私は告白するの紹介:1953年アメリカ映画。幼いころにカトリックの学校で教育を受けたヒッチコックが、告解の守秘義務をモチーフに、冤罪を受け苦悩する神父の姿をサスペンスを交えて描いた異色作。カナダが舞台という点でも他のヒッチコック作品とは雰囲気が違っている。
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:モンゴメリー・クリフト(マイケル・ローガン神父)、アン・バクスター(ルース・グランドフォート)、カール・マルデン(ラルー警視)、O・E・ハッセ(オットー・ケラー)、ほか
映画「私は告白する」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「私は告白する」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「私は告白する」解説
この解説記事には映画「私は告白する」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
私は告白するのネタバレあらすじ:1
ヨーロッパ的な重厚な町並みを見せるカナダのケベック。その下町で殺人事件が起き、現場を犯人が立ち去ります。やがてまっすぐその男が向かったのがカトリックの教会。男はそこで下男をしているオットー・ケラーでした。教会を預かるローガン神父と会ったケラーは、自分が殺人を犯してきたことを告白。被害者は悪徳弁護士のヴィレットで、ケラーは彼のところでも庭師として働いていました。貧しい彼は金を無理矢理盗もうとして、つい抵抗する弁護士を手にかけたのです。ケラーは殺人の告白をしたことを妻にも告げます。妻は神父が警察に知らせることを心配しますが、ケラーはそれは杞憂だと妻を安心させます。カトリックの神父には懺悔について秘匿する義務があり、それを破れば自分も罪を犯す事になるからです。
私は告白するのネタバレあらすじ:2
警察の捜査が始まり、目撃者の若い女性2人が見つかります。彼女たちの証言で、現場から立ち去った男は僧衣を着ていたことが分かり、ローガン神父が容疑者と見なされます。しかし、彼はその夜のアリバイを述べることを拒否。というのも、国会議員の妻であるルースという女性に迷惑が及ぶことを恐れたからです。ローガンは僧籍に入る前に彼女と恋人関係にありました。そして犯行の夜に2人が会うことになったのは、偶然、弁護士のヴィレットの事が関わっていたのです。2人の過去の関係についてヴィレットが嗅ぎつけ、それを暴露すると脅迫行為に及んでいたため、その対処について相談するためでした。自分たちが潔白であることを示すためにルースはわざわざ事情の一切を警察に述べましたが、これが仇となります。ヴィレット殺害の動機もあるとしてローガンは逮捕。ケラーのことを告げれば釈放されますが、神父という立場上、それは出来ません。苦悩するローガン。幸い、裁判の結果証拠不十分で無罪となります。
私は告白するの結末
しかし世間は彼を有罪とみなし、教会を辞めろという圧力も強まります。それを見ていたケラーの妻は真実を告げようとしますが、夫の手によって殺害されます。調査をすすめる警察はようやくケラーを容疑者と見なし、ローガンとともに彼のいるホテルへ。そして自首しろというローガンの説得にも耳を貸さず、ケラーは警官に撃たれてしまうのでした。
「私は告白する」感想・レビュー
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私も、最近、BSNHKで、ヒッチコック作品を見てますが、30年?以上前にリバイバル館で見てきた印象と、変わりました。
登場人物それぞれの心理描写が、丁寧に伝わってきて、ジワジワとした、怖さを感じます。 -
数日前にNHK BSで見ました。殺人犯の神父に対して、恩を仇で返すのみならず、自分の罪を神父に着せて更に心理的に追い詰める卑怯さに、自分の周りにいる卑怯な人間達を思い出して、とても嫌な気持ちになりました。流石ヒッチコックと唸りました。
この犯人は心理学でいうリフレクション(投影)の名手というか、貴方は気が小さいから、自分が逮捕されるのが怖くて私の告白を話してしまう、なんてどういう神経なのかと思います。
流石ヒッチコック が感想です。 -
スリラーの神様、ヒッチコックの映画というと、美しいブロンドの女優を窮地に追い込み、これでもか、これでもかと怖がらせるというパターンが多い。
この事から、ヒッチコックは、女性嫌いか、女性恐怖症なのではないかと、よく言われる。「昼顔」というマゾヒスティックな映画を撮った、巨匠ルイス・ブニュエル監督も、ひょっとしたら、女性恐怖症ではと思うのだが、大芸術家には、こういうタイプが実に多い。
彼らはその作品の中で、日頃の思いを晴らすように、性的妄想をたっぷり込めて描き上げる。
こういう男たちは、たいがい日常生活では、女性の前では弱者なのだ。実際、ヒッチコックは、彼の妻アルマがいなければ、成功したかどうかと、言われる程、彼本人は、気弱で社交ベタで何も出来ない男だったと言われている。
そんなヒッチコックの映画の中で、美女ではなく、美男をとことん窮地に追い込むという珍しい作品が、「私は告白する」なのだ。
ヒッチコックの映画の中の男たちは、大体、美女のせいで、とんでもない事件に巻き込まれると相場が決まっているが、この映画では、それは逆で、美女は美男の主人公のために、家庭の秘密まで暴露せねばならないという目に遭うのだ。
主人公である美男のローガン牧師を演じるのは、当時、大変な人気スターであったモンゴメリー・クリフト。
「波止場」のマーロン・ブランド、「エデンの東」のジェームズ・ディーンは、クリフトが役を蹴ったおかげで、世に出て来た俳優なのだ。そういった代役の顔ぶれを見ればわかるように、クリフトこそは、ハリウッド映画の戦後派スターの第一号と言ってもいい俳優だった。
正義と力とユーモアが総てのアメリカン・ヒーローの世界に、反抗とか、弱さとか、犠牲とか、忍耐とか、憂鬱とかいった、ナイーヴな感受性を持ち込んだ、最初の俳優だったと思う。
今でこそ忘れられた存在になってしまったが、後世のスター史においては、この俳優の存在の大きさを必ずや見直す事になるだろう。
そして、その時、この「私は告白する」も、今迄とは違った分析や評価がなされるに違いない。クリフト扮するローガン神父は、教会の懺悔室でオットー・ケラーという男から、殺人を犯しましたという懺悔を聞く。
ケラーは、神父の力添えで、夫婦で神父の館に住まわせてもらっている男で、20ドルの金欲しさに弁護士を殺したというのだ。神父は、罪を告白するようにと諭すのだが、ケラーは逆に、自分の罪を神父になすりつけようとする。
殺された弁護士と神父はやっかいな関係にあり、それはかつての恋人で、人妻のルス夫人との密会の場を見られ、その事を脅迫されていたのだ。
ケラーは僧衣姿に変装して、弁護士を殺し、その姿のままで現場から出てくるところを女学生に見られている。
当時、神父が怪しまれるが、神父には動機があるうえに、アリバイもないのだ。
濡れ衣を晴らすにはただ一つ、ケラーの告白を明らかにするしかないのだ。しかし、カトリックの神父は、懺悔室での告白を、どんな事があっても、口外してはならないという掟がある。
信者の告白を漏らす事は、神の教えに背く事になるのだ。ルス夫人は、神父が犯人ではない事を証言するために、夫の目の前で、神父への思いを赤裸々に告白する。
神への信仰を貫こうとする神父と、家庭を崩壊させても神父への愛を貫こうとするルス夫人。宗教と不倫という、二つの題目が対立するところが見もので、ヒッチコックの映画の中では、かなり深刻なテーマを持ったものになっている。
結局、神父は最後まで懺悔を口外しないのだが、追い詰められてなお、じっと耐えるだけという神父の苦悩を、クリフトが見事に演じてみせている。
この神父は、心の動揺を見破られないように、終始、表情を変えず、神の子としてのプライドを崩そうとしない。
クリフトは、その大きく澄んだ瞳を最大限に生かし、男というよりは、悲劇に耐える青年といった風情で、観る者の同情を集めるのだ。
クリフトは実生活において、46歳で悲劇的に人生を終えたのだが、30歳ちょっとの頃のこの作品でも、すでに悲劇の匂いが漂っている。
ヒッチコック作品への出演は、これ一本だが、彼の存在が大きい作品だと思う。
かなり昔に観ました。映画館ではないですが。本日BSNHKで放映。ヒッチコックは大好きです。昔は、かなり面白いミステリー映画を作るぐらいの認識でしたが。今見るとヒッチコック作品、人間が描かれている。苦悩や、運命になんとか抗しようとする人々。長く記憶に残る由縁ですね。