バグダッド・カフェの紹介:1987年西ドイツ映画。人種、国、何もかもが違う2人の女性が、寂れたカフェを舞台に友情をはぐくんでいく物語。主題歌の「コーリング・ユー」が大ヒットし、この曲がかもしだす雰囲気が映像を引き立てる。
監督:パーシー・アドロン 出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト(ジャスミン)、ジャック・パランス(ルーディ)、CCH・パウンダー(ブレンダ)、クリスティーネ・カウフマン(デビー)、ほか
映画「バグダッド・カフェ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「バグダッド・カフェ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
バグダッドカフェの予告編 動画
映画「バグダッド・カフェ」解説
この解説記事には映画「バグダッド・カフェ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
バグダッドカフェのネタバレあらすじ:砂漠のカフェ
夫とともにドイツからアメリカへ旅行にやってきたジャスミンは、ラスベガスへの移動中夫婦げんかの末に夫と決別、荷物を持って車を降り、夫はジャスミンを置き去りにして走り去ってしまう。砂漠の道を歩き続けたジャスミンはやっとのことでさびれたカフェ「バグダット・カフェ」にたどり着き、カフェの敷地にあるモーテルにしばらく滞在することにする。カフェの女主人ブレンダは怠け者の夫と店の手伝いもせず自分勝手な子どもたちにイラついていた。そこへ女ひとり車もなく徒歩でやってきたジャスミンをブレンダは怪しむ。
バグダッドカフェのネタバレあらすじ:家族
ある日、ブレンダの留守中ジャスミンは無断でカフェに併設された事務所の大掃除をするが、ブレンダは勝手なことをするなと激怒する。おまけに子ども達がジャスミンになついていき、彼女の部屋でくつろいでいるのを見てイライラが頂点に達し「自分の子の世話をしろ」と怒鳴る。その言葉に「子どもはいない」と悲しげに言うジャスミンを見て、ブレンダは自分の家族のことでイライラしていたことを謝り、それ以来2人は打ち解けていく。カフェの手伝いをするようになったジャスミンは、覚えたてのマジックをカフェで披露するうちにマジック目当てに客が押し寄せるようになる。連日ブレンダと2人でマジックショーを繰り広げるジャスミン。カフェの常連ルーディはそんなジャスミンに魅力を感じて絵のモデルに切望し、ジャスミンもモデルをするうちにだんだんと大胆になっていった。
バグダッドカフェの結末:再会
カフェも繁盛し、楽しい日々が続いていたある日、保安官がやってきてジャスミンのビザが切れ、カフェでのショーが不法就労になると言い、しかたなくジャスミンは皆に別れを告げる。マジックショーが開けなくなったカフェは以前の廃れた店に逆戻りしてしまい、ブレンダらも沈んだ様子のまま時が過ぎる。数か月後、店の前でぼんやりとたたずむブレンダの前に、荷物を引きずりながらジャスミンがやってきた。大喜びで迎えたブレンダたちはさっそくカフェでマジックショーを再会する。そしてルーディがジャスミンに、自分と結婚して市民権を得ればもう帰国しなくても済む、とプロポーズする。ジャスミンは微笑みながら「ブレンダに相談する」と答えた。
「バグダッド・カフェ」感想・レビュー
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今回で通算3度目の鑑賞となった。1990年前後に「高槻市内」のビデオレンタル店で借りて独りで観たのが最初だったと記憶している。また前回の2度目の視聴からも、もう既に20年以上の歳月が経っていて「浦島太郎」の心境である。先ずは音楽的な観点からこの映画を語ろうと思う。この作品を観た誰もが指摘するように、ボブ・テルソンが作曲したテーマ曲の「コーリング・ユー」が万人に圧倒的な印象を与えていることは周知の事実。「バグダッドカフェ」と「コーリング・ユー」が完全に一体化しているから切り離して論じることが不可能なのである。そして、パーシー・アドロン監督は「ボブ・テルソン」と言う才能豊かな音楽家を見出したことで「奇蹟」を起こす。監督は彼にガーシュインの「サマータイム」をイメージした曲を書いて欲しいと注文をつけた。この時既にボブ・テルソンは83年にゴスペルのミュージカルを発表して各方面から絶賛されていたのだ。テルソンは「白人なのに凄いな」と。次に、映画の中でブレンダの息子が弾く美しいピアノ曲の存在について。その曲は、バッハの「平均律クラービア曲集第1巻」の「第1番プレリュードとフーガハ長調BWV846」である。そしてこの曲の先には、シャルル・グノーの名曲「アヴェマリア」が連なっている。つまりこのバッハのピアノ曲の美しい旋律は、「純真無垢」の「人々の祈り」(深い信仰心)とも密接に繋がりを見せているのである。これもまたひとつの奇蹟なのだ。このように「バグダッドカフェ」と言う作品は、音楽を通じて異なる2つの「奇蹟」によっても支えられているのである。そろそろ本題に入ろうと思う。この作品には、「美男美女」や華々しいエリートなどは一切登場しない。学歴も肩書もない凡夫だが、基本的には善人である、ごく「普通の人々」が主役の「群像劇」なのである。そして登場人物の年齢も人種も性別もバラバラだが、彼らに共通しているのは「飢えと孤独感」であり、「やり切れない思い」と「承認欲求」などである。辺境の砂漠の荒涼とした大地に「バグダッドカフェ」はひっそりと建っている。カフェの女主人のブレンダの大きな瞳は、まるで動物園のダチョウのように、意味もなく架空の「理想郷」を見つめている。心の中では『自分の存在を知って欲しい』『絶えずそばにいて聞いてほしい』と叫んでいるである。テーマ曲の「コーリング・ユー」の歌詞も「私はあなたに叫んでいるのよ、ねえ聴こえるでしょ あなたに叫んでいるのよ」となっている。声にはならない「心の奥」の叫びである。そしてこの映画を観ている人々の心の奥深くにも、「I am calling you」のリフレインが突き刺さる。魂が根元から揺さぶられるのである。バクダッドカフェと言う場末の「めしや:ダイナー」に場違いの珍客が訪れる。タイトなグリーンのスーツに身を包み、羽根飾りの付いた帽子を被った豊満な中年のドイツ女のジャスミン。ジャスミンはチープな手品セットを持参し、テーブルマジックの数々を披露して人々の心をほぐしてゆく。片言の「米語」しか話せないジャスミン。しかし、言葉よりも行動で信頼を勝ち取ってゆく。言葉は薄っぺらで時には役に立たないが、誠実な行動は何よりも雄弁に語りかけてくる。ジャスミンは、そのことを身をもって証明したのである。飢えと孤独感でカラカラに乾き切った人々の「心の砂漠」に恵みの雨が降り注ぐ。人生における挫折と諦め。自分の存在を知って欲しい、誰かに分かって欲しい、認められたいと言う「承認欲求」の数々。それらの「心の渇望」を、ジャスミンは魔法(マジック)の力で満たしてゆくのである。まるでアニメのキャラクターのようにユーモラスで抜群の存在感を示すジャスミンは、天上界から遣わされた「ヴィーナス」のように、神々しいオーラで包み込むようにして人々の心を一つする。その過程を愛情を込めウィットとユーモアとペーソスも添えて、丁寧に描いたのが「バグダッドカフェ」と言う「傑作映画」なのである。かつてカラヤンが去った後のベルリンフィルの団員が、「オーケストラは公園のようなものです」っと言っていた。カラヤンは去ってもまた新たな指揮者が公園に足を踏み入れる。オーケストラが指揮者を受け入れる公園だとすれば、「バグダッドカフェ」と言う映画はさしずめ鑑賞者を癒す「心のオアシス」ではないだろうか。一見すると単純なストーリーで、起伏に乏しいように思えるかも知れない。しかし、この映画の行間には決して言葉では語り尽くせない濃密な人間ドラマが潜在している。「バグダッドカフェ」は30年以上経っても色褪せることなく、観る者の心に恵みの雨を降らせてくれる名画中の名画なのである。個人的には「傑作映画ベスト100」に入る不朽の作品であると考えている。
映画全体に流れている空気感がとても好きで何度も観たくなります。
ふとした時に観たくなり、手品のシーンが良いと思ったり、その時によって変わりますが、いつも観て良かったと思います。
若い時に観ても年をとってから観ても、その時その時で、また違った良さを感じる映画だと思います。