21グラムの紹介:2003年アメリカ映画。1人の男が起こした事故がきっかけで、出会うはずのなかった3人が絡み合い、時間軸が交差しながら展開する衝撃の作品。
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 出演: ナオミ・ワッツ(クリスティーナ)、ショーン・ペン(ポール)、ベニチオ・デル・トロ(ジャック)、シャルロット・ゲンスブール(メアリー)、メリッサ・レオ(マリアンヌ)
映画「21グラム」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「21グラム」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「21グラム」解説
この解説記事には映画「21グラム」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
21グラムのネタバレあらすじ:起◇3人の人生
クリスティーナの夫は2人の子供とレストランにいました。ジャックは、男の子に盗みをするな、と言い、自分のトラックは神からのプレゼントだ、と言います。ポールは病院で管につながれていました。ポールの妻・メアリーは病院で、卵管に問題があり、中絶経験があるか、医者に聞かれます。ポ―ルが死ぬ前に子供が欲しい、と言います。ジャックは刑務所へ収監されます。クリスティーナはプールで泳ぎ、家に帰りました。ポールは退院し、帰宅していました。チューブを外し、タバコを吸っているところをメアリーに見つかり、非難されます。ポールは血だらけで倒れていました。側には泣くクリスティーナとジャックがいます。ジャックはゴルフ場で働いていましたが、入れ墨が原因で解雇されました。クリスティーナはポールと車でジャックを偵察に行きます。クリスティーナはジャックを殺してやりたいと言います。ジャックは家に帰り、解雇されたことを言い、息子をぶちます。メアリーは不妊治療がしたい、とポールに協力を頼みます。ポールはクリスティーナを尾行していました。
21グラムのネタバレあらすじ:承◇事故と心臓移植
クリスティーナは夫から「今から帰る」と電話をもらいます。ポールとメアリーは不妊治療の病院で精子を採取することになりました。クリスティーナは病院へ駆け込み、事故にあった家族を探します。ジャックは自分の誕生日パーティーの日に遅れて帰宅し、妻のマリアンヌに「男と少女2人をはねた」と告白します。ジャックは車に血だらけのポ―ルとクリスティーナを乗せて暴走しています。ポールは心臓移植に成功しました。心臓のドナーを知りたがります。クリスティーナは医者から報告を受け、娘二人は死亡し、夫は危険な状態と知らされます。ポールはプールで泳ぐクリスティーナを見つめていました。ポールは就寝中に、心臓移植のドナーが現れた、と連絡をもらい、緊急手術することになります。ジャックはマリアンヌから、男と少女2人が死んだと聞き、出頭しようとします。ポールは手術が無事に終わり、回復祝いをしています。メアリーが人工授精をする、と皆の前で発表します。ポールは、何でみんなの前で子供のことを言うのか、メアリーを責めます。クリスティーナは、事故を起こしたジャックを告訴しないと言います。ポールは、自分の心臓ドナーを探し出し、死因を聞きます。
21グラムのネタバレあらすじ:転◇クリスティーナに接近
ポールは病院で、妻メアリーの不妊手術の説明を受け、その時に中絶のことを知ります。過去に別居経験もあり、ポールは二人はもうだめだ、と言います。ジャックは刑務所で自殺未遂をしました。クリスティーナは酒場で薬をもらい、酔っぱらって車を運転できません。ポールが助け、車で家まで送ります。彼はジャックのことも調べ、拳銃を手に入れていました。クリスティーナはスポーツクラブでタクシー待ちをしていました。ポールは彼女に声をかけ、車で家まで送り、ランチに誘います。ジャックは出所しました。ポールは病院へ行き、拒絶反応が出ていると言われます。今の心臓はそのうち動かなくなり、また心臓移植をしなければならない、と言われます。ポールは病院の外で死にたい、と伝えます。クリスティーナとポールはランチをしました。モーテルで、ポールはタバコをふかし、クリスティーナはベットで寝ています。モーテルからジャックが出てきたところを、ポールが拳銃を向けて、歩かせます。ひざまずかせて、撃ちます。ジャックは事故に対して、ずっと自責の念を感じていました。ランチの後にクリスティーナの家まで送ったポールは、去り際に好きだ、と言います。しかしクリスティーナは「結婚している」と言って、断ったのでした。ジャックは教会で懺悔します。ある夜、ポールはクリスティーナから電話をもらい、今すぐ来てくれ、と言われます。横で寝ていたメアリーはポールを責めます。しかしポールは家を出ました。ジャックが車で病院へ向かいます。ポールは胸を撃たれ、血だらけです。クリスティーンの家に行ったポールは、彼女から「頭から離れない。なぜ好きというのか?」と言われます。そこで、ポールはクリスティーナの夫から心臓をもらったことを告白します。彼女は怒ってポールを家から追い出します。翌朝、彼女の家の前に車を停めていたポールのところに、クリスティーナがやってきて、話をします。夫は命の恩人だといい、誰の心臓だったのか知りたかったと伝えます。
21グラムの結末◇21gは何の重さか?
ジャックは家出をします。ポールは病院で輸血が必要になりました。ポ―ルはクリスティーナの家で、薬物を見つけます。メアリーはポールの家を出ていく準備をしていました。それでも、人工授精をしたい、と言います。クリスティーナは事故現場にいた庭師に会いに行きます。ポールは薬を止めるよう、クリスティーナに言います。彼女は、娘の1人はすぐに病院に運んでいれば生きていたはず、と言い、ジャックを殺してやりたい、仇をとって、とポールに頼みます。ポールはジャックの周りに発砲し、何で少女を置き去りにしたのか責めます。そしてジャックに二度とモーテルに戻るな、と言います。クリスティーナは輸血に適合しませんでした。薬物を摂取していたからです。ただ、ポールの子供を妊娠していることを知ります。ポールはモーテルの部屋に戻り、クリスティーナにジャックを殺した、と言います。その夜、ジャックが部屋に入ってきます。ポールが銃口をジャックに向けるも、クリスティーナがジャックを殴りつづけます。ポールは自分を撃ちます。死ぬ瞬間、人間の体重は21g減るそうです。これは何の重さなのか?ポールは病院で死にました。
以上、21g のあらすじと結末でした。
「21グラム」感想・レビュー
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【カミもたまにはサイコロを振る!】━━ 鬼才イニャリトゥの原点/哲学 ……
この作品の解釈によると「21グラム」とは、パラレルな視点/神の視点と言うことになる。
もっとわかりやすく言えば、「複数の視点」や「立場」から物事を捉えて
それらを並行して考慮すると言う「スタンスのこと」である。
「全ての人々」が死を迎える時に「21グラム」だけ軽くなるというのは、どう考えても「神の視点」以外のなにものでもない。
更に突っ込んで言うと「神の視点」は、「三人称視点」と言うことが出来る。
「文化人類学者」の「岩田慶治教授」に倣って「神」ではなく、ここでは「カミ」と記すべきなのかも知れれないが ……
この映画の中の3人(ペン・ワッツ・デル=トロ)は、其々が「全く別の人生」「別の時間軸の住人」であった。
しかし、お互いの登り口(スタートライン)は異なっていても、この3人は偶然にも「同じ山を登ってしまった」のである。…「これが不幸の始りか?」
だから彼等は期せずして山の頂上付近でバッタリと顔を合わせる/出逢うことになったのだ。
私はいま「3人は偶然にも…」と言ったが、これを仏教的な視点で言うと…
正確には偶然ではなくて、これは「因・縁・果 の道理」ということになる。
つまり偶然のように見えているだけで、実際には「必然的な法則」が働いているとみるべきだろう。
これはトランプを使ったカードマジックと同じく、自分の自由意志で選んだのではく…
何者かによって「選ばされた」結果とみるべきなのだ。
だが決してこれらは「特定の神」(一神教の神)が関与したわけではない。 つまりこれは
より「普遍的」で「ユニバーサルなカミ」が回したルーレットによって全てが動いているということなのだ。
事故で家族を失った方も、事故を起こして死なせてしまった方も…「被害者」も「加害者」も
全ての者が「カミ」が回した「ルーレットの出目」によって必然的に動かされていたのである。
この辺りの「解釈」はキリスト教的な世界観では「限界」があり「誤解」を生むことになりかねない。
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」などと言う風な誤解「愚の骨頂」…… 。
このことは我々日本人のように「仏教的な観点」…とりわけ「密教的視点」を通せば容易に理解されるであろう… 。
つまりこれらは、統括性:すなわち「森羅万象」は「根源的な宇宙の働き」(法則性)によって動かされている。
だから私は、この映画を通して、イニャリトゥが「キリスト教的世界観の限界」を提示していると解釈するのである。
映画「21グラム」の中では頻繫に「キリスト教の概念」や「教義」が引用されている。
もっと「ハッキリと言えば」…「キリスト教の神」がこの映画の「モチーフ/主題」となっている。
ジャック(デル=トロ)は神に仕えようとするが、神の手から滑り落ちていく ……
ジャック(デル=トロ)はそこで、激しく「葛藤」する「クオバディス/俺は何処へ行くのか…?」
神は何故オレを選んだのか…「ナゼ俺でなくてはならなかったのか!」…神の意志とは何ぞや…?
この不幸な「事故は故意に起こされたものではい」… そのことを知っているから…
ポール(ペン)は、ジャック(デル=トロ)を敢えて「射殺しなかった」のである。
被害者の「死んだ親子3人」と「残された妻」には酷だが、加害者の男もまた被害者でもあるという…
この物語はどこまでも「悲惨な現実」を突き付けてくる「救いのない映画」となっている。
だからペンもワッツもデル=トロも3人が3人共に「狂おしく」もあり「痛々しく」もあるのだ。
クリエイターのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「編集が神の領域に達していて」実に見事であった。
また俳優女優共に要所要所に「クセモノを配している」ので見応えも充分なのである。
「21グラム」「バベル」「バードマン」… と続くイニャリトゥの系譜の「原点」がここにある。
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【カミもたまにはサイコロを振る!】━━ 鬼才イニャリトゥの原点/哲学 ……
この作品の解釈によると「21グラム」とは、パラレルな視点/神の視点と言うことになる。
もっとわかりやすく言えば、「複数の視点」や「立場」から物事を捉えて
それらを並行して考慮すると言う「スタンスのこと」である。
「全ての人々」が死を迎える時に「21グラム」だけ軽くなるというのは、どう考えても「神の視点」以外のなにものでもない。
更に突っ込んで言うと「神の視点」は、「三人称視点」と言うことが出来る。
「文化人類学者」の「岩田慶治教授」に倣って「神」ではなく、ここでは「カミ」と記すべきなのかも知れれないが ……
この映画の中の3人(ペン・ワッツ・デル=トロ)は、其々が「全く別の人生」「別の時間軸の住人」であった。
しかし、お互いの登り口(スタートライン)は異なっていても、この3人は偶然にも「同じ山を登ってしまった」のである。…「これが不幸の始りか?」
だから彼等は期せずして山の頂上付近でバッタリと顔を合わせる/出逢うことになったのだ。
私はいま「3人は偶然にも…」と言ったが、これを仏教的な視点で言うと…
正確には偶然ではなくて、これは「因・縁・果 の道理」ということになる。
つまり偶然のように見えているだけで、実際には「必然的な法則」が働いているとみるべきだろう。
これはトランプを使ったカードマジックと同じく、自分の自由意志で選んだのではく…
何者かによって「選ばされた」結果とみるべきなのだ。〈ミスディレクション〉
だが決してこれらは「特定の神」(一神教の神)が関与したわけではない。 つまりこれは
より「普遍的」で「ユニバーサルなカミ」が回したルーレットによって全てが動いているということなのだ。
事故で家族を失った方も、事故を起こして死なせてしまった方も…「被害者」も「加害者」も
全ての者が「カミ」が回した「ルーレットの出目」によって必然的に動かされていたのである。
この辺りの「解釈」はキリスト教的な世界観では「限界」があり「誤解」を生むことになりかねない。
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」などと言う風な誤解「愚の骨頂」…… 。
このことは我々日本人のように「仏教的な観点」…とりわけ「密教的視点」を通せば容易に理解されるであろう… 。
つまりこれらは、統括性:すなわち「森羅万象」は「根源的な宇宙の働き」(法則性)によって動かされている。
だから私は、この映画を通して、イニャリトゥが「キリスト教的世界観の限界」を提示していると解釈するのである。
映画「21グラム」の中では頻繫に「キリスト教の概念」や「教義」が引用されている。
もっと「ハッキリと言えば」…「キリスト教の神」がこの映画の「モチーフ/主題」となっている。
ジャック(デル=トロ)は神に仕えようとするが、神の手から滑り落ちていく ……
ジャック(デル=トロ)はそこで、激しく「葛藤」する「クオバディス/俺は何処へ行くのか…?」
神は何故オレを選んだのか…「ナゼ俺でなくてはならなかったのか!」…神の意志とは何ぞや…?
いずれにせよこの不幸な「事故は故意に起こされたものではい」… そのことを知っているから…
ポール(ペン)は、ジャック(デル=トロ)を敢えて「射殺しなかった」のである。
被害者の「死んだ親子3人」と「残された妻」には酷だが、加害者の男もまた被害者でもあるという…
この物語はどこまでも「悲惨な現実」を突き付けてくる「救いのない映画」となっている。
だからペンもワッツもデル=トロも3人が3人共に「狂おしく」もあり「痛々しく」もあるのだ。
クリエイターのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「編集が神の領域に達していて」実に見事であった。
また俳優女優共に要所要所に「クセモノを配している」ので見応えも充分なのである。
「21グラム」「バベル」「バードマン」… と続くイニャリトゥの系譜の「原点」がここにある。
主要人物3人の様々なエピソードがあえて時系列をバラバラにして描かれていきます。(序盤に男女がベッドを共にしていると思えば、次のシーンでは他人同士だったりします)一回見ただけではまずストーリーを把握できないので、2回3回と見ることになるかもしれませんが、何度見ても見るだけ新たな発見があります。ラストの21グラムの重さへの問いかけが印象的です。