ZAPPA(ザッパ)の紹介:2020年アメリカ映画。1960年代から90年代に、アメリカとヨーロッパを中心に活躍したミュージシャンのフランク・ザッパ。彼のジャンルはロックだけでなく、ポップ、ジャズ、クラッシックと多才でした。過激な歌詞と音楽だけでなく、その奇抜な言動は保守的な人たちからは反発を受けました。今では彼は20世紀アメリカ音楽業界で多大な影響をあたえた一人として評価されています。『Zappa』は家族、関係者のインタビューでザッパの生涯、音楽を振り返るドキュメンタリーです。
監督:アレックス・ウィンター 出演:フランク・ザッパ、ブルース・ビックフォード、パメラ・バレス、バンク・ガードナー、ディヴィッド・ハリントン、マイク・キニーリー、スコット・トゥニス、ジョートラバース、イアン・アンダーウッド、ルース・アンダーウッド、スティーヴ・ヴァイ、レイ・ホワイト、ゲイル・ザッパ、ほか
映画「ZAPPA」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ZAPPA」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ZAPPAの予告編 動画
映画「ZAPPA」解説
この解説記事には映画「ZAPPA」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ZAPPAのネタバレあらすじ:起・ザッパの少年時代から音楽デビュー
1991年チェコスロバギアの首都プラハ。フランク・ザッパはコンサート会場で大声援を受けます。1990年代には生きる伝説となっていたザッパの人生が紹介されます。
ザッパは1940年生まれ、4人兄弟の一人として生まれます。彼の家には当時としては珍しいホームビデオがあり、その映像が紹介されます。彼の父は軍需産業に関わり化学兵器の施設で働いていました。そのため、家にはガスマスクがあり、ザッパは爆弾の爆発に興味を持ちます。彼の家族は仕事のため全米を引っ越します。
カリフォルニア。高校生のザッパはR&B音楽に興味を持ちます。彼はエドガー・ヴァレーズという作曲家とクラッシック音楽にも興味をもちます。高校在学中、バンドBlackoutの一員として音楽活動をします。1959年に大学に入学しますが、すぐに辞めてロサンゼルスに移ります。彼は一時期、絵を描き生計を立てていたといいます。
1960年代からザッパは作曲家として活動し、多くのアーティストに曲を提供します。しかし、1965年には非合法なポルノビデオを作成していたとして逮捕され、刑務所で数ヶ月過ごします。
ZAPPAのネタバレあらすじ:承・フリーク・アウトのヒット
1965年にザッパは、バンド”ザ・ソウル・ジャイアンツ”のメンバーになります。ザッパはバンドの中心メンバーになり、バンド名も”マザーズ”になります。ザッパの活躍はロスで有名になり、音楽プロディユーサーのトム・ウィルソンの目にとまります。ウィルソンはマザーズと契約し、バンド名も”マザーズ・オブ・インヴェンション”になります。
1966年にマザーズ・オブ・インヴェンションはアルバム”フリーク・アウト!”を発表し、大ヒットします。ザッパとバンドは一躍、過激なロックアーティストとして注目されます。ザッパはゲイルという女性と出会い、1967年に結婚。ザッパとバンドは活動の舞台をニューヨークに移します。
マザーズ・オブ・インヴェンションは次のアルバムを発表し、ヨーロッパツアーも行います。ザッパは他のアーティストのレコード制作にも関わります。ザッパとゲイルには子供も生まれます。マザーズ・オブ・インヴェンションは1968年にロサンゼルスに戻ります。
ザッパはファンの女性たちや家族について語ります。妻ゲイルはザッパのツアーで忙しかった時代と、家庭での休む姿を懐かしく語ります。マザーズ・オブ・インヴェンションは1969年後半にバンドの解散を発表。関係者は解散理由を、金銭的なトラブル、ザッパとバンドメンバーの意見の違いだったと語ります。
ZAPPAのネタバレあらすじ:転・ソロとしての活躍、マザーズの復活、多くのジャンルの音楽への挑戦
ザッパはソロとして活動を開始し、ロックだけでなく、ジャズやクラシックなど多くのジャンルの音楽に挑戦します。また、ジョン・レノンなどの有名歌手とコラボしてコンサートを開きます。1970年にはマザーズをバンドとして復活させ、リーダーとして活躍します。1971年には映画「モーテル200」の音楽を担当し、同じタイトルで発売されたアルバムは大ヒットします。
1971年、ロンドンでのツアー中にザッパは男性ファンに襲われます。そのファンの彼女をステージに上げたため、男性ファンがザッパにヤキモチを焼き、ザッパをステージで襲撃し、ザッパはステージから落ちます。彼は数ヶ月の車椅子生活と、声の衰え、背中の痛みを抱えることになります。
ザッパはステージに復帰し、1970年代も音楽活動を続けます。彼はインタビューで、常に最高のものを作りたいと話します。ザッパは音楽におけるリハーサルの大切さを語り、関係者は「彼は常に高いレベルの音楽を要求した」と振り返ります。
ZAPPAの結末:1980年代の活躍と死
ザッパはお笑い番組に出てコメディアンと共演し、自らの音楽や生活について語ります。関係者は、ザッパは常に個性的な活動をし、特に音楽のビジネス面でも大手レコード会社から独立した活動を行ったと言います。彼は個性的なレコードジャケットを作成し、Tシャツなどのキャラクターグッズの販売も行い、ビジネス面でも成功しました。
1982年には14歳の娘ムーンとのコラボの”Valley Girl”が大ヒットします。彼はヨーロッパでの活動にも力を入れ、ロンドンでオーケストラとも共演します。1980年代後半には、音楽の卑猥な歌詞が子どもたちに悪影響を与えるという批判に対し、アメリカ議会で証言し、音楽の歌詞の検閲に反対します。
ザッパは1980年代のソ連、東ヨーロッパで起こった民主化運動を積極的に支持します。彼はチェコのプラハを訪れ、ハベル大統領と会談し、コンサートを行います。
1990年代に入ると、ザッパの健康は悪化し、家族は彼は病気と闘っていると発表します。ザッパは音楽活動を継続しますが、1993年にガンで亡くなりました。ザッパの死後も、遺作が発表され、また、ロックの殿堂入りも果たしました。
以上、映画「ZAPPA」のあらすじと結末でした。
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