PIG/ピッグの紹介:2020年アメリカ映画。かって一流の料理長だったロブも、今は山奥に暮らし世捨て人の生活をしています。そんな彼の収入源はトリュフを豚とともに採集し、アミールという若者に売ることです。しかし、ロブは何者かに襲われ豚も盗まれます。彼はアミールと豚探しの旅に出るのですが…。『ピッグ/Pig』は、ニコラス・ケイジ主演のリベンジスリラー映画。批評家から絶賛されています。
監督:マイケル・サルノスキ 出演:ニコラス・ケイジ(ロブ)、アレックス・ウルフ(アミール)、アダム・アーキン(ダリウス)、ほか
映画「PIG/ピッグ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「PIG/ピッグ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「PIG/ピッグ」解説
この解説記事には映画「PIG/ピッグ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
PIG/ピッグのネタバレあらすじ:起
ロブ(ニコラス・ケイジ)はかつて一流レストランの料理長でしたが、今はオレゴン州の山奥でトリュフを探す世捨て人の生活をしています。彼は山小屋で豚を飼い、トリュフを見つけます。
彼は見つけたトリュフをアミール(アレックス・ウルフ)という男に売り、アミールはそのトリュフをレストランに高額な値段で売ります。アミールの父ダリウス(アダム・アーキン)は、ロブがレストランにいた頃の彼の常連客でした。
ある日、ロブは何者かに襲われ、豚もいなくなってしまいます。慌てた彼は、車で豚を探しに行きます。しかし車は故障してしまい、ロブは歩いて近くの町まで行きます。
ロブはアミールに会い、豚がいなくなったことを話します。二人は豚を探すことにします。ロブは襲った男の情報を他のトリュフ採集者に話すと「ポートランドの男が豚を持っているのでは?」と聞きます。
PIG/ピッグのネタバレあらすじ:承
ロブはポートランドに行けば豚が見つかると考え、アミールに車で連れて行ってくれと頼みます。そして二人はポートランドへ行くことにします。
二人は夜にポートランドに着きます。ロブは昔の友人エドガーを探します。ロブはエドガーなら豚の居場所を知っているのではないかと考えます。ロブはエドガーに会いますが、彼は豚の居場所はいいません。
ロブはホテル・ポートランドまで行こうと言います。アミールはそんなホテルは存在しないといい、怒り始めます。
ロブは「そのホテルは昔は存在したが今は壊されている。その地下でエドガーは格闘技を客に見せ、賭け事をするビジネスをしている」と言います。ロブはエドガーは豚の居場所を知っていると思っています。
二人は地下に行き格闘技を見ます。ロブはエドガーを遠くから見かけます。するとロブは突然リングに上がり、格闘を始めます。そしてロブは叩きのめされます。その後、エドガーはデレックという男の情報を与えます。
PIG/ピッグのネタバレあらすじ:転
ロブは、アミールの家で目を覚まします。アミールはロブと朝食をともにします。アミールは父ダリウスはロブのレストランの大ファンであったことを話し、ロブがいなくなってからは、母は自殺未遂をしてダリウスの人生はおかしくなったことなどを話します。
ロブはデレックが料理長を務めるレストランに、豚の居場所を知る手がかりがあると考えます。アミールはロブのためにそのレストランを予約します。
ロブは妻ローリーとかつて住んでいた家を訪れます。彼は、そこの住人である少年に会います。ロブは「柿の木はどうした?」と聞きますが、少年は「見たことがない。」と言います。
ロブとアミールは、デレックのレストランで食事をします。ロブはデレックにトリュフについて聞きます。デレックは昔の上司だったロブに気が付き驚きます。
ロブは豚とトリュフについて聞きます。デレックは慌てて、豚のことは知らないと言います。ロブは昔、デレックを解雇したことを思い出し説教を始めます。デレックはアミールの父ダリウスが、豚を盗んだことをほのめかします。
PIG/ピッグの結末
ロブはダリウスが盗んだのではないかと疑います。彼はアミールにダリウスのところへ連れて行けと言います。アミールが拒否するとロブは怒り「もうお前には会わない」と言います。アミールはダリウスの住所を教えます。
ロブは、ダリウスに会います。ダリウスは豚を盗んだことを告白し、その理由は息子のトリュフのビジネスが好きでなかったためだと言います。彼は、2万5千ドル払うから新しい豚を買えとロブに言います。ロブは金を受け取ることを拒否し、豚の返還を求めます。ダリウスはロブを追い出します。
ロブはアミールに会い、豚を取り返すと言います。ロブはアミールにワインと食材を集めることを頼みます。ロブは昔のレストランの同僚に会い、パンのレシピを聞きます。ロブは、アミールに頼んだワインと食材で、レシピのパンと食事を作ります。ロブは再びダリウスに会います。アミールはダリウスに食事を食べさせます。
ダリウスはロブ、アミールと食事をします。ダリウスは昔を思い出し、感情的になります。しかしダリウスは、豚はすでに死んでいることを告白します。ロブは落ち込みます。
アミールはロブを森まで連れていきます。ロブは森の住み家で、古いカセットテープを見つけます。そのテープから、ローリーからの誕生日メッセージとブルース・スプリングスティーンの歌が流れます。
以上、映画「PIG/ピッグ」のあらすじと結末でした。
たとえ問われても自分のことについては何ひとつ語ろうとしない寡黙な男。山奥の粗末な小屋で一匹の小さな「豚」と寝食を共にする粗野で武骨な男。いったいこの男は何ものなのか? 男は盗まれた「豚」を追って、アミールと言う若者と共に都会へと繰り出す。ここからいよいよこのロードムービーの幕が切って落とされる。しかしそれでも尚、山麓にかかった濃霧のように男の素性はベールで被われたままである。 この映画はロードムービーの名作「パリ、テキサス」のように、素性がハッキリとしない男が喪失したものを探し求めるという設定そのものが秀逸なのである。 そしてこの作品は男が最愛の「豚」を探すことで、期せずして自分の歩んできた人生を辿るという「二重構造」になっている。豚を追う部分では「スリラー映画」の体裁を取るが、人生を辿る部分では重厚な「人間ドラマ」に仕立て上げらているのである。これがこの作品の巧妙なる「二重構造」そのものなのだ。 寡黙な男は真の自分と向き合うことで常に本物の生き方を模索してきた。本物の人生と価値観を追及する「求道者」(ぐどうしゃ)が選ぶ道とは、艱難辛苦に満ちた険しい「茨の道」なのである。かつて万人を唸らせた天才シェフは、「世を捨て身を捨て」隠遁者たる「野人」となったのである。 音楽界の求道者であるベートーヴェンは万人が認める野人であったし、敬虔なる求道者のブルックナーもまた尊敬の念を込めて「聖なる野人」と呼ばれていた。 ロビン・フェルドも野人であり、「正真正銘の求道者」(プロ中のプロ)なのである。 この映画の中で主役のニコラス・ケイジは本物の男(GUY)を見事に演じ切った。この男の哀愁が漂う背中こそが本物の男の証(あかし)なのである。 ニコラス・ケイジはこの役を得たことで「新境地」を切り開いた。ニコラス・ケイジと言えば私はすぐに「波瀾万丈」「玉石混淆」というイメージが思い浮かぶ。たとえ過去に4度の離婚歴があろうが、5度目のワイフが31歳も年下であろうがそれもまた良し。浪費癖の為に多大なる借金があっても、その返済の為に「奇作!珍作!駄作?」に出てもそれもまた良し。常に貪欲で「エネルギッシュな推進力」こそがニコラス・ケイジの生きる道なのである。 この映画のクライマックスではロブが渾身の一皿を供する。そしてその料理を口にした途端に感極まって「滂沱(ぼうだ)の涙を流す」ダリウス。このダリウスの慟哭は最愛の妻を失くした男の悲痛なる叫びである。正に「鬼の目にも涙」と言うところであろうか。ダリウスもまた、あの晩のディナーの記憶が甦ったことで、期せずして自分の歩んだ人生を辿ることになった。 このダリウスという男、どこかで見たことがあるようなないような?「……あっそうか!」往年の名優アラン・アーキンの息子だったのか。なるほどデジャヴの意味が解った。 この作品では「美食」がサブテーマになっている。そこで美食について二通りの見解を述べたい。但し私の美食の定義は世間とは著しく異なる。 「美食」とは究極的には料理のことではなく、料理を食べる側にこそ「美食の本質」がある。つまりどれだけご馳走が並んでいてもそれだけでは意味がない。それを口にした人間の舌と「経験値」によって料理の価値が引き出されるからだ。 日本人にとって「松茸は宝石」であるが西洋人には「ガラクタ」も同然である。一方のトリュフもまた、日本人にとっては「高価なゴミ」でしかない。アマゾンの未開民族(ヤノマミ族やイゾラドなど)にとっては、ブルックナーの交響曲などは「迷惑な騒音」でしかない。これが一つ目の見解。 二つ目は、「カップ麵」と「高級フレンチ」についての見解。「能登半島地震」や「東日本大震災」の被災地では、難を逃れて避難所で家族と一緒に食べるカップ麵は「至上のご馳走」に違いあるまい。一方で、不安や不満を心に溜めたまま食べる高級フレンチは味気なく素っ気のないものであろう。つまりは、美味しいか美味しくないかは「状況と心情」によるのである。つまり食材と食事に対する感謝の気持ちがあって初めて「美食」が成立するのだ。 この映画のラストではブルース・スプリングスティーンの名曲「アイム・オン・ファイア」がかかる。この「I’M ON FIRE」こそは我が最愛のバラード曲の一つである。 私はクラシック音楽だけでなく、ありとあらゆる音楽を溺愛(リスペクト)している。特に20代の頃は「フォークロック」や「ブルーグラス」に深く傾倒していた。なので「スプリングスティーン」や「CCR」や「ザ・バーズ」に「ニール・ヤング」などはカーステレオで「一晩中」ガンガンに流していた。「プログレ」も「ヘヴィメタ」も「ハードロック」も溺愛していた。殊にジミー・ヘンドリックスとベートーヴェンを同列に語ったのは私が最初ではなかったかと。 ニコラス・ケイジと同じく、私もこれまで「波瀾万丈」「玉石混淆」を地で行く人生を送って来た。だからこそ私には「PIG/ピッグ」という映画のメッセージ(意味)が解るのだと思う。