大いなる西部の紹介:1958年アメリカ映画。ドナルド・ハミルトンの小説『The Big Country』を映画化した西部劇です。西部開拓時代後期、有力者の娘と結婚するために東部からやってきた男が、二組の勢力争いに巻き込まれていきます。
監督:ウィリアム・ワイラー 出演者:グレゴリー・ペック(ジェームズ・“ジム”・マッケイ)、ジーン・シモンズ(ジュリー・マラゴン)、キャロル・ベイカー(パトリシア・“パット”・テリル)、チャールトン・ヘストン(スティーブ・リーチ)、バール・アイヴス(ルーファス・ヘネシー)ほか
映画「大いなる西部」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「大いなる西部」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「大いなる西部」解説
この解説記事には映画「大いなる西部」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
大いなる西部のネタバレあらすじ:起
1870年代のテキサス州サンラファエル。東部で船会社を営んでいた紳士ジェームズ・“ジム”・マッケイ(グレゴリー・ペック)は、婚約者で地元有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の1人娘パット(キャロル・ベイカー)と式を挙げるため、馬車に乗ってやってきました。出迎えた牧童頭のスティーブ・リーチ(チャールトン・ヘストン)は密かにパットに想いを寄せており、ジムの到来に何となく敵意を示しました。この地域一帯は、唯一の貴重な水源地である“ビッグ・マディ”の利権を巡ってテリル大佐と地元の大地主ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)の二大勢力が対立していました。
大いなる西部のネタバレあらすじ:承
ビッグ・マディの土地は町の女教師でパットの親友でもあるジュリー・マラゴン(ジーン・シモンズ)が先祖代々から所有しているのですが、どちらか一方に売れば必ずや血で血を洗う抗争になるだろうと考えているジュリーはどちらの勢力にも土地を売ろうとはしませんでした。ジムはパットの案内でテリル大佐の牧場に向かいますが、途中で酒に酔ったヘネシーの息子バック(チャック・コナーズ)らから嫌がらせを受けます。しかしジムは彼らを相手にせず、このことを知ったスティーブはジムのことを軟弱者と罵り、テリル少佐はジムに対する狼藉を決して許さずヘネシーの集落を襲い、バックらに制裁を加えました。
大いなる西部のネタバレあらすじ:転
その頃、舞踏会に参加していたジムはジュリーと対面し、彼女にほのかな想いを抱くようになります。ジムは両勢力の仲裁策として自らがビッグ・マディを買い取って牧場を開き、誰にも平等に水を分け与える案を提案、ジュリーと売約契約を交わしました。そんなジムを快く思わないスティーブはジムにどちらが今まで誰にも乗りこなせなかった荒くれ馬を乗りこなせるか勝負を挑みますが、受けて立ったジムは見事に荒馬を乗りこなし、ジムを認めたスティーブは友情を交わしました。
大いなる西部の結末
しかし、暴力では何も解決しないと考えるジムの態度にテリル少佐とパットは不満を抱くようになり、ジムがビッグ・マディを買い取ったことを知らないヘネシーはジュリーを監禁し、バックと結婚させようとするという強硬策に出ました。しかしバックはジュリーをレイプしようとし、助けに駆け付けたジムと決闘に臨みますが、息子の卑劣な行為に激怒したヘネシーはバックを射殺しました。やがてテリル大佐は部下を引き連れてヘネシー一家に殴り込み、最後は当主同士の決闘となり、テリル大佐とヘネシーは相打ちになって死亡します。ジムはジュリーと共に、ビッグ・マディに向かって旅立ちました。
「大いなる西部」感想・レビュー
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この映画「大いなる西部」は、巨匠ウィリアム・ワイラー監督が、西部の新しい夜明けを描いた格調高い大型西部劇だ。
マッケイ(グケゴリー・ペック)は、西部の牧場主テリルの娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、東部からはるばるテキサスまでやって来る。
このテリルは、女教師ジュリー(ジーン・シモンズ)が持つ水源地をめぐってヘネシーと対立する。
一方、テリル家の牧童頭スティーブ(チャールトン・ヘストン)は、パットを秘かに愛していて、東部から来たヤサ男マッケイをうとましく思っていた——。アメリカ人にとって西部とは何なのか、それがこの映画を観ていると、よくわかる気がする。
西部の新天地などとよく言われるが、大西洋を渡ってアメリカ大陸の東海岸に上陸したヨーロッパの移民たちにとって、西部とはまさしく、まだ道の通じていない未開の土地だったのだ。そこに彼らは無限の可能性を見ようとした。また事実そこは、あらゆる物資の宝庫でもあったのだ。
こうして夢多きヤンキーたちは、幌馬車に群がり乗って、遠く道なき荒野を西へ西へと突き進む。
西部劇は、生まれるべくして生まれた彼らの魂の詩なのだ。この映画では、すでに西部の新天地を開拓して、そこに住むアメリカ人と、新たに海を渡ってその地に移り住んで来る新興勢力との対立を描きながら、激しい抗争の後に、文字通り大いなる西部が開けるという壮大な未来への展望を示して終わっている。
すでにその地に住む保守的な若者の代表がチャールトン・ヘストンであり、海から来た東部のリベラルな男がグレゴリー・ペック、その間に美しい娘のキャロル・ベイカー、ジーン・シモンズが絡んでくる。
そして、旧世代の代表としてチャールズ・ピックフォードとパール・アイヴスが相対立する。そして、壮絶な全ての決闘が終わった後に、大いなる西部は若い世代の前に、限りなく広々と開けていて、まことに壮観だ。
ジェローム・モリスの勇壮な心躍るテーマ曲に乗って、荒野を疾走する駅馬車の遠景ショットの幕開けから、最後の壮絶な決闘シーンまで、ウィリアム・ワイラー監督の演出は、西部への限りない賛歌にあふれていると思う。
当時の(今もか?)西部の偏狭を印象付ける作品で、多くの人が絶賛する割には情けない内容だと思いう。今のアメリカの人々も大して変わらないのではないか?