アンネの日記の紹介:1959年アメリカ映画。日本でも翻訳出版されベストセラーとなった、アンネの日記の原作の映画化。ユダヤ人迫害の時代に生きるために、息を潜め隠れて過ごしたオットー一家の娘アンネが残した日記が綴った、アンネたちの過酷な運命が描かれています。
監督:ジョージ・スティーヴンス 出演:ミリー・パーキンス(アンネ・フランク)、シェリー・ウィンタース(ファン・ダーン夫)、ダイアン・ベイカー(マーゴット・フランク)、リチャード・ベイマー(ピーター・ファン・ダーン)、ジョセフ・シルドクラウト(オットー・フランク)、エド・ウィン(デュッセル)、ドディ・ヒース(ミープ)、ほか
映画「アンネの日記」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アンネの日記」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
アンネの日記の予告編 動画
映画「アンネの日記」解説
この解説記事には映画「アンネの日記」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アンネの日記のネタバレあらすじ:起
1945年、ナチスの占領下にあったアムステルダムがついに開放されました。強制収容所を出たオットー(ジョゼフ・シルドクラウト)、唯一の生き残りとなったオットーは、あの忌まわしくも思い出深い、あの屋根裏部屋へと帰ってきました。
そこで今は亡き娘のアンネ(ミリー・パーキンス)が書いたとされる日記を見つけます。
その日記は1942年7月9日から始まりました。アンネの父であるオットーはユダヤ人で、母はオランダ人で、姉のマーゴット(ダイアン・ベーカー)とアンネはドイツでこの世に生を受けます。
アンネの日記のネタバレあらすじ:承
やがてヒトラーが政権を握ると、ヒトラーによるユダヤ人の迫害が始まりました。その流れを受け、オットー一家は日頃から仲良くしているバン一家と共にオランダに亡命することを決めます。
本棚の裏を入り口にした屋根裏部屋を隠れ家にして身を隠します。香辛料工場の社員たちに気づかれないように、足音さえもたてないように静かに息を潜めて過ごしました。
反発し合ったりもしましたが、オットーが上手くまとめ上げ、2年にも及ぶ隠れ家生活を続けることが出来たのです。
アンネの日記のネタバレあらすじ:転
戦争は次第に、連合軍に有利に傾いていきます。ある日、家主の依頼で一人屋根裏部屋の同居人が増えます。歯科医のデュッセル(エド・ウィン)でした。
デュッセルがユダヤ人が受けている迫害の話をしたために、アンネは悪夢に怯え、悲鳴を上げる事もありました。
会社に泥棒が入り、彼らの存在がバレてしまいそうにもなりました。
アンネやマーゴットは、バンの息子であるピーター(リチャード・ベイマー)と仲良くなります。特にアンネは、ピーターと毎日のように屋根裏部屋で語り合いました。ユダヤ人が意味もなく迫害されている現状に、すぐ悲観的になってしまうピーターを、アンネはいつも励ましてきたのです。
アンネの日記の結末
新年を迎え、女性らしくなったアンネはピーターと恋愛関係になり、付き合うようになります。
戦局は、アメリカがイタリアに上陸したと報じられますが、ユダヤ人の迫害はいまだ止むことはありませんでした。ピーターはオランダの義勇軍に参加することを決意します。
ある日、家主のミープが、盗まれたタイプライターの件で聞き込みにゲシュタポが来たことを告げます。それはアンネたちの存在が何者かの密告によりバレた事を意味していました。
8月のある日、それはやってきました。サイレンが鳴り、警察らしき車が階下にとまります。
何かを覚悟したアンネは、愛するピーターに別れのキスをし、人間の善意は永遠に失われることはないと信じ、誰も帰ることのない、ユダヤ人にとって死を意味するあの収容所へと向かうのでした。
以上、映画「アンネの日記」のあらすじと結末でした。
この映画「アンネの日記」は、世界的なベストセラーとなった、アンネ・フランクによる同名の原作の映画化作品で、人間の善意を信じて疑わなかったアンネの短い青春を描いています。
この多感な少女アンネを主人公としたホームドラマ、そして青春ドラマとしてもみられる映画の背後には、あのアウシュヴィッツの無惨な映像が、そっと息をひそめています。
映画は二年余の隠れ家生活の末、遂にゲシュタポによって、アンネたちが捕らえられるところで終わるのですが、アンネ一家、ファン・ダーン一家、デュセルさんたちの姿にオーバーラップして大空が映り、次第に彼らの姿が消えて行き、大空には鳥たちが舞い、そしてアンネの日記の一筋のナレーションが重なります。
「私はやっぱり信じています。こんな世の中だけど——人の心は本来は善だと」。
二年間、狭い室内の中に隠れて暮らさねばならなかった八人にとって、それはなんと皮肉な映像であったことでしょう。
このまさに希望と絶望が溶けあったラストは、そのまま「アンネの日記」の感動の深さを語らずにはおきません。
そう、「アンネの日記」は、人間への希望、生きることの喜びを謳いあげてやみません。
まるでそれは、絶望と悪意の濁流に浮かんだ小さなイカダです。
だが、その少女の息吹きを通して、生きることへの愛おしさが切々と伝わってくるのであり、それはなぜ、人間は絶望や悪意に打ち負かされてはいけないかを語るのです。