ジェレマイア・タワー 最後のカリスマシェフの紹介:2016年アメリカ, メキシコ映画。アメリカ料理、レストラン文化に確信をもたらしたジェレマイア・タワー。謎に満ちた彼と料理の関係を、同僚やジャーナリスト、そして本人のインタビューで解き明かす。
監督:リディア・テナグリア 出演:ジェレマイア・タワー、アンソニー・ボーディン、マリオ・バタリ、ルース・ライクル、ほか
映画「ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフの予告編 動画
映画「ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフ」解説
この解説記事には映画「ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフのネタバレあらすじ:起・知る人ぞ知るカリスマシェフ
アメリカ料理の父と言っても過言ではない、シェフのジェレマイア・タワー。彼は1970年代初頭、カリフォルニアのシェパニースを有名にし、アメリカのレストランを変えた。しかし突然消えてしまった。誰も彼の事を知らず、噂だけが一人歩きする。
ジェレマイア・タワーはアメリカで生まれ、オーストラリアなどを経由し、イギリスに移住した。父は不倫も多く、母はアルコール中毒だった。それでも両親は彼と客船などでハイクラスな旅をした。
子供の頃の旅の中で色々な文化に触れた、キッチンに魅了され興味を持ち、メニューの本を読んだ。食事は親友のようなものだったが、両親との繋がりの薄い彼は、常に孤独だった。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフのネタバレあらすじ:承・アメリカへ
イギリスの寄宿生活において無法者だった彼は、ハーバードに行くことを決められており、建築を学んだ。そこで、四年生の時に真剣に料理を始め、自分のやり方で料理をすると決めた。
学生運動より料理をし、1970年、アメリカを旅して、シェパニースで働くようになった。オーナーのアリスは料理には博識ではなく、直感的なシェフで、彼がキッチンを任されるチャンスを得たのは偶然だった。今までの経験を生かせると思い、そこで異なる文化を調合した。
フランスの料理をメニューに持ち込んだ時、ちょうどフランス人の料理人が入り、評判になった。フランスを取り除き、カリフォルニア向けのメニューを作った。地元の食材を使った。フランス産にこだわらず、アメリカ産の材料を使うようになった。その頃、シェパニースはライターのジェームスの評価で客も変わった。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフのネタバレあらすじ:転・スキャンダルと独立
アリスがジェレマイアの作ったメニューを自分が作った事にしていた事がスキャンダルになった。彼は店を辞め、サンフランシスコの路地裏に新しい店を作ろうとしていた。
そこは到底レストランが成功するような場所ではなかったが、スータズと名付けたその店はオープンキッチンなど画期的な点がエンターテインメントとして受け入れられた。名士や有名人が訪れ、ジェレマイアはセレモニーのホスト役をこなし、更にレストランの広告にも自ら映った。
しかしそのスターズも閉店し、ジェレマイアとは連絡が取れなくなり、謎の多い彼が業界を離れてしまった事を、皆が惜しんだ。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフの結末:新しい挑戦
2014年、ジェレマイアがニューヨークのレストランで働く事になった。居酒屋でシェフを勤める事が話題になった。しかし、その店は評価が良くなかった。
しかし彼がシェフになる事で店の評判も上がった。けれど料理は常に味を保つことが肝心で、2015年2月に出された星付けの評価は満足のいくものではなく、オーナとは決裂、彼は居酒屋を辞めた。
ジェレマイアについては今だ謎に包まれている事が多い。彼自身はゲイだったが、エイズ偏見抗議デモや集会には参加しなかった。しかしエイズの従業員の治療費を払っていた事もあった。
伝統と新しい物を融合させた最後のシェフ。常に折れない芯を持ち、先駆者であり続けたジェレマイアは常に理想を背負っており、その姿は孤独に見えるかもしれない。
以上、映画「ジェレマイア・タワー 最後のカリスマシェフ」のあらすじと結末でした。
ジェレマイアタワー 最後のカリスマシェフのレビュー・考察:「シェフ」と言う存在
ジェレマイアのようなシェフが存在するまで、シェフは、「料理人」でしかなく、もっと言えば使用人のくくりで、表に出る存在ではなかった。しかし、オープンキッチンなどにすることで厨房を見えるようにすることによって、まるでステージに立つスターのように映ったに違いない。
また、作中で、ジェレマイアの作る料理をアートと表現される事がある。もし、シェフとしてのジェレマイアが孤独に見えたのだとしたら、それは料理人の職人としての面よりも芸術家としての面が強く表に出た結果だろうと思う。
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