愛情物語の紹介:1956年アメリカ映画。1930年代から1940年代にかけて活動した実在のピアニスト、エディ・デューチンの生涯を基にしたフィクション映画です。若くして成功を収めた日々、最愛の人との出逢いと別れ、息子との確執と和解などが描かれます。
監督:ジョージ・シドニー 出演者:タイロン・パワー(エディ・デューチン)、キム・ノヴァク(マージョリー・オルリックス)、ヴィクトリア・ショウ(チキータ・ウィン)、ジェームズ・ホイットモア(ルー・シャーウッド)、レックス・トンプスン(ピーター・デューチン)、シェパード・ストラドウィック(シャーマン・ワズワース)、フリーダ・イネスコート(エディス・ワズワース)、ラリー・キーティング(レオ・ライスマン)、ジャック・アルバートソン(ピアノ調律師)ほか
映画「愛情物語」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「愛情物語」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
愛情物語の予告編 動画
映画「愛情物語」解説
この解説記事には映画「愛情物語」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
愛情物語のネタバレあらすじ:起
1920年代。ボストン生まれの青年エディ・デューチン(タイロン・パワー)は、ピアニストとしての成功を夢見てニューヨークへとやってきました。貧しい家庭に育ったエディは両親の尽力で何とか大学を出て、薬剤師の資格を得たのですが、独学でピアノを習得したエディはどうしてもピアニストになるという夢を捨てきれなかったのです。
エディが向かった先は「セントラル・パーク・カジノ」で「ライスマン楽団」を率いているバンドリーダーのレオ・ライスマン(ラリー・キーティング)の元でした。以前、エディがバークシャの避暑地でピアノを弾いていたのを、たまたまこの地を訪れていたライスマンが絶賛。今度ニューヨークに“遊びに”来いと声をかけたのです。
エディはマネージャーのルー・シャーウッド(ジェームズ・ホイットモア)を通じてライスマンと対面しましたが、ライスマンはエディの才能を認めながらも、楽団で雇うつもりはないと告げました。現実の厳しさを思い知らされたエディはカジノにあったピアノに目を留め、ショパンの「夜想曲(ノクターン)」を弾き始めました。
たまたまその場にいた資産家令嬢のマージョリー・オルリックス(キム・ノヴァク)がエディの演奏を気に入り、ライスマンに掛け合って、エディに演奏の機会を与えてくれるよう頼みました。さすがのライスマンもお得意様であるマージョリーの頼みを断ることができず、エディは楽団の演奏の合間ながらもカジノで演奏する機会を得ることができました。
エディはカジノで催されたダンスパーティーでピアノを披露することになりました。しかし、メインの演奏でダンスを踊っていた人々はエディの演奏が始まるとテーブルに着き、エディのピアノに耳を傾けようとすらしませんでした。そこでマージョリーは、叔父で銀行家のシャーマン・ワズワース(シェパード・ストラドウィック)を誘い、他の人々にも踊るよう誘いました。
翌日、エディはマージョリーの元を訪れ、助けてもらった心遣いに感謝しました。それ以来、エディはマージョリーと親交を深めるようになっていきました。
愛情物語のネタバレあらすじ:承
エディの演奏はカジノ客の間でたちまち評判となり、エディは晴れて正式にライスマン楽団への加入を許されました。最初のうちはメインのオーケストラ演奏の合間だけでしたが、次第に才能を開花させていったエディはいつしかソロを任せられるようになり、エディのピアノを聴くためにカジノを訪れる客も多くなっていきました。
カジノ界隈で名の知られる存在となったエディは、マージョリーの叔父のシャーマンと妻のエディス(フリーダ・イネスコート)のパーティーに招待されました。遂に自分も社交界に招かれる存在となったのかと思い込んだエディは中古で買った車に乗り、颯爽とパーティー会場であるワズワース邸へと向かいました。
ところが、エディは自分はパーティーの招待客ではなく、単なるピアノ演奏のために呼ばれたことを知って気分を害してしまいました。エディは帰ろうとしましたが、気を取り直してピアノを弾くことにし、マージョリーはそんなエディの気持ちを察して彼の傍らに寄り添い励ましました。
エディとマージョリーの友情はやがて愛へと変わっていき、二人はデートを重ねるようになっていきました。そしてエディはカジノでの演奏に故郷の両親を招待し、両親の前でマージョリーにプロポーズしました。
エディとマージョリーは人々の祝福を受けながら華やかな結婚式を挙げ、セントラルパークを見渡せる高層マンションに新居を構えました。順風満帆と思われた二人でしたが、その頃からマージョリーは、嵐がエディを遠くに連れ去ってしまう夢にうなされるようになっていきました。
やがてエディは自らの楽団「エディ・デューチン楽団」を結成してバンドリーダーとなり、マージョリーはエディとの子を身籠りました。
クリスマスの夜、マージョリーは男の赤ん坊を出産。その知らせはカジノでピアノを弾いていたエディにも伝えられました。エディは妻と息子に捧げるピアノを弾き、その様子はラジオで生放送され、病院にいたマージョリーも聴いていました。
演奏を終えたエディは病院へと急ぎましたが、医師から伝えられたのはマージョリーが危篤状態に陥っているということでした。エディは涙をこらえながらも笑顔でマージョリーに接し、自分を支え続けてくれたことへの感謝の意を伝えました。マージョリーの耳には嵐の音が聞こえ、エディは怯えるマージョリーに寄り添って励ましました。
マージョリーは安心したかのように28年の生涯を閉じました。マージョリーを看取ったエディは、一人誰もいないカジノに戻り、「メリークリスマス」と呟きながら泣き崩れました。
愛情物語のネタバレあらすじ:転
エディは生まれた息子にピーターと名付けました。しかし、すっかり心を閉ざしてしまったエディは、マージョリーがピーターを産んだがために命を落としたのだと思い込んでしまい、ピーターをワズワース夫妻に預け、全く会おうともしませんでした。
エディは哀しみから逃れるかのようにピアノに打ち込み、楽団を率いて長きにわたる演奏旅行に出発していきました。それからエディは5年もの間、一度もニューヨークに戻っていませんでしたが、エディはマネージャーのルーから、現実に向き合うべきだと説得され、ようやくピーターと会う決心がつきました。
時代は折しも戦争の足音が忍び寄っていました。戦争が始まればピーターに会う機会がなくなるとルーに言われたエディは、ワズワース夫妻の元を訪れ、ピーターと初めて対面しました。しかし、ワズワース夫妻に懐いていたピーターはエディを父として認めようとせず、エディはピーターと心を通わせ合うことができませんでした。
やがて第二次世界大戦が勃発しました。アメリカも連合軍として参戦し、エディも海軍に入隊しました。海軍はエディに戦地での慰安活動に従事してもらおうと考えていたのですが、エディは「戦場は地獄だが、今の自分にとっては“救い”だ」と断り、あえて自ら前線に出ることを志願しました。エディは駆逐艦に乗り、フィリピン・ミンダナオ島に上陸しました。
エディは廃墟となった建物で、焼け焦げた1台のピアノを見つけました。エディは鍵盤を叩いてみると、まだピアノは生きていました。エディはそのピアノを弾き始めると、現地の少年が興味を示してきました。そこでエディはその少年と一緒にピアノを弾き、いつしか二人の周辺には兵士たちや地元の住民たちがピアノを聴きに集っていました。
二人が弾き終わると、人々は拍手喝采を送りました。この少年との触れ合いを通じて、エディは改めてピーターと向き合う決心をしました。そしてエディがピーター宛てに手紙を書いていたその時、艦内の放送で終戦が告げられました。
愛情物語の結末
ニューヨークに戻ったエディはその足でワズワース夫妻の元に向かいました。成長したピーター(レックス・トンプスン)はちょうど最近仲良くなったというチキータ・ウィン(ヴィクトリア・ショウ)と出かけているところでした。ワズワース夫妻の歓迎を受けたエディは、今後はピーターと二人で暮らすことを伝えました。
ちょうどその時、ピーターがチキータと共に帰ってきました。初めてチキータと対面したエディは、子供だと思い込んでいた彼女が美しい成人の女性であることに驚きました。イギリス出身のチキータは戦争で両親を亡くし、シャーマンに引き取られていたのです。
そしてエディは久しぶりにピーターと対面しましたが、ピーターはチキータに懐き、未だにエディには心を開こうとはしませんでした。それでもピーターはチキータに促されてピアノを弾き始めると、それはまさしくエディの才能を受け継いだものでした。
エディは時間をかけてピーターと向き合いたいと考えており、チキータの助けを借りながら少しずつピーターと接していきました。そしてエディは自分の楽団のリハーサルスタジオにピーターやその友人たち、チキータを招き、ピーターはエディのピアノを弾き始めました。エディは楽団のメンバーに指示し、ピーターは楽団と演奏を共にしました。この頃から、エディとピーターの距離は少しずつ縮まっていきました。
エディは「ウォルドルフ=アストリア」で開かれたコンサートにピーターとチキータ、両親、ワズワーズ夫妻を招待し、以前にも増した熱演を見せました。ところがその時、エディは左の指に痺れを感じ、途中で楽団メンバーに演奏を頼んでステージを降りてしまいました。マネージャーのルーはエディに病院で診察を受けるよう勧めました。
その夜、エディはピーターも亡き母マージョリーと同じように嵐を怖がっていることを知り、一緒のベッドで眠ってあげました。エディとピーターを隔てる心の壁は完全に取り払われていました。
しかし翌日、医師の診察を受けたエディは自分が白血病に侵されていることを知りました。エディはルーにはこのことを伝えましたが、ピーターには黙っておくことにしました。
時を同じくして、チキータはエディとピーターが打ち解けたことで自分の役目は終わったと感じ、祖国イギリスに帰る決心をしていました。そのことを知ったエディは自分が余命1年と宣告されていることを伝え、自分はチキータを愛してはいるが一緒にはなれないと伝えました。すると、チキータもエディのことを愛していると伝え、最後まで添い遂げたいと願い出ました。
エディはチキータと再婚し、その日が来るまでは三人で生きていく決意を新たにしました。エディはチキータの提案を受け、苦悩しながらもピーターに自分の病のことを打ち明けることにしました。ピーターはエディの覚悟を受け止め、チキータは自分が守ると約束しました。
エディとピーターは自宅の2台のピアノに座り、二人でショパンの「夜想曲第2番」をアレンジした「Two Love Again」を奏で始めました。チキータは悲しみをこらえながら二人を見守り、エディはピーターを励ますかのようにピアノを弾き続けていましたが、やがてエディの両手は動かなくなっていき、そしてピアノの前から静かに消えていきました。
以上、映画「愛情物語」のあらすじと結末でした。
子供の頃から随分長い期間にわたって、私は“子供が亡くなる”“親が亡くなる”といったお涙ちょうだいものを見てきた。
さすがに中学生くらいか、高校生くらいになると、こうした映画に関しては、「またか」と思うようになっていた。
この映画も、途中で主人公が妻を亡くし、最後は自分自身も病気で他界する。
しかしこの映画に関しては、他のお涙ちょうだいものとはひと味もふた味も違う。
ひとつにそれは、この映画が1930年から40年代にかけて活躍した天才ピアニスト、エディ・デューチンの半生を描いた実話だということと、もうひとつは何よりもショパンのノクターンを中心にしたいわゆる格調のある音楽映画だということだと思う。
まず、前半はエディがピアニストとして成功するまでを描いている。
しかし、せっかく成功をおさめ、男の赤ちゃんにも恵まれた主人公が、影になり日向になって支えてくれた妻を失った時の悲しみといったら想像を絶するだろう。
エディはその現実を受け入れられず、また妻が死んだのは子供を産んだ事にも原因があるのではと考え、子供を受け入れることもできない。
そして自ら軍隊に志願し、戦争の前線に赴くのだ。
戦争は地獄だというけれど、自分にとっては救いなのだとエディは言う。
やがて戦争が終わり、再びエディは楽団を率いて演奏し、長らく会っていなかった息子とも、少しずつその心の溝を埋めていく事に成功する。
息子には、チキータという女性がついて、面倒を見ると同時に、家庭教師のようにピアノまで教え、息子は父譲りの才能を発揮するようになる。
しかし今度は自分自身を病魔が襲う。
長くても1年だと宣告されたエディは、チキータと結婚する事になる。
近くを流れる大きな川辺で、私はあなたを愛している、しかし同情はやめてくれと言ったエディにチキータは同情なんかじゃない、わたしもあなたを愛しているのだと告白する。
こうして結ばれた2人だったが、チキータは、エディに、もう10歳くらいになる息子に、長くないことを話した方がいいと諭す。
息子と雨上がりの公園に行ったエディは、どうしてもうまく言えなかったが、ついにその事実を息子に伝える。
この場面は、私は何度見ても涙をこらえきれないのです。
ある日、親子は2人揃って自宅でショパンのノクターンを演奏する。
カメラがずっと引いていくと、エディの姿はもうない。
一度見たら忘れられないラストシーンである。
私はこの映画を高校生の時友達と映画館で観た。こういう映画を連れ立って観に行くとはなんと女々しい高校生だったろう。
しかし、今見ても、多少物語の冗長さなどは感じても、充分感動してしまった。
ラストの方など、涙をこらえきれなかった。
娯楽映画と言えばそれまでだが、本当にいい映画と言っていいと思う。
主演のタイロンパワーのピアノを弾くシーンはどれ程の練習を積んだのだろうと思わせる見事なもので、そういう意味でもよくできた作品だと思った。