リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイスの紹介:2019年アメリカ映画。リンダ・ロンシュタットは1946年生まれのアメリカ人歌手。60年代から歌手として活動し70−80年代に多くのヒット曲を出し、その人気は絶頂になります。彼女は女性の活躍が難しかったロック音楽というジャンルにおいてその活躍が認められます。本作はリンダと関係者のインタビューを中心に、リンダの栄光に満ち溢れた歌手人生を振り返るドキュメンタリー映画です。
監督:ロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン 出演:リンダ・ロンシュタット、ピーター・アッシャー、カーラ・ボノフ、ジャクソン・ブラウン、ライ・クーダー、キャメロン・クロウ、デイヴィッド・ローレンス・ゲフィン、エミルー・ハリス、ドン・ヘンリー、アーロン・ネヴィル、ドリー・パートン、ボニー・レイット、ジョン・デヴィッド・サウザー、ボビー・キンメル、ほか
映画「リンダ・ロンシュタット」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「リンダ・ロンシュタット」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
リンダ・ロンシュタットの予告編 動画
映画「リンダ・ロンシュタット」解説
この解説記事には映画「リンダ・ロンシュタット」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
リンダ・ロンシュタット サウンドオブマイヴォイスのネタバレあらすじ:起・新しいロックスターの誕生
リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州ツーソンで1946年に生まれ、大きな牧場で育ちます。彼女は小さな頃からラジオで多くのジャンルの音楽を聞き、特にメキシコ音楽に興味をもって育ちます。彼女は姉と音楽活動を開始し、地元の音楽家ボビー・キンメルに出会います。
1960年代にリンダはミュージシャを目指しますが、ツーソンではチャンスはなく、キンメルと共にロサンゼルスへと移ります。彼女はキンメルとのバンド名をストーンポニーズと名付け、各地で歌います。その頃のロサンゼルスはカントリー、ロックなどのミュージシャンが多く集まり、新しい音楽の誕生期であったと言います。
レコード会社がバンドに興味を持ち、レコードデビューもします。リンダはキンメル、ケニー・エドワードとトリオを組み、ヒット曲を出し、注目されます。その後、彼女はソロデビューします。
リンダ・ロンシュタット サウンドオブマイヴォイスのネタバレあらすじ:承・歌手として成功するリンダ
リンダはヒット曲をだしながらも、ニール・ヤング、ドアーズといった当時の人気歌手とツアーをします。彼女は積極的にテレビ番組にも登場し、自分の音楽を宣伝します。関係者は、彼女の曲は観客を虜にしたと言います。友人たちは彼女との友情を語ります。
リンダは「当時のロックは男性中心だった」と語り、そのような世界でどのようにして成功したかを語ります。ピーター・アッシャーは1970年代にリンダに出会い、彼女の才能と成功を確信します。アサイラム・レコードのデヴィッド・ゲフィンは彼女の才能を見抜き、売り出すことを考えたといいます。リンダは「自分は自分の歌の歌い方に決して満足しなかった」と語ります。
アッシャーはリンダのマネージャーで、レコード製作者になり、1974年にアルバム「悪いあなた」(Heart Like A Wheel) を発表します。アッシャーはアルバム製作のエピソードを語ります。同アルバムは大ヒット。関係者は「当時は女性のロック歌手の成功は難しかった」と語ります。
リンダ・ロンシュタット サウンドオブマイヴォイスのネタバレあらすじ:転・音楽での成功、恋愛、オペラへの挑戦
リンダは大成功し、大きな会場で数万人の前でコンサートをするようになります。彼女は数万人の観客を魅了します。メディアは彼女を絶賛。歌手のカーラ・ボノフは「彼女は男性だけの世界に女性が入った」と言います。リンダは「自分は音楽を愛していた」と語ります。
ローリング・ストーン誌は彼女を度々表紙に使います。彼女は「忙しくていつも他の町でコンサートをしていた」と語ります。当時のカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンと恋愛関係になり、大きな話題になります。リンダは「彼との関係は個人的で、政治的ではない」と語ります。
人気の絶頂で、彼女はオペラ「ペンザンスの海賊」に挑戦します。彼女は演技もこなし、メディアから彼女の歌と演技は絶賛され、興行的にも大成功します。リンダはトニー賞を受賞します。
リンダ・ロンシュタット サウンドオブマイヴォイスの結末:多くのジャンルの音楽に挑戦、そして引退
リンダは母の死を知らされます。レコード収集家だった母の強い影響を受けたというリンダは、指揮者のネルソン・リドルとのコラボで、アメリカの名曲をカバーしたアルバム”What’s New”を発表し、その後多くのジャンルに挑戦します。
1987年にはエミルー・ハリス、ドリー・バートンとのコラボ”Trio”も大ヒットします。同年には少女時代によく聞いたメキシコ音楽を集めた”Canciones De Mi Padre”を発表し、スペイン語で歌ったにもかかわらず、大ヒットしてグラミー賞を受賞します。
リンダは声の衰えを感じ、パーキンソン病であることを告白。2009年、彼女は最後のコンサートを行います。リンダは、自分の人生の幸運さを語ります。2019年、彼女は自宅で親戚とともにスペイン語で歌を歌い、余生を楽しむのでした。
以上、映画「リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」のあらすじと結末でした。
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