追想の紹介:1975年フランス映画。ナチス親衛隊に妻と娘を惨殺された医師がたった一人で復讐を果たす。古城で一人また一人と兵士たちを始末していく暴力描写の強烈さと、対照的に甘美に描かれる、家族と過ごした幸福な日々の記憶。『冒険者たち』等のロベール・アンリコ監督によるフランス映画。
監督:ロベール・アンリコ 出演者:フィリップ・ノワレ(ジュリアン)、ロミー・シュナイダー(クララ)、ジャン・ブイーズ(フランソワ)ほか
映画「追想 (1975年)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「追想 (1975年)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
追想の予告編 動画
映画「追想 (1975年)」解説
この解説記事には映画「追想 (1975年)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
追想のネタバレあらすじ:起・戦火の町
一九四四年、ドイツ占領下フランスの小都市モントーバン。レジスタンスの激しい抵抗が続き、外科医ジュリアン・ダンデュが勤める町の病院には多数の負傷者が収容される。警察のレジスタンス狩りは負傷者も容赦しないが、病院の人々はレジスタンスをかくまおうと努力している。
妻クララ、別の男の元に走った先妻との間の娘フロランス、母と四人で暮らすジュリアンだが、戦火はすぐそこに迫っている。田舎の方が安全と考え、家族をバルブリ村に所有する古城に疎開させることにする。母親は息子の元にとどまることを望んだが、妻と娘が愛犬のマルセルと共に病院の同僚のフランソワの運転する自動車で疎開先へ行く。
追想のネタバレあらすじ:承・地獄になった古城
五日後、手術が続いた後やっと仕事に余裕のできたジュリアンはバルブリへ自動車を走らせる。だが、城から誰も人が出てこない。ラジオの音が聞こえるだけ。ジュリアンはまず戸外に一体の死体を見つけ、次に礼拝堂で村人たちがまとめて射殺されているのを見た。城はナチス親衛隊に占拠されていた。ドイツ人の目を逃れて城の様子を探った彼は娘の射殺された死体と黒焦げになった妻を見つける。礼拝堂で嗚咽するジュリアンはイエスや聖母の像を破壊した後、父親が狩猟につかっていた古い散弾銃が隠してあったのを取り出して汚れを拭き、封印されていた箱から弾丸を取り出す。
追想のネタバレあらすじ:転・復讐の開始
ジュリアンは一人で復讐を始める。彼の強みは城の構造を熟知していることだった。地下室からワインを持ち出し映写機とフィルムを見つけて上映会を始めるドイツ兵たちもマジック・ミラーごしに観察できる。白い幕に彼らが映し出したのはジュリアンの一家のヴァカンスだった。
翌朝まず、井戸から水を汲んでいる兵士を井戸の中から撃ち落とす。そして城へかかる橋が落とされ落下した自動車が炎上する。隠し部屋を移動し神出鬼没の動きで敵をかく乱していった。ジュリアンを見つけて後を付けた兵士に一度はつかまるが、隙をついて兵士を殺す。
追想の結末:追いつめられるドイツ兵
ノルマンディー上陸作戦が既に始まっていた。城の親衛隊員たちは孤立していた。レジスタンスの若者たちが城に現れドイツ兵は彼らから身を隠す。ジュリアンのことを知っている若者たちだが、ジュリアンはドイツ人たちが城を占拠していることを話しても家族が殺されたことは話さなかった。彼は一人で復讐を成し遂げる覚悟だった。村は間もなく解放されると話して若者たちは去っていく。
戦いの合間にジュリアンの脳裏に蘇ってくるのはクララと過ごした長くはないが幸せな日々だった。近づく戦争を前にしてのプロポーズ、クララとフロランスが犬のマルセルを連れてきた日のこと、姉のようなクララになついたフロランス、村の祭り…。
ドイツ兵は次々と死んでいく。私服に着かえて脱出しようとして隊長に殺される者。地下でジュリアンに水責めにされる者。残るは隊長だけになった。ジュリアンは妻を焼き殺した火炎放射器が放置されているのを見つける。隊長がマジックミラーの前に立った時、ジュリアンはマジックミラーの裏から彼に火を向ける。ミラーが溶け、城にも火がついた。ちょうどその頃村は解放され、人々は城の消火に向かう。ジュリアンはフランソワに拾われて自動車でその場を去っていく。ジュリアンは田舎道で妻や娘と共に自転車に乗った日を思い出していた。
この映画は、戦争の無残さを人間の尊厳を賭けた一人の男を通して描いた、ロベール・アンリコ監督の映画史に残る不朽の名作だと思います。
1975年製作のフランス映画「追想」は、原題を”古い銃”と言い、永遠の青春レクイエムの名作である「冒険者たち」のロベール・アンリコ監督の映画史に残る名作で、フランスのアカデミー賞に相当する、第1回セザール賞の最優秀作品賞、最優秀主演男優賞(フィリップ・ノワレ)、最優秀音楽賞(フランソワ・ド・ルーベ)を受賞していますね。
クエンティン・タランティーノ監督が「イングロリアス・バスターズ」で、この「追想」にオマージュを捧げて撮ったのはあまりにも有名な話ですね。
映画の冒頭で描かれるフランスの田舎の一本道を、親子三人が自転車で走るのをスローモーションで捉えた、ソフトで心温まるシーンからすでに「冒険者たち」で魅了したロベール・アンリコ監督独特の映像美の世界にすっと引き込まれてしまいます。
第二次世界大戦末期の時代を背景に、映画の前半で、中年医師のジュリアン(フィリップ・ノワレ)とその美しい妻のクララ(ロミー・シュナイダー)との愛情に満ちた幸福そのものの家庭生活の描写があります。
特に回想シーンでのこの夫婦の最初の出逢いの頃の、甘くも希望に満ちた追想は、実に繊細なムードで描かれていますが、やがてこの映画が、一見ソフトで温かいムードでありながら、実は極めて残酷で執念にも満ちたものを内包している事が徐々にわかってきます。
ドイツ軍が、最後のあがきでフランス国内で残虐な行為を行ってきている中、ジュリアンは、友人の勧めもあり、妻子を自分が昔、育った故郷の村の、今は別荘になっている古城へ疎開させます。
疎開後しばらくして、何の連絡もない事を不審に思ったジュリアンは、妻子の疎開先へ急ぎ出かけます。
そこでジュリアンは、ドイツ兵によって無残に射殺された娘、火炎放射器で焼き尽くされ石垣に染みついた黒影と化した、妻の無残な姿に対面する事になります。
普段は、温厚でおおらかなジュリアンの心に、これ以上の激しい憎悪はないだろうと思われるほどの憤怒の炎が燃え上がります。
我々日本人の場合ですと、憎しみの感情もいつしか悲しいあきらめの感情に変わっていきがちですが、西欧人の場合、愛情のエネルギーも、もの凄く大きいだけに、その裏返しでもある憎悪のエネルギーも、一段と激しく熱いものがあるような気がします。
ジュリアンの残虐な行為を行ったドイツ兵への報復も徹底しており、憎しみの執念がたぎっています。
彼は昔、使用した”古い銃”を持ち出して、報復のためドイツ兵を次々と殺害していきます。
かって知ったる場所の優位性(秘密の通路や抜け穴等)を活かした、その周到な実行の仕方、行動の機敏さ、執念の炎の燃えさかるジュリアンの報復には、人間の尊厳を傷付けられた者しか持ちえない、激しい何かを感じてしまいます。
ロベール・アンリコ監督は1931年4月の生まれで、この「追想」の時代背景になる1944年頃は13歳の少年であり、その頃の時代の印象が心の中に鮮明に残像として残っているものと思われ、ジュリアンの妻子が殺された時の、真っ赤な血のイメージは鮮烈ですが、それは恐らく少年時代の心象風景の反映なのかもしれません。
ジュリアンの生き甲斐としていたものの全てが、一瞬の内に音をたてて無残にも崩壊していき、彼の心の奥底に激しく噴き上げてくる憎悪の感情。
回想シーンに出てくる妻クララのあまりにも美しく、幸福そうな笑顔に満ち溢れていた姿を思い出す事で、彼の憎悪の念が、我々観る者の気持ちと一体化し、より一層心の中に深く響いてきます。
この回想シーンのロミー・シュナイダーの溢れんばかりの光り輝くような美しさは、例えようがないほど素晴らしく、よけいに、その後に訪れる悲劇との乖離が痛ましくも哀れに見えてなりません。
戦争は不可抗力であったかもしれないが、妻子への残虐な行為は不可欠であったのかと心の中に問いかけるジュリアンの報復の執念は、普段は大らかな、肥満体で温厚な小市民のイメージのフィリップ・ノワレが演じる事で、不気味なほどの恐ろしさでドイツ兵に向けられ、その変貌の凄まじさが、我々観る者の心を激しく揺り動かすのです。
ドイツ兵を一人づつ、独自の方法で殺していくジュリアンの行為は、冷酷非情な復讐の鬼と化して、火炎放射器を放つシーンなどで描写されていますが、ロベール・アンリコ監督は、決して激情のみに走る事なく、映画全編を通して、そのソフトで温かな語り口を失いませんが、だからこそ、よけいに映画を観終わった後に残る、心の底からの恐ろしさというものが感じられたのかもしれません。