ヨーヨー・マと旅するシルクロードの紹介:2015年アメリカ映画。シルクロードの国々から文化の壁を越えて奏者を集め始動したヨーヨー・マによるプロジェクト。苦難を乗り越え、演奏者たちは自分達の音楽を未来へ残していこうと苦心する。
監督:モーガン・ネヴィル 出演者:ヨーヨー・マ、キナン・アズメ、ケイハン・カルホール、クリスティーナ・パト、ウー・マン、梅崎康二郎、ボビー・マクファーリン、オスバルド・ゴリホフ、ジョン・ウィリアムズ、タン・ドゥン、ほか
映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ヨーヨー・マと旅するシルクロードの予告編 動画
映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」解説
この解説記事には映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ヨーヨーマと旅するシルクロードのネタバレあらすじ:起・チェロリスト、ヨーヨー・マ
パリで生まれ育ち、幼い頃から神童として公演を行っていたヨーヨー・マ。音楽と常に供にあった彼は、ニューヨークへ拠点を移し音楽家として成功した後も、新しい試みを続けた。
ブッシュマンとの音楽プロジェクト等、常に挑戦する姿勢を崩さず、2000年にシルクロードプロジェクトが始まった。それは、ヴェネチアからイスタンブール、中東からアジアまで、名だたる音楽家達を集めワークショップをすることだった。
楽器は皆バラバラで、西洋音楽の楽器を使うものもいれば、自分の故郷に根差した伝統的な民族楽器など様々だった。当初からは批判はあったもののワークショップは成功した。
ヨーヨーマと旅するシルクロードのネタバレあらすじ:承・メンバーたち
シリアのクラリネット奏者のキナンはダマスカスで生まれ育ったが、国内の不安定な状況は変わらず、帰りあぐねている。
イランの伝統楽器ケマンチェ奏者のケイハンは、若い頃に起きた革命の混乱期に両親が彼を国外に逃がし、様々な国を渡り、若いうちからプロ達と共演も果たした。しかし、ケマンチェの楽器としてのマイナーさに悩まされる事も少なくなかった。
中国の琵琶(ピパ)の演奏者のウーは文化大革命後にできた中国の音楽院で学んだ最初の生徒で、今ではニューヨークで活動をしている。
途中から参加したバグパイプ(ガイタ)奏者のクリスティーナは、スペインの西北部のガリシアに住む。独自の文化を持つガリシアは、文化的には豊かだが経済的には貧しかった。クリスティーナの演奏は革新的でプロジェクトの趣旨に合っていた。
ヨーヨーマと旅するシルクロードのネタバレあらすじ:転・プロジェクトの危機
2001年9月、アメリカ同時多発テロは、プロジェクトに影を落とした。メンバーの中には敵国同士になってしまうケースもあり、シルクロードプロジェクトを止めるか、続けるかという状況にまで陥った。
音楽の無力さを感じる者、音楽家の存在意義について考える者など様々だったが、プロジェクトは続けられる事になった。そして、演奏会では、二次大戦中にメシアンが収容所で作曲した曲が演奏された。それぞれの音楽の伝統を守る為に、常に新しく続けていく事を選択した。
ヨーヨーマと旅するシルクロードの結末:それぞれ伝統とこれから
キナンはヨルダンにあるシリア難民のキャンプに楽器を持って訪れ、シリアから逃れてきた子供達に音楽を教えた。
ケイハンはケマンチェの若手奏者の育成の為に帰国したが、大統領選に関する抗議デモで再び国の情勢は不安定に。さらに、著名な音楽家として当局に目をつけられ、『音楽』を人質にとられた事を怒り、イランでは二度と演奏会を開かない事を決めた。
ウーは陝西省で後継者のいない人形楽団の海外公演を行い、広く知られていない文化を世界に見せる事に成功した。
クリスティーナはガリシアで音楽祭のを始め、多くの音楽家を呼び、ガリシアの音楽を広めようとしている。
ヨーヨー・マは政権や政治的混乱、内紛などに左右されない、音楽の連続性を確信している。
以上、映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」のあらすじと結末でした。
ヨーヨーマと旅するシルクロードのレビュー・考察:伝統とアイデンティティ
このプロジェクトが無ければ、同じ場所で一度に聞くことはなかっただろうと言う楽器が多数ある。あらゆる場所の民族楽器が一堂に会しているが、音が重なると違和感はまったく無く、初めからそこにあったかのように一つのハーモニーになっており、根底にある『音楽』と言うものは共通なのかもしれないとさえ思えくる。それぞれの楽器が地域や地方の独自の伝統を守っている点も共通している。マイナーと言われがちな民族楽器や狭い地域でのみ育まれている伝統文化は、今の時代の流れにおいては、消滅の一途をたどってしまうだろう。作中ではそう言った未来への示唆もあり、それぞれの文化が互いに開き交流し合いながら、伝統と言う名のアイデンティティをそれぞれに確認しているように見えた。
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