ニコライとアレクサンドラの紹介:1971年イギリス, アメリカ映画。ロバート・K・マッシーの著書『ニコライ二世とアレクサンドラ皇后 ロシア最後の皇帝一家の悲劇』を原作とした歴史ドラマです。ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世とその皇后アレクサンドラの波乱万丈の半生をロシア革命の激動や怪僧ラスプーチンのエピソードなどを交えて描きます。
監督:フランクリン・J・シャフナー 出演:マイケル・ジェイストン(ニコライ2世)、ジャネット・サズマン(アレクサンドラ)、ローレンス・オリヴィエ(セルゲイ・ヴィッテ伯爵)、ジャック・ホーキンス(ウラジーミル・フレデリクス伯爵)、マイケル・ブライアント(ウラジーミル・レーニン)、ジャームズ・ハゼルディン(ヨシフ・スターリン)、ブライアン・コックス(レフ・トロツキー)、トム・ベイカー(グリゴリー・ラスプーチン)、リン・フレデリック(タチアナ皇女)、ロデリック・ノーブル(アレクセイ皇太子)、フィオナ・フラートン(アナスタシア皇女)、アイリーン・ワース(マリア・フョードロヴナ皇太后)、ハリー・アンドリュース(ニコライ・ニコラエヴィッチ大公)、マイケル・レッドグレーヴ(サゾノフ)、スティーヴン・バーコフ(パンクラトフ)、ジャン=クロード・ドルオ(ギリアード)、イアン・ホルム(ワシーリー・ヤコヴィエフ)、クルト・ユルゲンス(スクラーツ領事)、ジュリアン・グローヴァー(ゲオルギー・ガポン神父)、エリック・ポーター(ピョートル・ストルイピン)、ジョン・マケナリー(アレクサンドル・ケレンスキー)、ダイアナ・クイック(ソニア)、リチャード・ウォーウィック(ドミトリー・パヴロヴィチ大公)、アニア・マーソン(オリガ皇女)、モーリス・デンハム(ウラジーミル・ココツェフ)、マーティン・ポッター(フェリックス・ユスポフ)、ロイ・ドートリス(ミハイル・アレクセーエフ)、ティモシー・ウェスト(エフゲニー・ボトキン医師)、ジョン・ウッド(コビリンスキー大佐)、アレクサンダー・ノックス(アメリカ大使)、ヴィヴィアン・ピックルズ(ナデジダ・クルプスカヤ)ほか
映画「ニコライとアレクサンドラ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ニコライとアレクサンドラ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ニコライとアレクサンドラ」解説
この解説記事には映画「ニコライとアレクサンドラ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ニコライとアレクサンドラのネタバレあらすじ:起
1904年8月12日。ロシア帝国皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラとの間に第5子にして待望の男子となるアレクセイ皇太子が誕生しました。
この時代のロシア帝国は日露戦争が勃発し、労働者階級が帝政への不満を募らせていました。ニコライ2世の従叔父であるニコライ・ニコラエヴィッチ大公や首相のセルゲイ・ヴィッテ伯爵は立憲君主制への移行を主張していましたが、アレクセイを後継者に据えたいニコライ2世は拒否しました。
その頃、イギリス・ロンドンに亡命していたウラジーミル・レーニン、ヨシフ・スターリン、レフ・トロツキーらは労働者を蜂起させて革命を起こし、帝政を倒すべく革命勢力ボリシェヴィキを結成しようとしていました。
それから程なくして、アレクセイは血友病を患っていることが判明しました。有効な治療法が見つからないなか、ニコライ2世とアレクサンドラは皇太后マリア・フョードロヴナの誕生祝いの日に怪僧グリゴリー・ラスプーチンと会いました。ラスプーチンは超能力でアレクセイの病を治療してみせ、アレクサンドラはすっかりラスプーチンを信用するようになっていきました。
ニコライとアレクサンドラのネタバレあらすじ:承
1905年1月9日。社会情勢に不安を覚える貧困層や労働者ら民衆は正教会の司祭ゲオルギー・ガポン神父に先導され、ニコライ2世に嘆願すべく宮殿に向けて行進を始めました。しかし、政府当局は民衆の弾圧に乗り出し、軍の発砲により民衆側は数百人もの死者を出しました。後に「血の日曜日」と呼ばれる事件です。ニコライ2世は弾圧を主導したヴィッテ首相を解任し、新たにピョートル・ストルイピンを後任の首相に任命しました。
数年後、ストルイピン首相は休暇中のニコライ2世一家のもとを訪れ、ラスプーチンの目に余る行為に関する報告をしました。アレクサンドラはラスプーチンだけがアレクセイの病を治せると心酔しきっていましたが、そんなアレクサンドラの様子を見かねたニコライ2世はラスプーチンを宮殿から追放しました。
やがてロシア国内ではロマノフ王朝300周年を記念する祝賀行事が行われましたが、民衆の反応は冷めたものでした。そんな中、キエフでの祝賀行事の最中にストルイピン首相がボリシェヴィキの青年に暗殺されるという事件が発生しました。ニコライ2世は暗殺犯を処刑し、国民への弾圧を強化しました。
アレクセイの病状が悪化し、アレクサンドラはシベリアにいたラスプーチンに手紙を書きました。ラスプーチンはアレクサンドラの要請を引き受けて再び帝都サンクトペテルブルクに舞い戻り、アレクセイの病状も回復していきました。しかし、この頃からアレクサンドラとラスプーチンのただならぬ関係が噂されるようになっていきました。
ニコライとアレクサンドラのネタバレあらすじ:転
1914年、第一次世界大戦が開戦しました。ニコライ2世はオーストリアを制圧すべく、周囲の反対を押し切ってロシア軍に総動員を命じました。ところが、今度はドイツがロシアに宣戦布告し、戦局は泥沼化していきました。
ニコライ2世は軍の最高司令官だったボリシェヴィキ大公に代わって自ら陣頭指揮を執ることにし、アレクサンドラに国内を託して前線に向けて出発しました。
皇帝不在の間、ロシア国内はさらなる貧困や食糧不足に悩まされていましたが、ラスプーチンはより一層政治に介入していきました。事態を重くみたマリア皇太后はニコライ2世に対してラスプーチンの排除を要求し、ラスプーチンは皇族のドミトリー・パヴロヴィチ大公と側近のフェリックス・ユスポフによって暗殺されました。取り乱したアレクサンドラはドミトリー大公の粛清を命じましたが聞き入れられませんでした。
そして1917年、我慢の限界を超えた国民たちが遂に蜂起しました。2月革命の始まりです。
ニコライとアレクサンドラの結末
1917年3月15日、国会はニコライ2世に対して皇帝退位を要求し、ニコライ2世もこれに応じて皇帝の座を退きました。これにより、300年にわたってロシアを支配してきたロマノフ王朝の帝政は終焉を迎えました。ニコライ2世はアレクサンドラに対して泣きながら謝罪しました。
やがてレーニンが国民の熱狂的な歓迎のもと亡命先からロシアに帰国しました。ニコライ2世とその一族は革命勢力の穏健派であるアレクサンドル・ケレンスキーによってサンクトペテルブルクを追われ、シベリアに送らることとなりました。
ボリシェヴィキはロシア国内の鉄道や電話局、銀行などを次々と制圧し、政府の実権を握って社会主義国家樹立を宣言しました。ロシア国内はボリシェヴィキ派の赤軍と反ボリシェヴィキ派の白軍二分されることとなりました。
ボリシェヴィキはニコライ2世を裁判にかけることにし、一家はサンクトペテルブルクへ移送されることになりましたが、その途中で赤軍により身柄を拘束されてエカテリンブルクにて幽閉されました。そして白軍がニコライ2世奪還に動くなか、1918年7月17日の未明にニコライ2世とアレクサンドラ、一家全員は赤軍によって処刑されました。
以上、映画「ニコライとアレクサンドラ」のあらすじと結末でした。
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