ワルキューレの紹介:2008年アメリカ/ドイツ映画。ドイツがナチスの統治下にあった頃、ドイツの将来を想い、残虐を繰り返すヒトラー政権を潰して新しい政権を立ち上げようと計画した将校達の物語です。将校達が「ワルキューレ作戦」を企ててから間も無く、ドイツは敗戦により形は違うものの時をそれほど待たずして新しい国に生まれ変わり、彼らの想いは少なからず通じたとも言えます。絶対的統治下にあった中で反逆を企てようとするため、計画の遂行はとても大変で手に汗を握る展開です。クーデターを試みた将校達の苦悩を重点的に描いています。
監督:ブライアン・シンガー 出演:トム・クルーズ(クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐)、ケネス・ブラナー(ヘニング・フォン・トレストム・クルーズコウ少将)、カリス・ファン・ハウテン(ニーナ・フォン・シュタウフェンベルク)、ビル・ナイ(フリードリヒ・オルブリヒト大将)、ジェイミー・パーカー(ヴェルナー・フォン・ヘフテン)、ほか
映画「ワルキューレ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ワルキューレ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ワルキューレ」解説
この解説記事には映画「ワルキューレ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ワルキューレのネタバレあらすじ:起・大佐の苦悩
ナチス配下のドイツは、アメリカを筆頭とする連合国軍の攻撃を受けて連戦連敗が続いていました。シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)は、アフリカに遠征時、連合国軍に敗戦し、左目と体の一部を失ってしまいます。
シュタウフェンベルク大佐はヒトラーに忠誠を誓った身ですが、これまでのナチス政権が行なった数々の残虐行為を憂い、このままではドイツが駄目になると考えます。
シュタウフェンベルク大佐は手術が成功し、元気な体に戻りますが、今のドイツを変えなければならないと強く思います。
ワルキューレのネタバレあらすじ:承・レジスタンスへ
シュタウフェンベルク大佐は同じ同士を探すため、オルブリヒト将軍(ビル・ナイ)を訪ねます。彼はシュタウフェンベルク大佐を反ヒトラー派であるレジスタンスの仲間に引き入れます。
レジスタンスの構成員は皆、今のヒトラー政権に不満と怒りを持っていましたが、それぞれの立場を持っており、具体的な革命の手法が見つかりません。せっかく気持ちが固まったものの、行動に移せないことにシュタウフェンベルク大佐は落胆します。
久しぶりに家族と穏やかに過ごしていた夜に空襲に遭います。空襲に遭う前に聞いたワーグナーの音楽で「ワルキューレ作戦」を思い付きます。
ワルキューレのネタバレあらすじ:転・ワルキューレ作戦
ワルキューレ作戦とは、ヒトラーが死亡した際、国内の予備軍をすぐに沿岸や空に配備し、ドイツを守るというものでした。そこから発展して考えて、ドイツ国内の内乱鎮圧に予備軍を使うというものでした。
ヒトラーを暗殺したら手早くベルリンを抑えて制圧し、新しい政権を樹立しようというものでした。
このワルキューレ作戦のプランを、ヒトラーには改竄したものを見せてサインを貰い、作戦の発動権のあるフロム司令官を味方につけようとします。
事は順調に運び、1回目の挑戦をしますがヒトラーが不在で暗殺できず、失敗します。
ワルキューレの結末:革命失敗
チャンスはまた訪れ、ワルキューレ作戦2回目の挑戦となります。シュタウフェンベル大佐は、ヒトラーとの会議に小型爆弾の入った鞄を持参し、会議で鞄だけを残して自分は去り、爆発させようとします。
暑さで計画していた会議室が変更になりますが、予定通り鞄を置いて爆発させることに成功します。シュタウフェンベルク大佐爆発ヒトラー暗殺に成功したと確信します。
レジスタンスのリーダーに報告しますが、リーダーは爆発に怖気づいてなかなか「ワルキューレ作戦」を決行しません。レジスタンスの中でも意見の相違、情報の錯綜がありベルリンは混乱します。
シュタウフェンベルク大佐は判断の遅いレジスタンスの上司に失望しながらも、ベルリン制圧に動きますが、行動が遅かった上、実はヒトラーは爆発では死んでおらず生き残ったため、瞬く間にレジスタンス構成員は身柄を拘束されていきます。
シュタウフェンベルク大佐も拘束され、ついには銃殺刑となります。彼は家族のこと、そしてドイツの将来のことを想い死んでいきます。
しかし歴史が物語るように、ドイツは大戦に敗れ、時間をかけながら平和なドイツを取り戻します。
以上、映画「ワルキューレ」のあらすじと結末でした。
ナチス体制のドイツ、しかも体制内に反ヒトラーの運動と抵抗があったんですね。
これまでにもエピソード的には描かれている、ヒトラー暗殺計画の屈折した詳細を描いたのが、このブライアン・シンガー監督の「ワルキューレ」ですね。
ユダヤ人としてのブライアン・シンガー監督の半端でないこだわり。
軍人役も大好きなトム・クルーズほか、テレンス・スタンプ、ビル・ナイ、トム・ウィルキンソンらが渋い演技を見せている。
「ネコのミヌース」では、可愛かったカリス・ファン・ハウテンは、すでに大女優の風格があります。
そして、反ヒトラーの少将役で、ケネス・ブラナーの姿もある。
「ヒトラー~最期の12日間~」あたりから、ヒトラーのナチス体制が一枚岩ではなく、内部に抵抗運動があったという事が、肯定的に描かれるようになった。
ヒトラーを単なる”狂気の悪役”としてではなく、もっと歴史と権力のコンテキストの中で、ナチズムを見る方向が出てきたように思う。
しかし、この種の映画は、どのみちヒトラーに代わる新しい権力、たとえヒトラーよりは民主的なものであれ、それを打ち立てようとする限り、所詮は”権力への意志”に支配された動きであって、権力そのものを乗り越えようとすることとは無縁なのだ。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「地獄に堕ちた勇者ども」は、ナチズムが単なる一過的な狂気の産物ではなく、技術と巨大な権力を志向する時には、必ず生まれる症候群として捉え、同時に、その絶望的なまでの頽廃がもたらす、終末の美から、我々が逃れる事ができるかどうかという、試練の中に連れ込んだのだった。
恐らく、ナチズムを乗り越えるには、そういう試練なしには不可能だろう。
単なる、悪の権力に対抗して、それを倒すというだけでは、結局、新たな、今度はそれまでの支配をよりソフトにしただけの支配を生むだけなのだ。
その意味で、この「ワルキューレ」は、トム・クルーズがそのプロデュースにも関わり、セット・デコレーションや衣装に膨大な金を注ぎ込み、実際に美術的には見応えのある、贅沢なセットを作りあげたが、ナチズムそのものの理解と批判においては、非常に底が浅いような気がします。
この作品は、サスペンス映画としては一級品だが、贅沢なポリティカル・サスペンスの域を脱していない。
トム・クルーズ演じるシュタウフェンベルク大佐らのヒトラー暗殺計画は、失敗するわけだから、この映画は結果として、単なる教科書的な歴史の学習か、ヒトラーの悪運の強さの確認、歴史のアイロニーといった事しか得られないのだと思います。