ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイの紹介:2021年アメリカ映画。英国のジャーナリスト、ヨハン・ハリが2015年に発表したノンフィクション『麻薬と人間 100年の物語』を原作に、伝説のジャズシンガー、ビリー・ホリデイの波乱万丈の半生を描いた伝記サスペンス映画です。人種差別を告発する曲を歌い続けたことによりFBIに狙われる身となったビリーの愛と苦闘の日々を、本作の演技で第93回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたアンドラ・デイの主演で描き出します。
監督:リー・ダニエルズ 出演者:アンドラ・デイ(ビリー・ホリデイ)、トレヴァンテ・ローズ(ジミー・フレッチャー)、ナターシャ・リオン(タルーラ・バンクヘッド)、ギャレット・ヘドランド(ハリー・J・アンスリンガー)、ミス・ローレンス(ミス・フレディ)、ロブ・モーガン(ルイス・マッケイ)、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ(ロズリン)、エヴァン・ロス(サム・ウィリアムズ)、タイラー・ジェームズ・ウィリアムズ(レスター・ヤング)、トーン・ベル(ジョン・レヴィ)、エリック・ラレイ・ハーヴェイ(ジミー・モンロー)、ドゥサン・デュキック(ジョー・グレイザー)、アラン・ゴーレム(エド・フィッシュマン)、メルヴィン・グレッグ(ジョー・ガイ)、デイナ・グーリエ(セイディ・フェイガン)、レスリー・ジョーダン(レジナルド・ロード・ディヴァイン)ほか
映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイの予告編 動画
映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」解説
この解説記事には映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイのネタバレあらすじ:起
1957年、アメリカ・ニューヨーク。黒人ジャズシンガーのビリー・ホリデイ(アンドラ・デイ)はインタビュアーのレジナルド・ディヴァイン(レスリー・ジョーダン)の取材に応じていました。
ビリーは黒人への礼節を欠く態度を取るレジナルドに対し、自らの代表曲にして黒人差別の悲惨さを世に投げかけた楽曲『奇妙な果実(Strange Fruit)』を引き合いに出してアメリカ政府が今なお黒人の人権をないがしろにし続けていることを訴えましたーーー。
ーーー10年前の1947年。ビリーはニューヨークのクラブ「カフェ・ソサエティ」のステージに立っていました。このクラブは当時のアメリカでは非常に珍しい、黒人と白人が共存できる場所でした。ビリーに付き添うのは当時の夫ジミー・モンロー(エリック・ラレイ・ハーヴェイ)とマネージャーのジョー・グレイザー(ドゥサン・デュキック)でした。
ステージを終えたビリーに、ジミー・フレッチャー(トレヴァンテ・ローズ)という黒人の男が近付いてきました。しかし、モンローはビリーに会わせるのは権力者や富豪などに限っており、フレッチャーを門前払いしました。フレッチャーは自分と同じビリーのファンである母にこのことを話すと、母はビリーのような成功者でも黒人というだけで叩かれるという話をしました。
この時代、黒人差別を放置し続けるアメリカ政府はビリーの『奇妙な果実』が公民権運動に影響を与えることを恐れていました。当時、麻薬犯罪の厳罰化を図っていた連邦麻薬取締局のハリー・J・アンスリンガー長官(ギャレット・ヘドランド)はビリーが麻薬常習者であることに目をつけ、黒人歌手の麻薬使用を大々的に利用して自らの権利欲を満たそうと画策しました。
アンスリンガーはモンローやグレイザーに圧力をかけてビリーに『奇妙な果実』この曲を歌わせないよう画策しましたが、この曲に深い思い入れを持つビリーは歌い続ける決意を新たにしましたーーー。
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイのネタバレあらすじ:承
ーーー1957年。ビリーへのインタビューを続けるレジナルドは、ビリーはレズビアンのタルラー・バンクヘッド(ナターシャ・リオン)という女性と親密な関係があったのではないかと質問してきました。
ビリーは録音を止めさせたうえでタルラーと関係があったことを認め、彼女とホテルで密会した時に黒人だからという理由だけでホテル側からエレベーターを使うなと命じられたことを振り返りましたーーー。
ーー1947年。ビリーはフィラデルフィアのアーク劇場のステージに立ったのですが、『奇妙な果実』を歌おうとした際に劇場に警官隊や麻薬捜査官が突入し、ビリーはステージから逃げ出しました。
フレッチャーの正体は実は連邦麻薬取締局の人間でした。アンスリンガーからビリーを逮捕に導くよう厳命されていたフレッチャーはファンを装ってビリーに接近したのです。このことを知ったビリーは激怒し、フレッチャーはその剣幕に圧倒されました。
ビリーはヘロイン使用容疑で逮捕され、懲役1年と1日の判決を受けて刑務所に収監されました。ビリー逮捕に貢献したフレッチャーは黒人初の連邦捜査官に出世しましたが、ビリーの大ファンである母からフレッチャーは上層部に利用されただけであり、『奇妙な果実』を歌う勇気のある黒人は数少ないことを指摘されました。
黒人社会の向上を目指して捜査官になろうという夢を抱いていたフレッチャーは母の言葉に心を動かされ、自分がしたことはかえって黒人社会に悪影響を及ぼしたのではないかと思い悩みました。
ある時、フレッチャーはビリーのスタイリストのミス・フレディ(ミス・ローレンス)に会い、ビリーの知られざる過去について聞かされました。ビリーは10歳の時にレイプされ、親から売春するよう命じられていたのです。黒人ながらも裕福な家庭に育ったフレッチャーは、ビリーは今まで交際してきた男たちからいいように利用されてきたことを知り、彼女の壮絶な人生に思いを馳せました。
自責の念に駆られたフレッチャーは服役中のビリーと面会し、アンスリンガーはいずれまた自分を利用してビリーを弾圧しようと目論んでいると警告しました。ビリーはフレッチャーの誠実な人柄に感銘を受けました。
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイのネタバレあらすじ:転
1948年。ビリーは刑期を終えて出所しました。モンローと離婚したビリーは新たなマネージャーのエド・フィッシュマン(アラン・ゴーレム)と共に活動再開に動き、出所2ヶ月後にカーネギー・ホールで満員の大観衆を前に華々しく復活コンサートを開きました。
ビリーの復活を快く思わないアンスリンガーら連邦麻薬取締局は次の一手として、ビリーからニューヨークでの労働許可証を剥奪しました。ニューヨークで歌うことを禁じられたビリーはショービジネス界に深い人脈を持つ黒人男性ジョン・レヴィ(トーン・ベル)に助けを求めましたが、レヴィはビリーにショーを数多くこなさせると共に彼女の稼ぎをピンハネしていきました。
ビリーは多忙な日々の中でもフレッチャーと交流を重ね、フレッチャーは次第にビリーに惹かれていきました。しかし、レヴィはビリーとフレッチャーを引き離そうと目論み、アンスリンガーはレヴィに近付くとビリーを麻薬漬けにするよう命じました。一方、フレッチャーはビリーにレヴィとの繋がりを断ち切るよう助言しましたが、ビリーは仕事のためになかなかレヴィとの関わりを絶つことができずにいました。
そんなある日、レヴィはビリーに強引にヘロインを打たせようとしました。フレッチャーは阻止しようとしましたが、ビリーは突入してきた麻薬取締局に逮捕されました。フレッチャーは証言台に立って必死にビリーの無実を訴え、その甲斐あってビリーは証拠不十分で無罪放免となりました。
1949年。レヴィと決別したビリーは全米コンサートツアーを開始しました。アンスリンガーはフレッチャーに、ツアーについて回るよう命じました。
ビリーは一度断ち切ったはずの麻薬に再び手を染めており、自分を追ってきたフレッチャーにも麻薬を勧めました。言われるがままに麻薬を打ったフレッチャーに、ビリーは自らの過去を語り始めました。
ビリーは幼少期から同年代の子供らしく振る舞うことができず、売春婦をしていた母の影響でよく売春宿に出入りしていました。成長したビリーは母から売春を強要され、その時から「愛したからって愛し返されるとは限らない」との教訓を得たことを打ち明けました。フレッチャーはより一層ビリーへの想いを募らせ、やがて二人は愛し合うようになっていきました。
ビリーとフレッチャーは楽しい時間を過ごしていましたが、ビリーはなかなか麻薬を断ち切ることができませんでした。薄々二人の関係に気付いていたアンスリンガーは別の監視役を送り込みました。
やがてビリーのもとにレヴィが現れ、彼女は連れ戻されてしまいました。一方、ニューヨークに戻ったフレッチャーは自分が捜査とは関係のない管理課に左遷させられたことを知らされました。アンスリンガーは麻薬撲滅など全く考えておらず、自分の権力欲のことしか考えていないことに気付いいたフレッチャーは自分と同じく黒人の同僚に明日は我が身だと忠告しましたーーー。
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイの結末
ーーー数年後。フレッチャーはビリーとの接点が途切れ、テレビで彼女の姿を見る程度になっていました。一方のビリーは新恋人のルイス・マッケイ(ロブ・モーガン)と交際していましたが、ルイスは既婚者だったために結婚には至りませんでした。
ビリーは欧州ツアーを大成功させるなど仕事は順調でしたが、その一方で麻薬を断ち切ることができず、その度に逮捕されては証拠不十分で釈放される日々を送っていましたーーー。
ーーー1957年。レジナルドのビリーへのインタビューは続いていました。ビリーはフレッチャーが自分の力になってくれていたことを明かし、アメリカ政府は自分の破滅を狙っていると語りました。レジナルドは歌うのをやめれば人生はもっと楽に生きられると声をかけましたが、ビリーにとっては歌は人生そのものでした。
やがてビリーは長年の麻薬と酒の影響ですっかり身体を蝕まれ、肝硬変を発症して病院に入院しました。フレッチャーは見舞いに訪れてビリーに愛を伝え、未だにビリーを目の仇にし続けているアンスリンガーに対しては逆境を克服して成功したビリーのことが憎いのかと問いかけました。
フレッチャーは病と闘いながら音楽活動を続けるビリーを支え続けていましたが、アンスリンガーはなおもビリーへの攻撃を続けました。ビリーはそんなアンスリンガーのやり方には一切屈せず、自分の後の世代になっても『奇妙な果実』は歌い継がれるのだと胸を張りました。
1959年7月21日、ビリー・ホリデイは44歳の若さで波乱に満ちた生涯を終えました。麻薬取締局はビリーが死してなおも追及を止めず、アンスリンガーは70歳で引退するまで麻薬取締局長官の座に居座り続けました。フレッチャーはアンスリンガーのために捜査協力したことを生涯後悔し続けました。
ビリーの『奇妙な果実』は1978年にグラミー殿堂賞に選ばれました。2020年2月にビリーが『奇妙な果実』で訴え続けた反リンチ法がアメリカの上院で審議されましたが、未だにこの法案は通過していないままです…。
以上、映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」のあらすじと結末でした。
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