みんなのいえの紹介:2001年日本映画。夫婦の新居建設を巡る騒動を描いたドタバタコメディ。素敵なマイホームを夢見る飯島夫妻は設計をインテリアデザイナーに、施工を大工である妻の父に依頼する。しかしアメリカ式にこだわるデザイナーと従来の様式を重んじる大工は全く意見が合わず、衝突ばかりを繰り返す。果たして無事に家は建つのか?三谷幸喜監督作品第2作目。
監督:三谷幸喜 出演者:唐沢寿明(柳沢英寿)、田中邦衛(岩田長一郎)、田中直樹(飯島直介)、八木亜希子(飯島民子)、白井晃(須賀)ほか
映画「みんなのいえ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「みんなのいえ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「みんなのいえ」解説
この解説記事には映画「みんなのいえ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
みんなのいえのネタバレあらすじ:前途多難な家づくり
舞台は現代日本。放送作家の飯島直介と妻民子は、夢のマイホームを建てる計画を練っていました。お洒落な家に憧れる民子は、大学の後輩でインテリアデザイナーの柳沢英寿に設計を任せたいと提案します。柳沢は快諾しますが、彼は建築士の資格を持っていないので各所への申請が出来ません。そこで夫婦は、民子の父で大工の岩田長一郎に施工を頼むことにしました。やる気満々の長一郎は、早速大工仲間を集めます。後日民子が柳沢の事務所を訪ねると、既に家の外観や室内のイメージが出来上がっていました。そして飯島夫妻と柳沢、長一郎、長一郎の知人で一級建築士の須賀が集まる日。長一郎達は柳沢のデザインを一目見て却下します。高さがあり過ぎて違法建築になってしまうと言うのです。基本も知らない柳沢に長一郎は呆れてしまい、以降彼の意見を軽視するようになります。
みんなのいえのネタバレあらすじ:新進気鋭vs昔気質
作業が進むにつれ、柳沢と長一郎はいちいち衝突するようになります。センスに恵まれているものの現場経験が無い柳沢と、経験豊富だからこそ融通の利かない長一郎。飯島夫妻は2人の仲を何とか取り持とうとしますが上手くいきません。更に風水に入れ込んでいる直介の母までもが口を出し始めます。連絡の途絶えた柳沢を直介が訪ねると、彼は自分の設計を蔑ろにする大工達に強い不満を持っていました。アーティストの情熱を捨て、単なる仕事としてやらせてもらうと言い放つ柳沢。すると直介がそれなら期限を守れと怒鳴ります。アーティストとしての柳沢に改めて設計を頼む直介に、柳沢も頷くのでした。
みんなのいえのネタバレあらすじ:それぞれのこだわり
地鎮祭が行われ、ようやく建設が始まります。和室にこだわる長一郎は、設計上は6畳の和室を独断で20畳にしてしまいます。上棟式の際柳沢がそれに気づきますが、もうどうしようもありません。文句をのみ込みながら、柳沢も作業を進めます。こだわりのタイルを探す柳沢は、名称が分からないので絵を描いて大工達に見せますが、相手にもしてもらえません。しかし大工の1人が、そのタイルは「竹割り」ではないかと言い出します。竹割りは昔の日本住宅によく使われていた物でした。古いものにこだわっているのは案外柳沢の方かもしれないと気づいた長一郎。次第に態度を軟化させ、2人の溝は埋まるかのように見えました。しかし、柳沢は立ち寄ったバーで客より自分のこだわりを優先するバーテンダーに感化され、夜の内に家の壁にペンキをぶちまけます。翌朝、柳沢の行動を知った長一郎は激怒し、二度とここに来るなと怒鳴って彼を追い出してしまいました。
みんなのいえの結末:嵐の夜
数日後、酷い嵐の夜がやって来ます。長一郎が家を点検していると、柳沢がバケツを手に駆け込んで来ました。彼も彼なりに家を心配していたのです。それを知った直介は車で急行しますが、帰る途中だった柳沢の車と衝突事故を起こしそうになります。結果柳沢の車は横転し、彼自身も右腕を負傷。その上修理依頼を受けていた高級家具が横転の衝撃で壊れてしまいます。柳沢は復元不可能だと諦めますが、長一郎は淡々と作業を始めます。長一郎の熱意に打たれ一丸となって挑んだ結果、何とか修理は成功しました。柳沢と長一郎もすっかり和解しています。そして皆で建てた家という証に、それぞれの持ち物を天井裏にこっそり残しました。家は無事完成し、お披露目を兼ねた食事会が開かれます。賑やかな祝いの席を離れ、柳沢と長一郎は肩を並べて座ります。「いい家になったな」「いい家になりましたね」と満足げに呟く2人。互いを認め合った背中が映り、この映画も終わりを迎えます。
以上、映画みんなのいえのあらすじと結末でした。
“三谷幸喜監督のセンスの良さと情熱のほとばしりが感じられるホーム・コメディの傑作「みんなのいえ」”
この映画「みんなのいえ」は、”家を建てる”事をテーマにした、文字通り”ホーム・コメディ”の傑作です。
シナリオライターの直介(田中直樹)とその妻の民子(八木亜希子)は、夢のマイホームを建てようと、設計を気鋭のインテリア・デザイナー柳沢(唐沢寿明)に依頼します。
しかし、実際に家を建てるのは、民子の父親で昔気質の大工の長一郎(田中邦衛)。
当然の事ながら、この二人は衝突し、直介夫婦は右往左往する事になり、果たして、理想のマイホームは完成するのであろうか?—-というお話です。
三谷幸喜監督の前作「ラヂオの時間」は、ドタバタ調のアクション・ムービーでしたが、この作品は落ち着いた雰囲気の漂う、ほのぼのとした喜劇になっていると思います。
考えてみれば、日本人にとって、家を建てるという事は、大きなイベントであるのは間違いありません。
この映画は、それに関わる人々の思惑や本音のぶつかり合いを描き、誰にでもわかりやすく、身近に感じる事が出来る世界から笑いを引き出そうとする趣向で描かれています。
地鎮祭、上棟式、ラストのお披露目と、古くからの日本の慣習に従ってこの物語は進んでいきますが、現代の視点から考えると、風変わりなこの慣習自体が、まさにお笑いのネタになっているのだと思います。
そして、このドラマの核は、大工の棟梁の長一郎とインテリア・デザイナーの柳沢の対立になっていて、物作りの世界における”現場職人と頭脳労働者の対立”は、物凄く普遍的な問題でもあり、多くの日本人の共感が得られる題材でもあると思うのです。
ある暴風雨の夜、現場の様子が心配で建築中の家に姿を現わす長一郎と柳沢。”雨降って地固まる”のごとく、二人の和解を経て、家は完成へ——–。
物語としては、本当にオーソドックスな展開ではあるのですが、古き良き時代のホームドラマを思わせる安心感があって、なかなか良かったと思います。
この対立していた二人を結び付けたのが、”物作りのプロフェッショナル”であるが故の責任感というのが、実に嬉しいですね。
これこそが、人間の熱いハートであり、ある意味、脚本家・監督という”物作り”のプロである事を自負する三谷幸喜自身が、そういった世界感に憧れていたのではないかと思います。
そして、苦労を乗り越えて何かを作り上げた時の達成感は、誰の心にも訴える強い力を持っているのだと思います。
そして、この作品で注目すべきは、田中直樹と八木亜希子という演技に関しては全くの初心者である二人の存在です。
民子は、長一郎と柳沢と夫の直介という三人の男たちを操るフィクサー的なキャラクターで、この民子を演じる八木亜希子の愛らしい若妻ぶりは、控えめで嫌味がなく、結構ハマリ役であったと思います。
そして、ドラマの中心を担うのが八木亜希子なら、笑いの中心を担うのが夫の直介を演じる田中直樹。
直介は長一郎と柳沢の調整役を務めますが、どちらにもいい顔をしようとする優柔不断ぶりで、事態をますます混乱させるばかり。
しかし、どうした事か、この男、混乱が膨らむほどに表情が輝きを増していき、とにかく、これが最高におかしいのです。
普段はココリコとしてお笑いの世界に生きている田中直樹、コメディアンとしての血が、知らず知らずのうちに騒いだのかも知れません。
時として、わざとらしく大袈裟な演技も、そもそもこの映画がコント調の作品である事を思えば、全く問題がなく、むしろ逆に良かったのではないかと思います。
三谷幸喜監督は、演技初心者である、この主演二人の欠点を補い、長所を活かすために、敢えてコント調の演出を行なったような気がします。
そして、結果として、この映画全編に散りばめられたショート・コントや楽屋落ちの山は、とにかく、我々観る者を爆笑、爆笑、爆笑の渦に巻き込んでしまいます。
尚、舞台劇の延長であった前作「ラヂオの時間」と異なり、この作品は、映画のためのオリジナルの脚本で、三谷幸喜はそれを意識したのか、映画的な演出を数多く試みているように思います。
会話のシーンは、思い切った長回しで撮影され、役者はフレーム・イン、フレーム・アウトを繰り返すというように。
そして、フレームの外から音が聞こえてくるデジタル・サラウンドの効果も非常に面白かったと思います。
映画監督としての三谷幸喜の演出は多少の粗さも目立ちますが、それを上回る”センスの良さと情熱のほとばしり”を感じます。
とは言え、やはり三谷映画の面白さは脚本が鍵を握っているのは間違いありません。「映画の出来の80パーセントは脚本で決まる」と言ったのは、三谷幸喜が敬愛してやまない、偉大なるコメディの巨匠ビリー・ワイルダー監督の言葉です。