ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタの紹介:2011年アメリカ映画。ファッションのカリスマ、ダイアナ・ヴリーランド。回顧録のために撮られたインタヴューから彼女の全貌に迫る。
監督:リサ・インモルディーノ・ヴリーランド 出演:ダイアナ・ヴリーランド
映画「ダイアナ・ヴリーランド」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ダイアナ・ヴリーランド」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタの予告編 動画
映画「ダイアナ・ヴリーランド」解説
この解説記事には映画「ダイアナ・ヴリーランド」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタのネタバレあらすじ:起・ダイアナ・ヴリーランドとは何者なのか
独創的な感性で早くからファッションや写真をアートとして捉えていたダイアナ。彼女の出生地はパリ。時代はベル・エポック、バレエリュスが席巻していた頃、両親は舞台を始め子供達に楽しいものを見せた。
容姿に満足していなかったダイアナは、母親とはソリが合わなかった。またイギリス人の父親は健全な英国人育てようと、お嬢様学校に通わせた。だがダイアナにはそれも合わず、楽しかったのはバレエを教えるロシアの学校だった。
ダイアナの旧姓は、ディエル、ゲール語で「恐れずに挑む」という意味。
やがてアメリカに移った十代の彼女にはダンスが全てで、アメリカ一の人気者の鳴ろうと浮名を流した。容姿には自信がなかったがそれも、夫のリードに出会うまでだった。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタのネタバレあらすじ:承・カリスマ編集者への第一歩
ロンドンに移り住んだダイアナは、そこで英語を身に着け、パリでシャネルと親交を深め、ロンドンでランジェリーの店を開いた。しかし、大戦が始まり、両親の住むアメリカへ戻った。二人の息子は他の母親とは違う彼女を友人たちに見せたくなかった零す。
ニューヨークへ移り、お金が尽きたので、ダイアナは働くことにした。彼女には働くと言う発想がなかったが、始めて見ると没頭した。きっかけは、ホテルで踊っている時に、声をかけられ、服に詳しそうだけどどうしてやらないのかというものだった。ダイアナは自分が実際に試した事をコラムに気ままに書いた。大不況の中で、突拍子もない勧めには耳を貸さなかったが、ユニークな視点を持つダイアナはハーパース誌の唯一無二の編集者になった。けれど戦争でコラムは中止になってしまった。
戦争が終わり、再びダイアナはビキニやブルージーンズなど時代のファッションを作り出した。ファッション編集はそれまでなかったロマンを与える存在になった。
スタイルというものを重視するダイアナは、大事なのは服の数ではなく、その服を着てどう生きるかという点だった。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタのネタバレあらすじ:転・ヴォーグ誌の全盛期
ダイアナは、26年勤めたハーパースでは編集長にはならず、ヴォーグ誌に誘われて移籍した。60年代のロンドンはビートルズやミニスカートなど若者の文化が花開いた最高の時代だった。それまで地味だったヴォーグ誌は、若者が人生を掴む新時代を拓いた。ダイアナはモデルの欠点を活かし、ルックス以外の物を見出していた。
ダイアナはは強い影響力を持ち続け、常に創造性の高い仕事を求め、時には写真家と対立することもあった。潜在的な要求にこたえると言うのが彼女の哲学でもあった。
ヴォーグはファッションは服を着るだけでなく、その服を着てどう生きるかという点にも焦点を当てていた。また12月号には、目の保養になる物を集めて乗せた。日常生活では得られないものを与えるヴォーグ誌の資金は潤沢だった。
この頃になると女性が働きに出ることは貧しさの印ではなく、粋な事という認識に変わっていった。
ダイアナは、ハリウッドの役者たちとも仕事をした。一方息子が内務省に入っても無関心。働きづめで母親らしいことはしていないと自ら告白した。けれど、夫だけは別で、結婚して40年経ってもはにかみがあった。ダイアナが何をしても支えたその夫も、癌で他界、ネガティヴな感情を表に出さないダイアナが、葬儀後の昼食で白い服を着たのは一つの宣言のようなもので、この後彼女は仕事に没頭した。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタの結末:夫との死別、解雇、そして
創造の人として湯水のようにお金を使い、ギリギリを行く彼女に、広告主は眉を顰める事もあった。雑誌が立ち行かなくなり、路線が変更された時、ダイアナは解雇され、一つの時代は終焉を迎えた。
ヴォーグでの仕事が素晴らしすぎて次へ行けず、抜け殻だった彼女に、メトロポリタン美術館から顧問として衣装研究所での仕事を頼まれた。それまでその部署では衣装を保存、陳列し、糸の一本まで研究していたが、彼女が来たことで、服はマネキンに着せられ展覧会が開かれた。編集者だった彼女にとっては三次元の雑誌で、やがて恒例の人気イベントとなった。ハリウッドの服や存命中のデザイナーの展示は宣伝ではないかとの声も上がったが、ファッションは生活の一部、そこに歴史も革命も秘めているとダイアナは思っていた。
子供の頃ときめいたものは生涯忘れないと言うのが、彼女の信条だった。
そして、回顧録「DV」が刊行された。
以上、映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」のあらすじと結末でした。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタのレビュー・考察:変わりゆく女性像
ダイアナが生きた時代は、大戦を挟み激動と一言では片づけられないほど女性の立場や女性であることの意味に変化があった。新しい物が生まれていく中で、自らも常に新しい物を創造する側に立っていられたのは、彼女が常に見た目だけでなくスタイルという生き方を大切にしていたからだと思う。
この映画の感想を投稿する