将軍たちの夜の紹介:1966年アメリカ映画。ドイツの小説化ハンス・ヘルムート・キルスト原作の同名小説を映画化したサスペンス作品です。第二次世界大戦下で計画されていたヒトラー暗殺計画「ワルキューレ計画」をベースに、ある殺人事件に端を発したナチス将軍らの数奇な運命を描いています。
監督:アナトール・リトヴァク 出演者:ピーター・オトゥール(タンツ中将)、オマー・シャリフ(グラウ少佐)、トム・コートネイ(ハルトマン伍長)、チャールズ・グレイ(フォン・シーディッツ=ガーブラー将軍)、ドナルド・プレザンス(カーレンベルク少将)ほか
映画「将軍たちの夜」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「将軍たちの夜」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「将軍たちの夜」解説
この解説記事には映画「将軍たちの夜」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
将軍たちの夜のネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦真っ最中の1942年冬、ナチスドイツ支配下にあったポーランド・ワルシャワのとあるアパートで、メッタ刺しにされて殺害された娼婦の死体が発見されました。娼婦はドイツ軍情報部の情報提供者だったことから、事件の捜査には情報部のグラウ少佐(オマー・シャリフ)が当たることになります。「犯人は軍服で、ズボンには赤いラインが入っていた」との目撃情報から犯人はドイツ軍将官の可能性が浮上、やがて捜査線上に3人の将軍の名が浮かび上がってきました。貴族出身の占領軍司令フォン・シーディッツ=ガーブラー将軍(チャールズ・グレイ)、参謀長カーレンベルク将軍(ドナルド・プレザンス)、そしてヒトラーからの信任厚い師団長タンツ将軍(ピーター・オトゥール)でした。
将軍たちの夜のネタバレあらすじ:承
グラウ少佐はエンゲル大尉(ゴードン・ジャクソン)を伴い、容疑者3人が一堂に会する夜会に出向いて探りを入れます。同じ頃、前線で負傷した音楽家志望のハルトマン伍長(トム・コートネイ)はいとこのコネで夜会の音楽担当をカーレンベルク将軍から託され、ガーブラー将軍の娘ウルリケ(ジョアンナ・ペティット)に惹かれていきます。その翌日、タンツ将軍はワルシャワの抵抗市民の弾圧の陣頭指揮を執ります。一方、戦時中にも関わらず殺人事件捜査に固執する変わり者と揶揄されたグラウ少佐は、中佐への昇進と引き換えにフランス・パリへの転属を命ぜられます。1944年7月。ガープラー将軍とカーレンベルク将軍、そしてタンツ将軍は揃ってパリに赴任していました。ガープラー将軍とカーレンベルク将軍はタンツ将軍を快く思っておらず、ハルトマン伍長をタンツ将軍の監視に付けます。一方、タンツ将軍らの赴任を知ったグラウ中佐はパリ警察のモラン刑事(フィリップ・ノワレ)に将軍らの捜査への協力を要請します。
将軍たちの夜のネタバレあらすじ:転
連合軍は既にノルマンディーに上陸、戦局の悪化に焦りを覚えたガーブラー将軍やカーレンベルク将軍らは密かにヒトラー暗殺計画を練っていました。その一方、親ヒトラー派であることからガーブラー将軍らから遠ざけられていたタンツ将軍の監視に付いていたハルトマン伍長は、その人間味のなさに戸惑いを感じていました。昼はパリ観光、夜はナイトクラブで遊んでいたタンツ将軍でしたが、タンツ将軍はナイトクラブの女を連れ出して殺害してしまい、その罪をハルトマン伍長に擦り付けてしまいます。そんな最中、遂にヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」が実行され、ヒトラーの死を確信したカーレンベルク将軍はタンツ将軍を危険人物として逮捕を部下に指示、その一方でクーデターの準備に取り掛かりますが、やがてワルキューレ作戦が失敗に終わったという報が届き、タンツ将軍は自らを逮捕しようとしたグラウ中佐を射殺します。
将軍たちの夜の結末
終戦から20年後の1965年、西ドイツ・ハンブルグ。ガーブラーは生き延びて姿をくらまし、カーレンベルクは連合軍に投稿して生き長らえ、そしてタンツは戦犯として捕らえられ、この年に刑期を終えて出所していました。国際警察の捜査官となっていたモラン警部は亡き友人グラウの遺志を継ぎ、引き続きワルシャワとパリの事件を追っていました。そしてまたしても猟奇殺人事件が発生します。一連の事件の犯人がタンツであることを確信したモラン警部は、カーレンベルクの証言からハルトマンがタンツの付き人をしていたことを知り、ガープラーとその娘ウルリケを通じて行方不明となっていたハルトマンを見つけ出します。モラン警部はハルトマンを伴い、師団創設25周年記念行事に出席していたタンツとハルトマンを対面させ、追い詰められたタンツは行事会場で拳銃自殺を遂げました。
1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。
捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。
それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。
二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが——–。
この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が、迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。
そして、この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるタンツ将軍(ピーター・オトゥール)の異常ぶりを示す”恐怖の人間像”だ。
戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。
そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ。
戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。
将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。
このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。
狂気にかられて、自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく。
ピーター・オトゥールの舞台で鍛え抜かれた、鬼気迫る演技は、私の心をつかんで離しません。
そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。
彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。
そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。
このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのです。