夢の紹介:1990年日本,アメリカ映画。黒澤明監督が実際に見たという夢を元にした幻想的な作品。幼い男の子が狐の嫁入りを目撃する「日照り雨」、桃の木の化身達が美しく舞う「桃畑」など、8編のオムニバス形式をとっている。また、監督自身の人生を表現した作品とも言われる。
監督:黒澤明 出演者:寺尾聰(「雪あらし」以降の私)、倍賞美津子(私の母)、原田美枝子(雪女)、いかりや長介(鬼)、マーティン・スコセッシ(ゴッホ)ほか
映画「夢」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「夢」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「夢」解説
この解説記事には映画「夢」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
夢のネタバレあらすじ:【日照り雨】
幼い「私」が屋敷から出て来ると、天気雨が降り出しました。母親はこういう時は狐の嫁入りがあるから外出しないようにと言い含めます。しかし「私」は森の奥へ入り、狐の嫁入りを目撃してしまいました。慌てて家に逃げ帰ると門の前に厳しい顔をした母が立っています。母は先程家に狐がやって来て怒っていったと告げます。母は狐から渡された小刀を「私」に持たせ、狐に許して貰うまで家には入れないと門を閉ざしてしまいます。狐の家はきっと虹の下にあると教わった「私」は、花畑の向こうにかかる虹を目指して歩いていきます。
夢のネタバレあらすじ:【桃畑】
少年期の「私」の家では、姉の桃の節句を祝っていました。「私」は家の外に桃色の着物を着た少女を見つけ、桃畑跡まで追いかけます。そこには雛人形の格好をした桃の木の化身達がいて、桃の木を全て切り倒してしまった「私」の家に激怒していました。花の咲いた桃畑が好きだった「私」は思わず泣き出してしまいます。それを見た桃の木の化身達は態度を軟化させ、最後にもう一度桃畑の花盛りを見せてやろうと言いました。彼らが舞い始めると満開の桃畑が現れます。目を奪われている「私」の前に先程の少女が姿を見せました。思わず駆け寄ると周囲は木が切り倒された桃畑に戻っていました。小さな若木だけが花を咲かせているのを、「私」は涙を浮かべて見つめます。
夢のネタバレあらすじ:【雪あらし】
学生の「私」は仲間と雪山に登りましたが、凄まじい吹雪で遭難してしまいました。「私」は仲間を必死に励ましますが皆倒れ、「私」自身も眠りに落ちてしまいます。ふと目を覚ますと、美しい女が笑いながら光る繭のような物で「私」を包もうとしています。寝かしつけようとする女に抗うと彼女は鬼のような形相になり空へ去っていきました。吹雪が晴れ、近くにキャンプを見つけた「私」達は歓声を上げながら近付いていきます。
夢のネタバレあらすじ:【トンネル】
戦争から帰った「私」は1人山道を歩いていました。トンネルに入ろうとすると、奇妙な犬が現れ追い立てるように吠えます。「私」は真っ暗なトンネルを歩き、反対側に出ました。するとトンネルの中から戦死した部下が現れます。彼自身の死を伝えると部下は無念そうにトンネルへ消えていきました。その直後、今度は小隊が現れ「私」の前に整列します。彼らも戦争で全滅していました。「私」は安らかに眠るよう涙ながらに諭します。トンネルの闇に消えていく兵士達。すると再びあの犬が現れ、「私」に吠えかかるのでした。
夢のネタバレあらすじ:【鴉】
中年になった「私」がゴッホの「アルルの跳ね橋」を見つめていると、いつの間にか絵の中に入り込んでいました。「私」は喜々としてゴッホを訪ねますが、彼は絵を描く時間はもう少ないと言って去ってしまいます。ゴッホを探して「私」は彼の絵の中をさまよい歩きました。「カラスのいる麦畑」でゴッホの後ろ姿を見つけた「私」。夥しい数のカラスが飛び立ち、気が付くと「私」は絵から抜け出して「カラスのいる麦畑」を眺めていました。
夢のネタバレあらすじ:【赤富士】
富士山周辺の原子力発電所が爆発し、日本中の人々が逃げ惑っています。漏れ出た放射能で富士山は真っ赤に染まっていました。「私」は必死に逃げますが狭い日本に逃げ場などなく、人々は海に身投げしてしまいます。放射性物質の着色技術によって、放射能は人間の目にも見えるようになっていました。赤、黄、紫に色を着けられた放射能が日本中を覆っていきます。「私」は必死に振り払おうとしますが、やがて真っ赤な放射性物質に飲み込まれていきました。
夢のネタバレあらすじ:【鬼哭】
「私」は荒廃した大地を1人あてもなく歩いています。人間の文明は放射能によって滅んでしまいました。ふと足音を耳にして振り返ると、頭に角が生えている鬼が立っていました。鬼は元々人間でしたが汚染物質の影響で角が生え、あらゆる生き物が奇形化していると話します。鬼は死ぬことが出来ず、自分の罪に責め苛まれて永劫に生きなければならないそうです。鬼は他の鬼達が集まっている場所へ「私」を案内しました。こっそり覗き込むと、たくさんの鬼達が苦しみのたうち回っているのが見えます。角が痛むのだと説明した鬼は、自身も痛みを訴え苦しみ始めました。彼に「鬼になりたいのか」と尋ねられた「私」は恐ろしくなり、慌ててその場を逃げ出します。
夢のネタバレあらすじ:【水車のある村】
「私」は自然溢れる水車の村を訪れました。水車を修理していた老人に話しかけると村のことを教えてくれます。この村は昔のように自然に近い生き方をしているのだと語る老人。人間の発明は自然を汚し、更に人間の心も汚してしまうと老人は諭します。やがて賑やかな音が響き始めました。今日は葬式があるらしく、老人も準備を整えます。「本来の葬式はめでたいもの」と語る老人の言葉通り、この村の葬儀はまるで祭りのようでした。村人は皆歌ったり踊ったり、吹奏楽の演奏を行ったりしています。「私」は葬列を笑顔で見送り、村を後にするのでした。
以上、映画夢のあらすじと結末でした。
数多くの傑作、名作を世に送り出し、世界の映画人のみならず、各界の文化人からも尊敬されてきた黒澤明監督。
晩年の作品、特にこの「夢」以降の作品については、見方も意見も人によって分かれるのではないかという気がする。
つまり、作品の出来不出来という点において。
この「夢」は、「こんな夢を見た」から始まる8話の作品から成っており、私個人の好みでいえば、やはり好きなものとそうでないものとある。
第1話の「日照り雨」や、5話の「鴉」などは好きである。
「日照り雨」は、太陽が出ているのに雨が降る、そんな天気の日に、親から禁じられた、遠くへ行くことをしてしまい、狐の嫁入りを見てしまう少年の話だ。
「鴉」は、主人公が想像の中で尊敬するゴッホに会う話。
ショパンの「雨だれ」と共にゴッホの展覧会を観ている主人公の空想が始まり、主人公はそこで憧れのゴッホに出会い、ゴッホの絵の中をさまよう。
いずれも黒澤明監督の個人的な世界が強く出ていると感じる。
しかし私が最も好きなのは、第2話の「桃畑」と最後の「水車のある村」で、どちらもメッセージ性が強いのだが、そのメッセージに関係なく、私はこの2つの物語を観ていると涙が出てきてしまう。
どこがそんなに感動するのだと言われても、それがうまく説明できないから困ってしまう。
特に「水車のある村」では、葬式の行列が出てくると、その音楽と皆の舞に思わず胸が熱くなる。
この映画のクライマックスにふさわしい場面だ。
本来ならもう少しこの2つの物語を紹介した方がいいのだろうが、これから見る方のためにあえて割愛しようと思う。
ただ、最後の盛り上がりのままこの映画は終わらない。
いよいよラストという時、急に全体のトーンが暗くなり、イッポリト=イワノフというロシアの作曲家の組曲「コーカサスの風景」の第一番「村にて」という曲が流れ、その暗い雰囲気で映画は終わる。
この暗い曲をあえて最後に流したところに、私は監督の本心とでもいうものを見る気がするのである。
つまり、作品の中でいかに何を主張しようとも、地球はもうヤバいんだよ、とでもいうような。
この頃、何かの記事で黒澤監督は、地球はどうせもうすぐ滅びるから、それを見届けてから死にたい、と言っているのを読んだことがある。
冗談も入っていたのだろうか。
そうも言えない悲しさを、このラストには感じるのである。