靴を磨いてもらう。巡査部長の次に靴を磨いてもらった男がモンパルナス・タワーの高層階に上り、取り出したライフルで無差別にカラスや下の道を歩く人間を撃っていく。
14か月に及ぶ裁判の後、男に死刑判決が出るが、判決の直後に男はなぜか手錠を解かれ、傍聴人たちと共に外へ出ていく。
自由の幻想の結末:二人の警視総監
ルジャンドル夫妻の娘の捜索はずっと続いていたが、とうとう警視総監が夫妻を呼び、「見つかった」娘を引き渡す。総監は発見の事情の説明は秘書にまかせて、人と会う用事で酒場へ。だが、そこに会合の相手はおらず、代わりに彼は後から店に入ってきた、ちょうど4年前に死んだ愛する妹マルグリットにうり二つの女性エステルに、妹と最後に話をした暑い夏の日の思い出を語る。
ところがその店に、妹のマルグリットと名乗る女から電話がかかってきた。女はマルグリットと警視総監しか知りえない秘密を知っていた。総監は「死の神秘がわかる」からと、納骨堂にその夜来るように言われる。
総監は、閉まっている時間に無理を言って納骨堂に入るが、妹の棺を開けようとするところで逮捕されてしまう。私は警視総監だと言い張るので署長が警視総監に電話すると、警視総監が電話に出て、男を連れてくるように言う。警視総監の部屋では二人の警視総監がなごやかに会話を交わす。二人の警視総監はその日、予定通り動物園へ行く。動物園に立てこもる暴徒たちは「自由くたばれ」と叫び、二人の警視総監は弾圧を指示するのだった。
以上、映画「自由の幻想」のあらすじと結末でした。
「自由の幻想」という、いかにもいわくありげな題名と、「今度は完全に自由な映画を作るつもりだ」と語ったと言われているルイス・ブニュエル監督自身の意図からして、これは一見すると何やら小難し気な作品であるかのようだ。
「アンダルシアの犬」以来の、この孤高のシュールレアリストのブニュエル監督の軌跡を知れば知るほど、私は観る前から自由どころか、精神のコワバリをさえ覚えるのだ。
ところがブニュエル監督は、そんなものは無用の緊張とばかりに、冒頭から観る側のコワバリを解きほぐしにかかるのだ。
この「自由の幻想」の醍醐味は、まずもって、この精神の脱臼作用とも言うべき解放感のうちに求められるであろう。
1808年、スペインの古都トレド、ナポレオンの軍隊が侵入し、画面では今しも抵抗者たちの処刑が執行されている。
銃口を前にして、スペインの老若男女が口々に叫ぶ。
自由くたばれ! と—–。
フランス革命の理想に対するブニュエル監督一流の痛烈な反語だ。
ブニュエル監督にしては珍しい”歴史劇”かと思っていると、実はこのエピソードは、昼下りのパリの公園で、一人の中年の女が読んでいる本の中の出来事であることがわかる。
むろん、時点は現在だ。この中年の女がかしずく良家の少女に、見知らぬ紳士が数枚の写真を渡す。
帰宅して、両親(ジャン=クロード・ブリアリ、モニカ・ヴィッテイ)に見せる。
おおイヤだ、何て猥褻なんだろうと嘆く両親の声。
しかし写真は、凱旋門をはじめ何の変哲もないパリの風景ではないか!
その深夜、父親が悪夢にうなされた。
映画史上の傑作「忘れられた人々」の有名なシーンの再現だ。
翌日、父親は病院へ行って、夢判断を仰ぐが、むろん相手にされない。
するとその病院の看護婦宛てに母危篤の電報が来て、嵐の中へと旅立って行く。
途中の安ホテルで黒衣の修道僧たちとカードに打ち興じるのは、これまた名作「ビリディアナ」の再現だ。
このように、またもやお話変わりましてとなるあたりで、どうやら、この作品の構成が、無限に連鎖するコントの集成であるらしいことに気づかされる。
それではと、開き直った観る側が、ギャグまたギャグに哄笑していると、ラストシーンで、警視総監(ミシェル・ピッコリ)指揮のもと、パリ五月革命の残党たちへの大弾圧が展開され、再び、自由くたばれ! というスローガンが、斉唱されるというオチがつく。
既成の映画作法からあくまで自由に、ルイス・ブニュエル監督は、果敢にも観ている我々をも笑い飛ばすのだ。