光の旅人 K-PAXの紹介:2001年アメリカ映画。ニューヨークの駅の構内でなんの手荷物もなく見つかったサングラスの男プロート。彼は自分をK-PAXという惑星からやってきた異星人だと語る。精神医学者のマーク・パウエルは彼の治療に取り掛かるが…。
監督:イアン・ソフトリー 出演:ケヴィン・スペイシー(プロート)、ジェフ・ブリッジス(マーク・パウエル)、メアリー・マコーマック(レイチェル・パウエル)、アルフレ・ウッダード(クラウディア・ヴィラー)、ほか
映画「光の旅人 K-PAX」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「光の旅人 K-PAX」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
光の旅人 K-PAXの予告編 動画
映画「光の旅人 K-PAX」解説
この解説記事には映画「光の旅人 K-PAX」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
光の旅人 K-PAXのネタバレあらすじ:起
ニューヨークのグランド・セントラル駅で、サングラスをかけた男性が警察に発見されました。自らを琴座のK-PAXという惑星から来たと言い張る彼は、なんの精神薬剤の効果もなく、ついに手を焼いた警察から精神医学者のマーク・パウエルにカウンセリングの依頼が入ります。
マークは彼の知能の高さと、これまでのキャリアで見たことのない病態に驚きつつ、彼の過去を探るべく故郷K-PAXについて質問します。
光の旅人 K-PAXのネタバレあらすじ:承
K-PAXには夫婦や家族、善悪や刑罰・司法といった概念が無く、多くの手によって子供たちは育つのだと言います。9つの恒星の相互作用のため、常に黄昏のような暗さで生活していると言います。マークはプライベートをなげうってまでプロートの正体をつかむため奔走します。
天文学者の友人に会わせると、彼はK-PAXの正確な軌道を描いて見せ、学者たちは驚きます。さらにプロートは「誰もが自己を治癒する力を持っている」とし、同じ精神病棟のハウアー、アーニー、サルたちの症状を緩和し、見事に彼らを治療していきます。加えて7月27日にK-PAXに戻る時に、1人だけ連れていくと言い出しました。
光の旅人 K-PAXのネタバレあらすじ:転
彼が記憶喪失の人間であるという疑いをぬぐいきれないマークは、プロートに催眠術をかけて過去の記憶を呼び起こします。プロートは故郷のある友人とその家族がひどい目に遭ったと口にします。マークはその友人が彼の真の姿であると確信し、全国各地で彼の証言に合う事件を探しました。
見つけたのはアルバカーキの農夫ロバート・ポーターが妻と娘を殺害されたという新聞記事。26日に地元の保安官を訪ねると、ロバートは川に流され、まだ遺体は見つかっていないと言います。
光の旅人 K-PAXの結末
マークは凄惨な事件の痕跡をたどり、彼が人間であることを確信しましたが、27日に何か起こるのではないかと胸騒ぎを覚えます。最後のカウンセリングで「ロバートを見つけたんだね」と言い、病棟に戻ったプロートは、その翌朝の日の出とともに卒倒。
家族のいない黒人女性ベスもベッドに置手紙を残して忽然と姿を消していました。抜け殻のようになってしまったプロートもといロバートをマークは介抱するのでした。
以上、映画「光の旅人 K-PAX」のあらすじと結末でした。
「光の旅人 K-PAX」感想・レビュー
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ブルックナー9番さん。あなたの解説、感想は最高です。あなたにとても共感できます。
ただ個人的にはSF映画としての映像的驚きがもう少し加味されてても良かったですね。その辺は良くも悪くも大人向けのドラマですので難しい所ですが…
長年にわたり探し求めていたものと出逢えた時の歓びは最高でありこれだけは筆舌に尽くしがたい。私にとってはこの画期的な作品である「光の旅人 K-pax」が正にそれである。この映画を初めて観たのは恐らく2003年頃だったと思う。それでこの間、CATVの「WOWOWプラス」で約20年ぶりに2度目の試聴をした。この映画の何もかもすべてが余りにも素晴らしいので直ぐには言葉が見つからない。この作品は従来の映画の概念や、マンネリズムを打破する「革命的でユニークな傑作映画」である。そしてこの映画ではとりわけ謎めいた存在としてのプロート役を演じた ケヴィン・スペイシーの魅力が際立っていた。ケヴィン・スペイシーからは終始「ピュアでブリリアント」なオーラが放出されていて、私は彼が美しく光り輝いているのをハッキリとこの目で確認した。それで「神聖」とか「無垢」とか、「神がかる」とは、こう言う境地を指しているのだなと合点がいったのである。また、マーク役のジェフ・ブリッジスの好演・力演も誠に素晴らしいものであった。ジェフ・ブリッジスの「大人の男」としての重厚な味わいと、心優しき「ナイスガイ」としての存在感が抜群なのである。そして何と言ってもケヴィン・スペイシーとジェフ・ブリッジスのコンビネーションが絶妙であった。マーク役のジェフがプロート役のケヴィンから、その「ポテンシャル」を存分に引き出していたからだ。精神病院で保護された「自称異星人」のプロートは患者たちに独特のアプローチをして、彼らに「タスク」を課し様々な「ミッション」を与えてゆく。人間というものは、様々なミッションやタスクを与えられることで、本来の「テンション」が上がり「モチベーション」が維持できるのである。更に人生を実りある豊かなものにするには、理性と感性の「均衡を保つ」ことも重要なのだ。凡そ「既成概念や常識」ばかりに囚われていると、柔軟性を失って人間が有する非凡な能力や高度な「可能性を喪失」することになる。そういう意味においては先入観が希薄な児童や動物や精神病患者の方が、学識経験者よりも頭が柔らかで心のセンサーも敏感なのである。繰り返しになるが、精神科医のマークと患者(光の旅人)のプロートの「コントラスト」(対比:或いは対峙)が見事にして絶妙であった。この映画ではマークとプロートとの会話を通して、人間の本質や人生の意味が徐々に視聴者に理解され浸透してゆくのである。この映画の前半ではプロートはいったい異星人なのか、はたまた「誇大妄想」に耽るただの「狂人」なのかと言うミステリアスな味付けがなされている。そして複雑な文脈を読み解くことで、やっぱりプロートは「K-pax星人」だったのだという確信へと辿り着く。ことほどさように、この映画の「プロットとプロセス」は巧妙かつ絶妙なのである。この映画の原作は、ジーン・ブリュワーが書いた「K-pax」と言うSF小説である。文学や映画の世界においてはフィクションであるかどうかはそれほど重要な問題ではない。何故ならフィクションであろうとなかろうと、小説や映画の中にはひとつの世界が確実に成立しているからである。「量子力学」や「大乗仏教の唯識論」では、宇宙や世界なども人間がそれを「認識すること」でのみ実在が可能なのだと定義する。これは、カリフォルニア大学の野村泰紀教授などが提唱する「マルチバース理論(多元宇宙論)」とも一脈通じている。つまりこれは「量子もつれ」の重ね合わせにおいて、複数の状態の世界が共存することを裏付ける(証明する)理論なのである。すなわち「多元的宇宙」とはパラレルワールド(平行世界)のことである。だからプロートは実際に「K-pax」という平行世界から光に乗ってこの地球へやって来たのである。なので決してこの映画は、地球人であるロバート・ポーターの「妄想」や「二重人格」を描いた「サイコサスペンス」ではない。 ここで異星人のプロートと地球人のロバート・ポーターとの関係性を簡単に解説してみよう。プロート(K-pax星人)はスピリチュアルな存在(霊魂:或いは生体エネルギー)となって、悲劇的な事件により廃人と化したロバート・ポーターの身体(脳内)に入り込んでいたのだ。言わばロバートはプロートによって完璧にコントロール(制御)されたロボットになっていたのである。だからこそ、プロートがロバートの身体から抜けて「K-pax」に帰郷した後は、ロバートは再び元の廃人に戻ってしまったのである。ここの所(このポイント)を誤解するとこの作品の本質を見失い、この映画の「崇高なるメッセージ」を見落とすことになる。この映画はあくまでも「K-pax星人」から見た「地球人の観察記録」の物語(ドキュメント:レポート)なのである。つまり異星人のプロートがマークやその周辺の人間たちを冷静に観察し、あるがままの(素の)地球人の本質を見極めようとしていたのである。精神病患者だと思い込んでいた異星人によって、実際には精神科医が試されていた、っと言うストーリーなのである。これはそういう風に複雑に捻じれた映画であり作品なのである。私が思っていたよりもこの映画の評価が不当に低いことが残念だ。それは一義的には文脈(ストーリー)を読み違えて、語られているファクトを誤解している人々が多いということ。そして「スピリチュアルな精神世界」と「量子世界」の関係性が理解できない人々が多いからだと思う。個人的で勝手な願望かも知れないが、何がしか「引っ掛かる」(気になる)作品は、是非とも時間を置いて再度視聴して欲しいと思う。最低でも映画を2度鑑賞すれば新たな視点が浮かび上がるはずである。この稀代の傑作である「光の旅人 K-pax」が、より多くの視聴者に繰り返し鑑賞されて正当に評価される日を待ち望んでいる。