尼僧物語の紹介:1959年アメリカ映画。オードリー・ヘップバーンが尼僧(シスター)役に挑んだ作品。キャサリン・C・ヒュームによる小説を映画化した作品で、ニューヨーク映画批評家協会賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞。女性の社会貢献の歴史という視点で観ると興味深い作品。
監督:フレッド・ジンネマン、主演:オードリー・ヘプバーン 出演: ピーター・フィンチ、イーディス・エヴァンス、ペギー・アシュクロフト、ディーン・ジャガーほか
映画「尼僧物語」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「尼僧物語」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
尼僧物語の予告編 動画
映画「尼僧物語」解説
この解説記事には映画「尼僧物語」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
尼僧物語のネタバレあらすじ:第二次世界大戦期、社会貢献の意欲に燃える女性を描く
第二次世界大戦期のベルギーを舞台にした作品です。「医師の娘、ガブリエルは途上国での医療支援の仕事を志し、コンゴで医療活動を行う修道会の尼僧となる。長い努力の末、希望がかなってコンゴへの赴任が実現するものの、現地活動中に結核に侵されてしまう。同じ病院に勤める医師の熱心な治療のかいあって病状は回復するが、意に反してベルギーに呼び戻される。その頃、中立国のベルギーにドイツ軍が侵攻しベルギーは降伏。同胞を助けるための地下活動に加わるために、ガブリエルは還俗し尼僧院を出ていく」というあらすじです。
尼僧物語のネタバレあらすじ:途上国に対する欧米人の視線がリアルに伝わる
作品からは、途上国に対する偏見めいた欧米人の感覚が伝わってきます。コンゴの病院に勤める尼僧を現地人が殺害するエピソードがありますが、その理由は「我々の神が白人を殺せと命じたから」という本人の供述しかなく安直に描かれています。尼僧の側も、親しくなった現地人を「洗礼を受けてくれればいいのに」と何の気なしに評します。
現代の感覚から観ると、現地の文化や事情に対する理解や配慮を欠いた制作当時の欧米人の感覚が露骨に出ています。「こんな感覚が、ついこの間までの本音だったのだ」ということを示す資料としては貴重だといえるでしょう。
尼僧物語のネタバレあらすじ:女性の社会貢献の場が限られていたことが分かる
主人公は、今でいえば社会貢献意欲の高い人です。現代ならNGOをはじめ、社会貢献活動に加われる場が沢山ありますが、当時はごく限られていたことがうかがえます。そのわずかな場の一つが宗教団体であり、だから彼女はわざわざ尼僧になったのでしょう。
尼僧になることは、自我を捨て、ある種の死を経て、清貧、貞潔、服従の掟に従って生きることです。自らの意思で行動することは許されず、規則と神の導き(実際には所属団体の上長の指示)に従う「服従」の理念と、社会貢献したいという自身の理念が両立できないこともままあります。そうした矛盾からくる葛藤が、修行中の告白シーンや、共に働く医師に「君は修道院が期待するような尼僧になれない」と指摘されるシーンなどによく表れています。「尼僧としては至らなくて構わない」と割り切れない不器用な主人公の人柄が、物語に深みを出しています。
「尼僧物語」感想・レビュー
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ヘップバーン やっぱり綺麗、可愛いい 私たちの青春時代の憧れでした。尼僧の世界は何度見ても よくわかりません。 でもいつも意志の強い役の
ペップバーンはだいすきです。彼女の映画が放映されると何度でも見ています -
このフレッド・ジンネマン監督、オードリー・ヘプバーン主演の映画「尼僧物語」を、久し振りで観直しました。
やはり、名画と言われているものは、何度観ても、観るたびに新たな発見があり、映画を観る至福の悦びを感じますね。
看護師のオードリー・ヘプバーンは、神への絶対的服従を誓って、修道院に入り、毎日の厳しい規則と試練に耐える日々を送ることになります。
喋るな、要求するな、財産を持つな、昔を回想するな、意志を捨てよ、自我を失くせと、精神の内部にまで、戒律は及んでくるのです。
ナチス・ドイツが攻めて来て、祖国ベルギーが軍靴で蹂躙され、父親がファシズムの犠牲になってしまいます。
だが、修道院は、神の意志として現実を受け入れることを強要するのです。
不正義に対してでも、報復をするのは卑しい、ナチスもレジスタンスも神の前には等価値であると教えられた時、彼女は神の存在に疑問を抱きます。これでは神は人間を救済することができない。
宗教はただ神に祈るだけでよいのか——-。レジスタンスの地下組織から看護師としての協力を求めて来た時、彼女は掟を破り還俗する決意をします。
今度こそ本物の人生へ、しかし、死が待っているかもしれない世界へ向けて出発する。
修道衣を捨て、17年間の尼僧生活に別れを告げるんですね。部屋から出て、画面の奥へ一人で再出発すべく歩いていくラストが、とても印象的です。
頭までを覆った衣服を纏ってはいるものの、オードリーの表情は、気高く美しい。
「ローマの休日」の彼女がすべてではないことを、この映画は教えてくれるんですね。
本来のヘップバーンも末期がんになって、全身の傷みに、耐えて、ユネスコの貧民地区の子供たちに奉仕したのは、ノーベル賞に値するよ♥