八月の鯨の紹介:1987年アメリカ映画。アメリカのメイン州にある小さな島。年老いた姉のリビーと妹のセーラは毎年夏の間にセーラの別荘で過ごす。入江には毎年8月になると鯨がやって来る。2人は幼なじみのティシャと一緒に鯨を見に行っていたが、それはもうすでに遠い昔の思い出になっている。そんな2人の姉妹が肩を寄せ合いながらひと夏を過ごしていく様子が淡々と描かれていく。
監督:リンゼイ・アンダーソン 出演:リリアン・ギッシュ(セーラ・ウェバー)、ベティ・デイヴィス(リビー・ストロング)、ヴィンセント・プライス(ミスター・マラノフ)、アン・サザーン(ティシャ)、ハリー・ケリー・ジュニア(ジョシュア)他
映画「八月の鯨」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「八月の鯨」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「八月の鯨」解説
この解説記事には映画「八月の鯨」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
八月の鯨のネタバレあらすじ:起
アメリカのメイン州にある小さな島。その島にある別荘で姉のリビーと妹のセーラは毎年夏を過ごしています。毎年8月になると入江にやって来る鯨を幼なじみのティシャと一緒に見に行っていましたが、それがもう今では遠い昔の思い出になっています。かつては裕福だったリビーは若くして夫を第一次世界大戦で亡くし、未亡人となった妹セーラの生活を助けたことがありました。そんなリビーも夫が亡くなり、今では目が不自由になっています。彼女はわがままになって、トゲのある言葉が口から出てくるようになっています。誰かに頼ることで生きている自分に腹を立てています。そんな姉のリビーは、家事をこなし、庭で絵筆を執る妹のセーラを用がないにもかかわらず1日中呼び立てています。「別荘に大きい見晴らしの良い窓を作ろう」と言うセーラの提案に決して首を縦には振らないでいます。
八月の鯨のネタバレあらすじ:承
ある日の午後、年老いた大工のジョシュアが別荘の修理に訪れて、陽気なティシャがお茶を飲みに訪れていました。別荘の近くに住む元ロシア貴族のマラノフが釣り上げた魚を届けに来ます。年老いた者同士がお互いをいたわり合う会話にリビーは決して加わることはなく、ジョシュアやティシャ、そしてマラノフと会話をしているセーラにいら立つだけでした。セーラは魚をくれたお礼にと、マラノフを夕食に招待します。リビーは反対しますが、セーラはドレスに着替えて、盛装してきたマラノフを迎えます。彼は摘んできた花を捧げて、セーラに賛辞を送ります。セーラとマラノフは昔話に花を咲かせて、時間が過ぎていくのも忘れます。しかし、マラノフが流浪の人生を送ってきたことを理由にリビーは彼に警戒心を抱き、傷つけてしまいます。マラノフは夜の海に光り輝く月に別れを告げ、リビーとセーラの別荘から去っていきます。
八月の鯨のネタバレあらすじ:転
マラノフが去った後、亡くなった夫の写真を前にセーラは1人でグラスにワインを注ぎます。2人の46回目の結婚記念日を祝います。わがままになっている姉のリビーと生活していくことに自信をなくしています。セーラは夫が写る写真に向かって「あなたが生きていてくれたら」とつぶやくのです。
八月の鯨の結末
次の日の朝、セーラは今年の冬は島で自分1人で過ごすつもりだと姉のリビーに言います。そこに突然、陽気なティシャがなんと不動産業者を連れてやってきたのです。ティシャはセーラに「この別荘を売って、私と一緒に住みましょうよ」と言うのです。ですが、セーラはティシャが連れてきた不動産業者を追い返すのです。置き忘れてしまった道具を取りに来たジョシュアにリビーが「見晴らし窓を作ることに決めたわ」と言います。その言葉にセーラはほほ笑みます。リビーとセーラはお互いに手を取り合って岬へゆっくりと歩いていきます。鯨を見ることは今日もできませんでしたが、いつまでも2人は海を眺めていたのです。
以上、映画『八月の鯨』のあらすじと結末でした。
“人生の黄昏を迎えた5人の男女のささやかな日常を、微妙な心理描写と共にキメ細やかに映し出した詩情溢れる人生ドラマの秀作「八月の鯨」”
ハリウッドの映画史の中で燦然と輝くリリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスという二大女優共演という、我々映画ファンにとっては、眩暈がしてしまいそうな凄い顔合わせの映画、それがこの「八月の鯨」です。
海辺の別荘に暮らす老姉妹の話で、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスの他に、ヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリーJR.といった往年のハリウッドのスターも登場する、平均年齢79歳という凄い映画なのです。
なおかつ、91歳のリリアン・ギッシュが79歳のベティ・デイヴィスの妹役を演じてしまうのにも驚かされます。
特にリリアン・ギッシュは、1896年の生まれで、この映画に出演時91歳で、映画創生期の大監督D・W・グリフィスの作品に連続出演し、この映画の公開時も現役という、奇跡の大女優なのです。まさに、存在そのものが”歩く映画史”とも言えるのです。
この映画自体のストーリーはなんという事もありません。
堅実で、心優しいサラ(リリアン・ギッシュ)と、意固地で我儘な盲目の姉リビー(ベティ・デイヴィス)と、その隣人たちを巡る一日半のドラマ。
忍び寄る”死”とどう向き合うかが、さりげなく、デリケートに、時にユーモアをたたえながら、淡々と描かれていきます—-。
やはり、常に”死”というものの観念を心の片隅に宿して生きている人間にとって、この映画の中に散りばめられたセリフの幾つかが、しみじみと胸にしみ、目頭が熱くなるのを禁じ得ないのです。
老女サラは、若くして夫を戦争で失っていて、彼女は深夜ひとりで、何十回目かの結婚記念日を祝うのです。
ブルーのドレスでおめかしして、テーブルに亡夫フィリップの写真を置き、キャンドルと赤白一輪ずつのバラの花を飾ります。そして、想い出の古いレコードをかけ、赤ワインをゆっくりと味わうのです—-。
そして、サラはバラの花を見つめながら、つぶやきます。「赤は情熱。白は真実。人生に大切なのはこの二つだわ」と—-。
こういうセリフは、他の人が言ったら白々しくなりがちですが、リリアン・ギッシュが言うと凄い説得力があるから不思議です。本当にその通りだと思います。
情熱と真実を求める気持ちを、人生の最後の日まで持ち続けたいと切に思います。
そして、ある夜、サラは隣に住むロシア移民のマラノフ氏を夕食に招待します。
久し振りに口もとに口紅をさし、よそ行きのワンピースを着て、マラノフ氏を迎えるサラ。
彼女は彼に、八月になると水平線に姿を現わす鯨の話をするのです。今年もまた、鯨の来訪を待ちわびているのだと—-。
年老いてもなお、明日を信じて前向きに生きようとするサラ。
生ある事の素晴らしさを、死の瞬間まで夢と希望を胸に生きる事の大切さを、あらためて考えさせてくれます。
そして、ラストシーンも実に感動的で、生きる姿勢において対照的な姉妹が、それでも最後には人生と死と前向きに力強く向き合ってゆこうという気持ち(海に出現する鯨はその象徴なのです)を確かめ合うのです。
そして、肩を抱き合った老姉妹の姿は、まるで初々しい少女のような気さえしてきます。