暗くなるまで待っての紹介:1967年アメリカ映画。1966年にブロードウェイで上演された舞台『Wait Until Dark』をオードリー・ヘプバーン主演で映画化したサスペンス作品です。オードリー演じる盲目の女性が、夫が知らずに持ち帰ったヘロイン入りの人形のせいで三人組の犯罪者に狙われていく恐怖を描きます。
監督:テレンス・ヤング 出演者:オードリー・ヘプバーン(スージー・ヘンドリクス)、アラン・アーキン(ハリー・ロート)、リチャード・クレンナ(マイク・トールマン)、エフレム・ジンバリスト・Jr(サム・ヘンドリクス)、ジャック・ウェストン(カルリーノ)、サマンサ・ジョーンズ(リサ)、ジュリー・ハロッド(グロリア)ほか
映画「暗くなるまで待って」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「暗くなるまで待って」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
暗くなるまで待っての予告編 動画
映画「暗くなるまで待って」解説
この解説記事には映画「暗くなるまで待って」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
暗くなるまで待ってのネタバレあらすじ:起
カナダからニューヨークの空港に帰り着いた写真家のサム・ヘンドリクス(エフレム・ジンバリスト・Jr)は、飛行機で知り合った見知らぬ女性リサ(サマンサ・ジョーンズ)から1体の人形を預けられました。
実はリサの正体は詐欺師であり、人形にはリサが犯罪グループから独り占めしようと奪ったヘロインが隠されていました。サムはそうとも知らずに人形を自宅アパートまで持ち帰りました。
犯罪グループのリーダーであるハリー・ロート(アラン・アーキン)は裏切ったリサを殺し、仲間のマイク・トールマン(リチャード・クレンナ)やカルリーノ(ジャック・ウェストン)と共にサムのアパートから人形を盗み出すことにしました。
翌日。サムは仕事に出かけ、アパートには交通事故で視力を失ったサムの妻スージー(オードリー・ヘプバーン)が留守番していました。ロートら三人はスージーに探りを入れようとした時、サムが消し忘れていた煙草の吸殻が燃え出し、マイクはサムの軍隊時代の友人になりすまして火を消しました。
そこにスージーの身の回りの世話をしてくれているアパートの住民の少女グロリア(ジュリー・ハロッド)が訪れ、マイクはその場から立ち去りました。
暗くなるまで待ってのネタバレあらすじ:承
スージーはグロリアに買い物を頼みました。その直後、老人に扮したロートが現れ、サムは息子の嫁と不倫していると言いがかりをつけながら部屋を物色し始めました。スージーが突然のことに動揺していると、荷物を忘れたというマイクが元刑事の経歴を持つカルリーノをつれて戻ってきました。
マイクをすっかり信頼していたスージーは刑事役のカルリーノに事情を説明していると、警察に扮したロートが電話を入れてスージーを安心させました。
カルリーノが去った後、今度は老人の息子に扮したロートが現れ、サムが嫁と不倫したというのは父の人違いだったことを詫びてきました。ロート扮する息子は嫁が不倫相手からもらったという人形を持って家出したことを伝え、マイクはブラインド越しに外のカルリーノに合図を送りました。
カルリーノはスージーの部屋に電話をかけ、電話に出たロートはあたかも嫁が殺されたかのように装い、部屋から去っていきました。スージーは状況からサムが嫁の殺人犯として疑われるのではないかと懸念し、サムがカナダからある人形を持ち帰ってきたことをマイクに伝えました。
人形を探し始めたスージーは、夕陽が沈んでいるのにも関わらずブラインドがカチャカチャと動かされている音とその直後に電話がかかってきたこと、ロート扮する老人と息子の靴の音が全く同じだったことなどに気付きました。それを聞いたマイクはスージーの洞察力の鋭さに驚き、後をカルリーノに任せて一旦出直すことにしました。
暗くなるまで待ってのネタバレあらすじ:転
人形は実はグロリアが買い物の際にこそっと持ち出していました。スージーは人形を戻しに来たグロリアに、通りに停めてあるとマイクが言っていたパトカーを確認させたところ、停まっていたのはパトカーではなくバンであることがわかりました。
スージーが人形を洗濯機の中に隠し、グロリアにバンの近くにある公衆電話を監視させようとしたところ、そこにカルリーノがやってきました。グロリアはスージーの機転で部屋から抜け出し、マイクがバンの近くの公衆電話から電話をかけようとしているのを目撃しました。
カルリーノはスージーに人形を渡すよう迫りましたが、スージーはシラを切り通しました。カルリーノが引き上げた後、スージーはマイクに電話をかけて人形が見つかったことを知らせましたが、グロリアの合図によりマイクも人形を奪おうとする者たちの一味であることに気付きました。
スージーは人形をゴミ箱に隠し、警察に通報しようとしましたが、そこにマイクが現れてスージーに人形を渡すよう迫りました。ロートとカルリーノも部屋に現れ、スージーは人形はサムの仕事場にあるはずだと嘘をつきました。三人が引き上げた後、スージーはグロリアを呼び出し、サムの元へと向かわせました。
暗くなるまで待っての結末
スージーは電話回線が断ち切られていることに気付き、恐怖のあまり怯えました。しかし、スージーは一転してロート一味に立ち向かう決意を固め、部屋の照明を消して暗闇の中で一味と対峙することにしました。
スージーの部屋にマイクが現れました。マイクは正体がバレたことでカルリーノと共謀してロートを殺したと告げましたが、実はロートは生きていました。カルリーノを殺したロートは部屋に現れ、マイクを刺し殺しました。
部屋に入ったロートはガソリンを撒き、改めてスージーに人形を渡すよう脅しました。スージーは部屋が真っ暗であることを利用してロートにガソリンを浴びせ、その隙に逃げ出そうとしましたが、ロートは機転を利かせて冷蔵庫を開け、その光を利用してスージーを捕らえました。
スージーはやむなく人形を渡し、ロートはその中からお目当てのヘロインを取り出しましたが、スージーは隠し持っていたナイフでロートを刺しました。スージーは部屋から脱出しようとしましたが、ロートは最後の力を振り絞ってスージーに襲い掛かりました。
そこにグロリアからの知らせを受けたサムが警官と共に駆け付け、スージーは無事救い出されました。スージーはグロリアに感謝し、サムと固く抱き合いました。
以上、映画「暗くなるまで待って」のあらすじと結末でした。
テレンス・ヤング監督の「暗くなるまで待って」を久しぶりに観たら、かつて観た時より面白かったですね。
もともと芝居だった作品で、舞台がほぼアパートの中だけに限定され、緻密な脚本の妙と役者の演技で魅せる渋いサスペンスものですよね。
ハリウッド製の派手なスリラーに比べると地味に思えるかも知れないが、精密に計算し尽くされた脚本は、お見事の一言。
だんだんと緊張感が高まっていき、最後には息をつかせぬ迫力で、我々観る者を釘付けにする。
CGもエロもグロも血みどろもなし。
これこそ美しき職人技だなと思います。
主人公のスージーは盲目で、彼女の夫が麻薬入りの人形をたまたま預かってしまうことから、ギャングたちの抗争に巻き込まれてしまう。
要するに、彼女のアパート内に貴重な麻薬入りの人形があり、それを手に入れたいギャングたちが、あの手この手でスージーを騙すというお話なんですね。
スージーを演じるのはオードリー・ヘプバーン、彼女を騙そうとするこわもてのギャングたちは三人。
スージーの夫は、最初と最後に出てくるだけで、彼女の力にはなれない。
彼女のヘルパーになるのは、小さな女の子一人だけ。
まず最初に、盲目のスージーの無力さが強く印象づけられる。
すぐ目の前に落ちているものを拾うことさえできず、灰皿の中で紙がくすぶっているだけでパニックになり、警察に電話して「部屋の中で何かが燃えてる! 助けて!」と叫ばなければならない。
あまりにもか弱い存在だ。それからおもむろに、このスージーを脅すためにアブナイ男三人が登場する。
この三人の使い方も実にうまい。
ロートとトールマンとカーリノの三人だが、最初はトールマンがメインになってスージーに接し、ロートは脇に回る。
トールマンは、ギャングの一味だが、どこか侠気がある男で、実際にスージーの立場に同情し、手を引こうとする。
すると不気味で残酷な男ロートが前面に踊り出して、終盤の容赦ない恐怖を盛り上げていく。
ラストのロート対スージーの対決は、様々なアイディアを盛り込んだ直接的なアクションで見せるが、前半のトールマン対スージーは心理戦だ。
トールマンの嘘にあっさりと騙されてしまうスージーだが、その後で少女グローリーとの連携がうまく活用される。
あの「電話のベルを二度鳴らす」という仕掛けで、スージーが真相に気づくくだりは、非常に巧いと思います。
そして、有名なあのラスト。絶対絶命を悟ったスージーは、無我夢中でアパート中の電灯を壊して回る。
暗闇が、彼女を守る最後の砦となるのだ。
アメリカでこの映画が上映された時、このシーンでは、映画館中の電灯が消え、実際に客席が真っ暗闇になったそうだ。
心憎い趣向である。そういう状態でこの映画を観たら迫力は倍増だろう。
冷酷な殺し屋ロートが、盲目のスージーを容赦なく襲うクライマックスに盛り込まれた、サスペンスを盛り上げるためのアイディアの量は、半端ないものがある。
マッチとガソリン、ステッキ、そして冷蔵庫。
あらゆる小道具大道具が、驚くべき展開を担う。
そして、追い詰められるスージーの絶望の演技と、名優アラン・アーキン演じるロートのサディスティックな凄み。
今観るとそこまで強烈なことは何もしていないにもかかわらず、もの凄く、非常に残虐でサディスティックな印象を醸し出す。
もちろん、それは華奢なヘプバーンの恐怖に打ち震える演技の見事さにもよるものだが、それまでの伏線がガッチリ効いているからでもある。
リアリティという意味で言えば、ギャング三人が盲目の女性一人を相手に、あそこまで手の込んだ芝居を打つだろうかとか、スージーがああまで懸命に人形を守る理由がないなど、突っ込みどころはあるが、これはリアルな犯罪映画というより、パズラーに近い人工的なエンターテインメントなんですね。
緻密な設定と伏線が、ジグソーパズルのように噛み合って、サスペンスを醸成する、知的遊戯なのだと思います。
そういう意味において、これは精緻な脚本と演出によって、職人的に作りこまれた、見事に知的なサスペンス映画の傑作であると思います。