ワン・フロム・ザ・ハートの紹介:1982年アメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラ監督が大作「地獄の黙示録」の次に作ったのが本作です。ある中年カップルが出会い別れ、そして再び元サヤに戻るまでを描いたミュージカルタッチのラブストーリーです。全てオールセットで作られた豪華な仕上がりとなっています。
監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演:フレデリック・フォレスト(ハンク)、テリー・ガー(フラニー)、ナスターシャ・キンスキー(ライラ)、ラウル・ジュリア(レイ)、レイニー・カザン(マギー)、ハリー・ディーン・スタントン(モー)、ほか
映画「ワン・フロム・ザ・ハート」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ワン・フロム・ザ・ハート」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ワン・フロム・ザ・ハートの予告編 動画
映画「ワン・フロム・ザ・ハート」解説
この解説記事には映画「ワン・フロム・ザ・ハート」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ワンフロムザハートのネタバレあらすじ:起
独立記念日を前日、自動車修理工のハンク(フレデリック・フォレスト)は、同棲しているフラニー(テリー・ガー)と明日の独立記念日が出会って5年目だと話しています。
フラニーはボラボラ島への航空券を、ハンクは家の譲渡書をお互いにプレゼントし、記念日を祝うつもりでいました。しかしどうもしっくりいかない二人は、些細な事で喧嘩してしまい、フラニーは出ていってしまいます。
ワンフロムザハートのネタバレあらすじ:承
ハンクは友人のモー(ハリー・ディーン・スタントン)へ、フラニーは同僚のマギー(レイニー・カザン)の所に転がり込みました。離れてみて二人は互いが気になりますが、またしてもすれ違ってしまいます。
そんな中、フラニーはピアニストのレイ(ラウル・ジュリア)に声をかけられて、演奏を聞きにこないかと誘われます。一方、ハンクはサーカスの踊り子のライラ(ナターシャ・キンスキー)に惹かれてしまい、声を掛けて、会う約束をします。
ワンフロムザハートのネタバレあらすじ:転
レイに会うためにレストランにやってきたフラニーは、支配人に売春婦と間違えられて憤慨します。しかしレイがそこでウェイターとして働いている事を知ったフラニーは、ついレイと長話しをてしまったために、働かないレイを見た支配人が、レイをクビにしてしまいます。しかしフラニーと居られた事が幸せだったレイは、フラニーと楽しいひと時を過ごします。
一方、ハンクは約束の時間にやってこないライラに、諦めて帰ろうとしていましたが、ライラが現れてハンクは驚きます。通りで偶然鉢合わせてしまったハンクとフラニーは、互いの相手を確認し、何も言わず別れてしまいます。
ワンフロムザハートの結末
その後、フラニーはレイと、ハンクはライラと夢のような時間を過ごし、やがて愛し合います。しかしどうしてもフラニーの事が気になるハンクは、モーに電話をして、フラニーの居場所を確かめようとします。モーはマギーと惹かれ合っていたので、ハンクはマギーから、フラニーがレイというピアニストといる事を知りました。ライラはハンクの心が自分にないという事を知り、姿を消しました。ライラがいなくなった事にショックを受けたハンクでしたが、フラニーがレイといるというモーテルに向かいました。殴り込むように部屋に入ったハンクは、レイといたフラニーを裸のまま連れ出します。
家にたどり着いた二人でしたが、フラニーはカンカンで、レイとボラボラ島に行くと吐き捨てて出ていきます。レイとボラボラ島に向かうための空港にハンクもやってきます。ハンクは懸命に戻ってくるように説得しますが、フラニーは飛行機に乗り込んでしまいました。失意の中、家路についたハンクでしたが、暖炉で佇んでいると、そこにフラニーが帰ってきました。間違っていたとフラニーは言い、二人は熱く抱き合うのでした。
以上、映画「ワン・フロム・ザ・ハート」のあらすじと結末でした。
フランシス・フォード・コッポラ監督の「ワン・フロム・ザ・ハート」は、第二次世界大戦前後のアメリカ映画の楽しさを、1980年代前半頃の最先端の映像、音響技術を駆使して再現しようとした映画だ。
舞台はラスベガス。愛し合うカップルが、ふとした感情のすれ違いで、喧嘩別れをしてしまう。
そして、それぞれ別の恋人を見つけようとするのだが、本当の愛を確認して、また元のサヤへ納まっていくのだ。
この単純な物語に、全編に流れる、トム・ウエイツの音楽をたっぷり重ねて謳い上げ、ラスベガスの街もオールセット。
まさにあのMGMミュージカルのムードの再現。
画面も通常のスクリーンサイズではなくて、1940年代のスタンダードサイズで撮影しているのだ。
さらに、色彩までもが当時のテクニカラー発色に似せてあるのだ。
あの塗り込んだようなテクニカラー独特のタッチで、心理を語ろうとしているのだ。
しかも、何より興味深いのは、このセット、この色彩、そして華麗な画面構成が、全てVTRを利用した最新の映像技術で処理されているという事。
例えば、彼の説得を聞かないで、彼女は新しい恋人と飛行機に乗ってしまいます。
絶望のまま駐車場に引き返す、彼の後ろは空港ビル。
突然、そのビルの屋上すれすれに、彼女が乗ったジャンボ機が、ドワッと飛び立って行く。
遠近感を無視した映像効果が、ドラマティックな興奮を盛り上げるのだ。
これはVTRによる合成の効果なのだが、従来のマット合成やスクリーンプロセスでは得られなかった、美しい仕上がりと効果を発揮していると思う。
VTRからフィルムに戻す時に生じる、色の冷たい沈みが若干、感じられるのだが、それにしても見事な技術だと思う。
映画とは、こんなにも面白いものなんだよ。
こんなにも楽しいものなんだよ。
こんなストレートな映画の魅力を、最先端の技術の粋をこらして、フランシス・フォード・コッポラ監督は、語っているのだ。
ナスターシャ・キンスキーの神秘的な美しささえ、その狙いの一つなのだと思う。
この映像技術に目が届かないと、古いと思えるかも知れない。
重いと言う人もいるだろう。
しかし、このヘビーな画像こそ、コッポラ映像の思想であり、魔力なのだ。
まさに、映像と音響による魔性のトリップ感覚なのだ。